🍀般若心経の解説🍀47
🌸🌸「羯諦(ぎゃてい)」🌸🌸
昭和63年の夏のことでした。
ご法事の席でわたしは、ある年配の方からこんな話を伺いました。
「太平洋戦争💣🔫のとき、羯諦、羯諦…の真言🍀を書いて、その書きつけを出征兵士にもたせたものでした。
敵の弾💣にあたらないように。
弾がよけて飛んでいくように。
さらに、無事祖国に帰還できますようにと祈りをこめて☀️」と。
初耳👂でした。
そんなこともあったのか、とそのとき思いました。
読者の皆さまのなかにも、戦地に赴く夫や息子や知人に「心経」の真言🌸を書かれたかたもおあわりでしょうか。
さて、この「羯諦、羯諦」とはどんな意味なのでしょうか。
真言は、お経の内容を総括的にそして神秘的にあらわすもので、
古来から翻訳しないこと、
つまり意味をせんさくしないことが一般的ですが、
あえて、その意味🍀をさぐることにしましょう。
中村元博士は、
「往ける者よ、往ける者よ」
という訳を揚げておられます。
「羯諦」の原語は、ガテー(gate)で、
これは、ガター(gata 往ける者)という女性形の名詞🌸の呼びかけの語形です。
それで「往ける者🎵」と訳されます。
「さとりの世界に往ける者よ」
また
「さとりを体現している者よ」
という意味🍀です。
博士はつづけていわれます。
「完全な智慧(プラジュニャーパーラミター prajnaparamita)を
女性的原理とみなして、呼びかけたのであろうと解せられる」と。
しからば、
「羯諦🍀」とは
「完全なる智慧よ☀️」、
つまり
「般若波羅蜜多よ🌸」と同じ意味🍀になります。
ここにも、般若波羅蜜多への崇拝☀️がうかがわれます。
中村博士は、第二義として
「往けるときに、往けるときに」
という訳も示しておられます。
この場合は、
「さとりの世界に往けるときに」
つまり
「般若波羅蜜多というさとりを体現したときに」
という意味🍀に解せられるでしょう。😄🎵
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「羯諦(ぎゃてい)」🌸🌸
昭和63年の夏のことでした。
ご法事の席でわたしは、ある年配の方からこんな話を伺いました。
「太平洋戦争💣🔫のとき、羯諦、羯諦…の真言🍀を書いて、その書きつけを出征兵士にもたせたものでした。
敵の弾💣にあたらないように。
弾がよけて飛んでいくように。
さらに、無事祖国に帰還できますようにと祈りをこめて☀️」と。
初耳👂でした。
そんなこともあったのか、とそのとき思いました。
読者の皆さまのなかにも、戦地に赴く夫や息子や知人に「心経」の真言🌸を書かれたかたもおあわりでしょうか。
さて、この「羯諦、羯諦」とはどんな意味なのでしょうか。
真言は、お経の内容を総括的にそして神秘的にあらわすもので、
古来から翻訳しないこと、
つまり意味をせんさくしないことが一般的ですが、
あえて、その意味🍀をさぐることにしましょう。
中村元博士は、
「往ける者よ、往ける者よ」
という訳を揚げておられます。
「羯諦」の原語は、ガテー(gate)で、
これは、ガター(gata 往ける者)という女性形の名詞🌸の呼びかけの語形です。
それで「往ける者🎵」と訳されます。
「さとりの世界に往ける者よ」
また
「さとりを体現している者よ」
という意味🍀です。
博士はつづけていわれます。
「完全な智慧(プラジュニャーパーラミター prajnaparamita)を
女性的原理とみなして、呼びかけたのであろうと解せられる」と。
しからば、
「羯諦🍀」とは
「完全なる智慧よ☀️」、
つまり
「般若波羅蜜多よ🌸」と同じ意味🍀になります。
ここにも、般若波羅蜜多への崇拝☀️がうかがわれます。
中村博士は、第二義として
「往けるときに、往けるときに」
という訳も示しておられます。
この場合は、
「さとりの世界に往けるときに」
つまり
「般若波羅蜜多というさとりを体現したときに」
という意味🍀に解せられるでしょう。😄🎵
(「あなただけの般若心経」より)
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