🍀🍀多数決のほんとの意味🍀🍀
民主主義の原理とは何か、を考えてみよう。
それが最も単純な図式で現れているのが「直接民主制」であろう。
もちろん、どんな組織でも執行部があるが、
全員を拘束する法や規則の制定、
さらに全員に行動を起こさせるような重要な決定は、
その成員の全員に一人一票の秘密投票で賛否を問い、
多数決をもって全員の意思として決定する。
これが最も原始的な段階で、
次いで執行部の選出も秘密投票で行い、
この執行部内の議決の秘密投票で行うという形に進んでいく。
そして組織が複雑で規模が大きくなれば
第二段階から第三段階へと進むが、
この発展は、直接民主制という第一段階がない限り、ありえない。
そこで問題は、この第一段階が、その国の文化的蓄積の中に、あったか無かったか、
次は、それが一国の中の特殊な集団内のみで行われていたのか、特殊な集団内から広がって、全国的な規模となり、
庶民に至るまでそれを当然とする状態を生じ得たか否か、
それが文化的蓄積の有無の分かれ目となる。
この第二の問題は後に述べるとして、最初の段階についてまず記すことにしよう。
今、「一人一票の秘密投票」といったが、
これが完全に行われている国は今でも少ないであろう。
共産圏のような挙手なら、反対者への報復や排除は簡単にできる。
この問題は古代においてはさらに難しい問題がある。
というのは、人が氏族や大家族に属している場合、家長権等を無視して「個人として」、「自由な投票」、を行うことなど、まず望めないからである。
この場合、最もそれが行いやすかったのは「出家」のはずである。
僧は原則として、この世の社会のあらゆる「縁」を断ち切って「出家遁世」し、
「個人」となって僧院に入り、平等な立場でブッダに仕えているはずだからである。
だがこの「はず」もなかなか原理通りにいかず、
組織には組織の上下があり、その組織の長は人事権を握っているから、その人間はもちろん自由ではない。
さらに平安の大僧院の僧は「鎮護国家」を祈る国家公務員だから、俗世の序列がそのまま作用しやすい。
だが、そうだとしても、全員が1つの目的を持つ宗教的組織的集団は、氏族や大家族と違って血縁順位がなく、
その意味では平等な「一味同心」であり、
重要な決定に対しては全員で会議をし、多数決で議決のうえ決定するという方法があっても不思議ではない。
一体、この方式が仏教によって日本に持ち込まれたのか、それともまた「掘り起こし共鳴現象」で、仏教の渡来以前から似た方式があったのか、これは明らかではないが、
大体、原始仏教の議決方法「多語毘尼」(もしくは「多人語毘尼」)その他にその根拠が求められるという。
これは教団内の諸問題の解決方法を示した経典で、その一つとして多数決があり、
公開投票、半開票投票、秘密投票の三つが記されている。
だが、この通りにしたため大乗と小乗の分裂を引き起こし、以後は用いられていなかったといわれる。
おそらく日本人は仏教は輸入しても、仏教史は知らなかったのでこれが用いられたのであろう。
いずれにせよこれに基づいて、「満寺一味同心」という形で寺院全体の意思決定をし、
それに基づいて行動を起こすには、「満寺集会」という衆徒全員の出席する会で「大衆僉議(たいしゅうせんぎ)」という評決を行い、
そこで多数決によって議決しなければならなかった。
そしてこの「大衆僉議」は細かいルールがあった。
延暦寺のルールは、「平家物語」にも詳しく出ている。
そしてこの寺は当時の指導的寺院だから、他の寺院も似たようなものであったと見てよいであろう。
そしてこの「満寺集会」の「大衆僉議」に出るのは神聖な義務で、出席しないと罰せられたらしい。
延暦寺は何しろ衆徒三千だから、集会の場は当然に野外で、一同は大講堂の庭に集まる。
その時の服装は異形であり、全員が破れた袈裟で頭を包み顔をかくす。
たとえなんぴとといえども、また、天皇の命令でも、頭をむき出し、顔をあらわにして出席することができない。
そして全員が堂杖(どうじょう)とう杖を持ち、小石を1つずつ拾って出席し、
その石を置いてその上に座る。
さらに声を出す時、鼻を抑え、声を変えねばならぬから、隣に座っている人間が誰だかわからない。
いわば師と弟子が隣り合わせに座っても絶対にわからないようにしなければならないのである。
すると、これも誰だかわからぬの1人が、声をかえた大声で「満山の大衆は集合したか」と叫び、
提案の趣旨を説明し、一ヶ条ごとに賛否を問い、
各人の判断に従って
賛成の場合は
「尤も(もっとも)」
反対の場合は
「此の条 謂(いわれ)なし」
と叫ぶ。
このようにして一条ずつ議決され、終われば「僉議事書(せんぎことがき)」「列参事書(ことがき)」という文章にまとめられる。
これは「多語毘尼」の半公開投票にあたるであろう。
いま読むと、まことに巧みに秘密投票の原則が守られていると思うが、
彼らの異形や異声が、果たして近代的な合理主義から出たのかといえば、おそらくそうではあるまい。
だがこの問題は後に触れるとして、
まず、この討議に付する議案はどのようにして決定されたのかが問題である。
それはよくわからないが、高野山と同じなら「合点(がってん)」とあう方式をとったものと思われる。
この「がってん」という言葉は今も使われ、芝居のセリフなどにも登場し「わかった」「承知した」の意味に使われるが、
元来は少人数の表決の結果すなわち「点の合計」を意味する言葉であった。
勝俣鎮夫の「一揆」に、やや後代のものだが、典型的な「合点状」として弘和四年(1384年)の高野山違犯衆起請文があげられている。
年貢を滞納した荘官罷免に関する評定で、
公正に投票することを神に制約し、その起請文の余白に「荘官罷免」または「罷免せず年貢取り立て」の二つの投票課題を記し、
それぞれの余白に、当業者が短い線を引くという方法をとっている。
どんなルールで線を引いたのかは明らかではないが、
「線」は元来秘密投票のためだから、
一人一人立っていって、見えない場所で線を引き、
もとの座に戻るという方式をとったものと思われる。
この起請文生では線が、前者が41、後者は23だから、荘官は罷免されたわけである。
これが「合点」で、ここから後代の「がってんだ」が生まれたものと思われる。
これが「多語毘尼」の秘密投票であろう。
現代では「多数が賛成したから正しいとはいえない」という議論がある。
新聞などにもしばしば現れる議論で、前記の「合点状」でも、41対23名から41の方が正しい決定とは、必ずしもいえないだろう。
ではなぜそれが、反対の23を含めて全員の決定とされるのか。
実をいうと「多数が賛成したから正しいとはいえない」という前記の言葉は、
多数決原理発生の原因を忘れてしまった議論なのである。
この原則を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。
面白いことに、この点では日本もヨーロッパも変わらない。
古代の人びとは、将来に対してどういう決定を行ってよいかわからぬ重大な時には、
その集団の全員が神に祈って神意を問うた。
そして評決をする。
すると多数決に神意が現れると信じたのである。
これは宗教的信仰だから合理的説明はできないが、「神意」が現れたら、
それが全員を拘束するのは当然である。
これがルール化され、多数決以外で神意を問うてはならない、となる。
そして、これはあくまでも神意を問うのだから、
「親が…、親類が…、師匠が…」
といったようなこの世の縁に動かされてはならない。
それをすれば
「親の意向…、親類の意向…、師匠の意向…」
を問うことになってしまうから、神意は現われてくれない。
もちろん賄賂などで動かされれば、これは赦すべからざる神聖冒瀆(ぼうとく)になる。
これらは日本でも厳しく禁じられている。
そして、延暦寺の異形・異声とか、高野山の「合点」とかは、
こういう考え方の現れである。
おそらく、異形・異声になったとき、別人格となったのであろう。
このような信仰に基づけば、多数決に現れたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、これに違反することは許されない。
多くの国で多数決原理の発生は、以上のような宗教性に基づくものであって、
「多くの人が賛成したから正しい」という「数の理論」ではない。
コンクラーベという教皇の選挙は、今では多くの人に知られている。
だがこれは決して枢機卿が教皇を選出するのではなく、
祈りつつ行われる投票の結果に神意が現れるのだという。
したがって教皇は神の意志で教皇となったので「当選御礼」などを枢機卿にする必要はない。
時には、自分に投票してくれた人に最も厳しい人事をするが、これは行って不思議ではない。
という話をカトリックの人から聞いた。
もっとも「教皇選出の神学」といった資料を読んだこともなく、
そういう資料の有無も知らないから、詳しいことはわからない。
しかし一般に以上のように信じられているらしい。
ユダヤ教徒にも興味深い伝統があり、これは「タルムード」に載っている。
ユダヤ教徒の場合、旧約聖書の「モーセ五書」は神との契約だからこれを変えることはできない。
しかし世の中は変化するから、
「五書」に規定されていないことも出現すれば、
「五書」の規定を文字通りには実行できない場合がある。
そして「五書」のほかに口伝法律があり、これは「ミシュナ」に収録されている。
後代のものとはいえ編纂が紀元220年である。
彼らは「五書」を法規と説話に分け、この法規に関する限り、新しい事態のために、新しい解釈をすることができるようになっている。
これを行うのがサンヘドリンで、その成員の多数決で新しい解釈が採用される。
「タルムード」には面白い話がある。
あるラビが新しい解釈を提案したが否決されてしまった。
そこで彼は自分の解釈はあくまでも正しいと主張し、その証拠に奇跡を行ってみせるといい、
本当に奇跡を行った上で再び評決に付したが、また否決されてしまった。
すると彼は天に向かって大声で
「神よ、私の正しいことを証明してください」
と言った。
すると天から
「みな、何をつまらぬことを議論しているのか、
彼の提案は正しいではないか」
という声がした。
そこで評決に付したが、また否決されてしまった。
神の声を無視したとは面白い説話だが、
これは神意は多数決を通してのみ現れるのであって、
それ以外には現れない、ということである。
これを今日的にいえば
「私は神のお告げを受けた、ゆえに私の提案は正しい」
といった神がかり的主張は一切認められず、方法は多数決のみということである。
(「日本人とは何か。」より)
民主主義の原理とは何か、を考えてみよう。
それが最も単純な図式で現れているのが「直接民主制」であろう。
もちろん、どんな組織でも執行部があるが、
全員を拘束する法や規則の制定、
さらに全員に行動を起こさせるような重要な決定は、
その成員の全員に一人一票の秘密投票で賛否を問い、
多数決をもって全員の意思として決定する。
これが最も原始的な段階で、
次いで執行部の選出も秘密投票で行い、
この執行部内の議決の秘密投票で行うという形に進んでいく。
そして組織が複雑で規模が大きくなれば
第二段階から第三段階へと進むが、
この発展は、直接民主制という第一段階がない限り、ありえない。
そこで問題は、この第一段階が、その国の文化的蓄積の中に、あったか無かったか、
次は、それが一国の中の特殊な集団内のみで行われていたのか、特殊な集団内から広がって、全国的な規模となり、
庶民に至るまでそれを当然とする状態を生じ得たか否か、
それが文化的蓄積の有無の分かれ目となる。
この第二の問題は後に述べるとして、最初の段階についてまず記すことにしよう。
今、「一人一票の秘密投票」といったが、
これが完全に行われている国は今でも少ないであろう。
共産圏のような挙手なら、反対者への報復や排除は簡単にできる。
この問題は古代においてはさらに難しい問題がある。
というのは、人が氏族や大家族に属している場合、家長権等を無視して「個人として」、「自由な投票」、を行うことなど、まず望めないからである。
この場合、最もそれが行いやすかったのは「出家」のはずである。
僧は原則として、この世の社会のあらゆる「縁」を断ち切って「出家遁世」し、
「個人」となって僧院に入り、平等な立場でブッダに仕えているはずだからである。
だがこの「はず」もなかなか原理通りにいかず、
組織には組織の上下があり、その組織の長は人事権を握っているから、その人間はもちろん自由ではない。
さらに平安の大僧院の僧は「鎮護国家」を祈る国家公務員だから、俗世の序列がそのまま作用しやすい。
だが、そうだとしても、全員が1つの目的を持つ宗教的組織的集団は、氏族や大家族と違って血縁順位がなく、
その意味では平等な「一味同心」であり、
重要な決定に対しては全員で会議をし、多数決で議決のうえ決定するという方法があっても不思議ではない。
一体、この方式が仏教によって日本に持ち込まれたのか、それともまた「掘り起こし共鳴現象」で、仏教の渡来以前から似た方式があったのか、これは明らかではないが、
大体、原始仏教の議決方法「多語毘尼」(もしくは「多人語毘尼」)その他にその根拠が求められるという。
これは教団内の諸問題の解決方法を示した経典で、その一つとして多数決があり、
公開投票、半開票投票、秘密投票の三つが記されている。
だが、この通りにしたため大乗と小乗の分裂を引き起こし、以後は用いられていなかったといわれる。
おそらく日本人は仏教は輸入しても、仏教史は知らなかったのでこれが用いられたのであろう。
いずれにせよこれに基づいて、「満寺一味同心」という形で寺院全体の意思決定をし、
それに基づいて行動を起こすには、「満寺集会」という衆徒全員の出席する会で「大衆僉議(たいしゅうせんぎ)」という評決を行い、
そこで多数決によって議決しなければならなかった。
そしてこの「大衆僉議」は細かいルールがあった。
延暦寺のルールは、「平家物語」にも詳しく出ている。
そしてこの寺は当時の指導的寺院だから、他の寺院も似たようなものであったと見てよいであろう。
そしてこの「満寺集会」の「大衆僉議」に出るのは神聖な義務で、出席しないと罰せられたらしい。
延暦寺は何しろ衆徒三千だから、集会の場は当然に野外で、一同は大講堂の庭に集まる。
その時の服装は異形であり、全員が破れた袈裟で頭を包み顔をかくす。
たとえなんぴとといえども、また、天皇の命令でも、頭をむき出し、顔をあらわにして出席することができない。
そして全員が堂杖(どうじょう)とう杖を持ち、小石を1つずつ拾って出席し、
その石を置いてその上に座る。
さらに声を出す時、鼻を抑え、声を変えねばならぬから、隣に座っている人間が誰だかわからない。
いわば師と弟子が隣り合わせに座っても絶対にわからないようにしなければならないのである。
すると、これも誰だかわからぬの1人が、声をかえた大声で「満山の大衆は集合したか」と叫び、
提案の趣旨を説明し、一ヶ条ごとに賛否を問い、
各人の判断に従って
賛成の場合は
「尤も(もっとも)」
反対の場合は
「此の条 謂(いわれ)なし」
と叫ぶ。
このようにして一条ずつ議決され、終われば「僉議事書(せんぎことがき)」「列参事書(ことがき)」という文章にまとめられる。
これは「多語毘尼」の半公開投票にあたるであろう。
いま読むと、まことに巧みに秘密投票の原則が守られていると思うが、
彼らの異形や異声が、果たして近代的な合理主義から出たのかといえば、おそらくそうではあるまい。
だがこの問題は後に触れるとして、
まず、この討議に付する議案はどのようにして決定されたのかが問題である。
それはよくわからないが、高野山と同じなら「合点(がってん)」とあう方式をとったものと思われる。
この「がってん」という言葉は今も使われ、芝居のセリフなどにも登場し「わかった」「承知した」の意味に使われるが、
元来は少人数の表決の結果すなわち「点の合計」を意味する言葉であった。
勝俣鎮夫の「一揆」に、やや後代のものだが、典型的な「合点状」として弘和四年(1384年)の高野山違犯衆起請文があげられている。
年貢を滞納した荘官罷免に関する評定で、
公正に投票することを神に制約し、その起請文の余白に「荘官罷免」または「罷免せず年貢取り立て」の二つの投票課題を記し、
それぞれの余白に、当業者が短い線を引くという方法をとっている。
どんなルールで線を引いたのかは明らかではないが、
「線」は元来秘密投票のためだから、
一人一人立っていって、見えない場所で線を引き、
もとの座に戻るという方式をとったものと思われる。
この起請文生では線が、前者が41、後者は23だから、荘官は罷免されたわけである。
これが「合点」で、ここから後代の「がってんだ」が生まれたものと思われる。
これが「多語毘尼」の秘密投票であろう。
現代では「多数が賛成したから正しいとはいえない」という議論がある。
新聞などにもしばしば現れる議論で、前記の「合点状」でも、41対23名から41の方が正しい決定とは、必ずしもいえないだろう。
ではなぜそれが、反対の23を含めて全員の決定とされるのか。
実をいうと「多数が賛成したから正しいとはいえない」という前記の言葉は、
多数決原理発生の原因を忘れてしまった議論なのである。
この原則を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。
面白いことに、この点では日本もヨーロッパも変わらない。
古代の人びとは、将来に対してどういう決定を行ってよいかわからぬ重大な時には、
その集団の全員が神に祈って神意を問うた。
そして評決をする。
すると多数決に神意が現れると信じたのである。
これは宗教的信仰だから合理的説明はできないが、「神意」が現れたら、
それが全員を拘束するのは当然である。
これがルール化され、多数決以外で神意を問うてはならない、となる。
そして、これはあくまでも神意を問うのだから、
「親が…、親類が…、師匠が…」
といったようなこの世の縁に動かされてはならない。
それをすれば
「親の意向…、親類の意向…、師匠の意向…」
を問うことになってしまうから、神意は現われてくれない。
もちろん賄賂などで動かされれば、これは赦すべからざる神聖冒瀆(ぼうとく)になる。
これらは日本でも厳しく禁じられている。
そして、延暦寺の異形・異声とか、高野山の「合点」とかは、
こういう考え方の現れである。
おそらく、異形・異声になったとき、別人格となったのであろう。
このような信仰に基づけば、多数決に現れたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、これに違反することは許されない。
多くの国で多数決原理の発生は、以上のような宗教性に基づくものであって、
「多くの人が賛成したから正しい」という「数の理論」ではない。
コンクラーベという教皇の選挙は、今では多くの人に知られている。
だがこれは決して枢機卿が教皇を選出するのではなく、
祈りつつ行われる投票の結果に神意が現れるのだという。
したがって教皇は神の意志で教皇となったので「当選御礼」などを枢機卿にする必要はない。
時には、自分に投票してくれた人に最も厳しい人事をするが、これは行って不思議ではない。
という話をカトリックの人から聞いた。
もっとも「教皇選出の神学」といった資料を読んだこともなく、
そういう資料の有無も知らないから、詳しいことはわからない。
しかし一般に以上のように信じられているらしい。
ユダヤ教徒にも興味深い伝統があり、これは「タルムード」に載っている。
ユダヤ教徒の場合、旧約聖書の「モーセ五書」は神との契約だからこれを変えることはできない。
しかし世の中は変化するから、
「五書」に規定されていないことも出現すれば、
「五書」の規定を文字通りには実行できない場合がある。
そして「五書」のほかに口伝法律があり、これは「ミシュナ」に収録されている。
後代のものとはいえ編纂が紀元220年である。
彼らは「五書」を法規と説話に分け、この法規に関する限り、新しい事態のために、新しい解釈をすることができるようになっている。
これを行うのがサンヘドリンで、その成員の多数決で新しい解釈が採用される。
「タルムード」には面白い話がある。
あるラビが新しい解釈を提案したが否決されてしまった。
そこで彼は自分の解釈はあくまでも正しいと主張し、その証拠に奇跡を行ってみせるといい、
本当に奇跡を行った上で再び評決に付したが、また否決されてしまった。
すると彼は天に向かって大声で
「神よ、私の正しいことを証明してください」
と言った。
すると天から
「みな、何をつまらぬことを議論しているのか、
彼の提案は正しいではないか」
という声がした。
そこで評決に付したが、また否決されてしまった。
神の声を無視したとは面白い説話だが、
これは神意は多数決を通してのみ現れるのであって、
それ以外には現れない、ということである。
これを今日的にいえば
「私は神のお告げを受けた、ゆえに私の提案は正しい」
といった神がかり的主張は一切認められず、方法は多数決のみということである。
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