②🌸抗がん剤とルルドの泉🌸
🔸保江 ともあれ、私は主治医に、
「たった5%の生存確率のために、そんなつらい治療をするのですか」
と訴えましたよ。
ですが、主治医の態度は、極めて明解でした。
「0%よりはマシだからです」
とピシャリ(笑)。
それでも私は、抗がん剤拒否の方針を変えませんでした。
先生もさぞかし困っていたのでしょうね。
結局、一ヶ月ごとに定期検診を行うことを条件に、
また、再発が確認されたらただちに切除することも含めて、
抗がん剤を使用しないまま様子を見ることになりました。
後になって、同じ病院の別の医師から聞いた話ですが、
抗がん剤を拒否している私のことは、医局でも話題になっていたのだそうです。
おそらく、私のようなわがままな病人のおかげで、彼女は困った立場に立たされていたのではないでしょうか。
ただ、彼女は私の前では、そんな気配を少しも見せませんでした。
🔹矢作 立派な先生ですね。
🔸保江 えー、ホントにそう思います。
🔹矢作 そして、退院するとまもなく、ルルドの泉に行かれたんですね?
🔸保江 そうです。ご存知の方も多いでしょうが、ルルドの泉について少し説明しておきます。
ルルドは、フランスとスペイン国境、ピレネー山脈の麓の村です。
1,859年、村の少女・ベルナデッダ・スビルーの前に聖母マリアが出現し、
村はずれの洞窟の上に聖堂を作るように頼みました。
それとともに、洞窟から泉がわき出しました。
この泉の水によって、不治と思われた病気が治癒する奇跡が続いて起こったため、
カトリック最大の巡礼地となったんですね。
フランス政府の調査によるとルルドの泉の水を飲んで、
がんや難病が奇跡的に治った人の数は、調査した全患者のうちの7%ということでした。
抗がん剤の生存率が5パーセントですから、抗がん剤よりは、ルルドの奇跡の方が2%も高い!、と私は考えたのです。
ならば、それに賭けてみようと。
🔹矢作 この7%と言う数字を、私は決して低いとは思いません。
ルルドには、附属病院と医療局が存在していますね。
奇跡として認定されるには、大変な手順が必要とされていて、
奇跡の判定には治療のデータが入れますし、厳格な認定基準をクリアしなければなりません。
敬虔で模範的な信者であるかどうかも問われます。
結果として、カトリック教会が認定する奇跡は、希少です。
しかし、希少ですが、確かに存在します。
少数ながらも、1部の人に奇跡としかいいようがない効果が認められている。
それは、事実だと思います。
🔸保江 私の場合、実際に一度は心臓が止まった体です。
死んでいた私を暗黒から救い出してくれたのは、マリア様への祈りでした。
抗がん剤に投じる費用を使って、マリア様に、命を救って下さったお礼をしてこようとも思っていたのです。
こうして私は、ルルドで奇跡の泉の水を飲んだ後、
ポルトガルにあるファティマにも立ち寄り、帰国しました。
🔹矢作 ファティマも、聖母の出現で知られている地ですね。
🔸保江 ええ。ルルドに行った後、ファティマによって帰国しました。
がんの切除後、わずか1ヶ月半で旅に出るのは、本当にしんどかったです。
縫合したお腹の傷がまだ完全に癒えたわけでもありませんでしたから。
🔹矢作 医師としては、あまりオススメできませんね(笑)。
🔸保江 ルルドへの旅を終えて2週間後、私は、病院を訪れ、定期的な検査を受けました。
私の主治医は、いつもは、パソコンに映し出された検査結果を一瞥すると、すぐに私の体の診察を始めます。
ところが、その日は様子が違いました。
パソコンの画面を食い入るように見つめたまま、微動だにしないのです。
深刻そうな女医さんの横顔いると、私はだんだん心配になってきました。
ルルドとファティマに出かけた無理がたたって、病状が悪化してしまったのか。
がんの再発か。
ひょっとしたら転移か。
どちらもありうると思いました。
私はそのとき、早くも抗がん剤治療を拒否したことを悔やみ始めていました。
そんな私に、主治医である女医の先生は首をかしげながら、
「不思議ですね、がんの腫瘍マーカーが下がっています。
検査が間違っていますから、もう一回測り直してください」
というのですよ。
その言葉を聞いた瞬間、
私は、マリア様が助けてくださったのだと直感しました。
そこで、
「もう一回採血を採られるのは嫌なので、検査はまた来月にしてください」
と逃げ帰ってきました。
以来、腫瘍マーカーは、下りっぱなしです。
むろんCTやMRIなどの検査でも、異常は発見されていないんです。
もちろん、私の無謀なやり方は、どなたにでも勧められるものではありません。
私の体には、一体何が起こったと考えるべきでしょうか。
これは、やはり、奇跡が起こったと考えてよいのでしょうか。
(「ありのままで生きる」矢作直樹・保江邦夫より)
🔸保江 ともあれ、私は主治医に、
「たった5%の生存確率のために、そんなつらい治療をするのですか」
と訴えましたよ。
ですが、主治医の態度は、極めて明解でした。
「0%よりはマシだからです」
とピシャリ(笑)。
それでも私は、抗がん剤拒否の方針を変えませんでした。
先生もさぞかし困っていたのでしょうね。
結局、一ヶ月ごとに定期検診を行うことを条件に、
また、再発が確認されたらただちに切除することも含めて、
抗がん剤を使用しないまま様子を見ることになりました。
後になって、同じ病院の別の医師から聞いた話ですが、
抗がん剤を拒否している私のことは、医局でも話題になっていたのだそうです。
おそらく、私のようなわがままな病人のおかげで、彼女は困った立場に立たされていたのではないでしょうか。
ただ、彼女は私の前では、そんな気配を少しも見せませんでした。
🔹矢作 立派な先生ですね。
🔸保江 えー、ホントにそう思います。
🔹矢作 そして、退院するとまもなく、ルルドの泉に行かれたんですね?
🔸保江 そうです。ご存知の方も多いでしょうが、ルルドの泉について少し説明しておきます。
ルルドは、フランスとスペイン国境、ピレネー山脈の麓の村です。
1,859年、村の少女・ベルナデッダ・スビルーの前に聖母マリアが出現し、
村はずれの洞窟の上に聖堂を作るように頼みました。
それとともに、洞窟から泉がわき出しました。
この泉の水によって、不治と思われた病気が治癒する奇跡が続いて起こったため、
カトリック最大の巡礼地となったんですね。
フランス政府の調査によるとルルドの泉の水を飲んで、
がんや難病が奇跡的に治った人の数は、調査した全患者のうちの7%ということでした。
抗がん剤の生存率が5パーセントですから、抗がん剤よりは、ルルドの奇跡の方が2%も高い!、と私は考えたのです。
ならば、それに賭けてみようと。
🔹矢作 この7%と言う数字を、私は決して低いとは思いません。
ルルドには、附属病院と医療局が存在していますね。
奇跡として認定されるには、大変な手順が必要とされていて、
奇跡の判定には治療のデータが入れますし、厳格な認定基準をクリアしなければなりません。
敬虔で模範的な信者であるかどうかも問われます。
結果として、カトリック教会が認定する奇跡は、希少です。
しかし、希少ですが、確かに存在します。
少数ながらも、1部の人に奇跡としかいいようがない効果が認められている。
それは、事実だと思います。
🔸保江 私の場合、実際に一度は心臓が止まった体です。
死んでいた私を暗黒から救い出してくれたのは、マリア様への祈りでした。
抗がん剤に投じる費用を使って、マリア様に、命を救って下さったお礼をしてこようとも思っていたのです。
こうして私は、ルルドで奇跡の泉の水を飲んだ後、
ポルトガルにあるファティマにも立ち寄り、帰国しました。
🔹矢作 ファティマも、聖母の出現で知られている地ですね。
🔸保江 ええ。ルルドに行った後、ファティマによって帰国しました。
がんの切除後、わずか1ヶ月半で旅に出るのは、本当にしんどかったです。
縫合したお腹の傷がまだ完全に癒えたわけでもありませんでしたから。
🔹矢作 医師としては、あまりオススメできませんね(笑)。
🔸保江 ルルドへの旅を終えて2週間後、私は、病院を訪れ、定期的な検査を受けました。
私の主治医は、いつもは、パソコンに映し出された検査結果を一瞥すると、すぐに私の体の診察を始めます。
ところが、その日は様子が違いました。
パソコンの画面を食い入るように見つめたまま、微動だにしないのです。
深刻そうな女医さんの横顔いると、私はだんだん心配になってきました。
ルルドとファティマに出かけた無理がたたって、病状が悪化してしまったのか。
がんの再発か。
ひょっとしたら転移か。
どちらもありうると思いました。
私はそのとき、早くも抗がん剤治療を拒否したことを悔やみ始めていました。
そんな私に、主治医である女医の先生は首をかしげながら、
「不思議ですね、がんの腫瘍マーカーが下がっています。
検査が間違っていますから、もう一回測り直してください」
というのですよ。
その言葉を聞いた瞬間、
私は、マリア様が助けてくださったのだと直感しました。
そこで、
「もう一回採血を採られるのは嫌なので、検査はまた来月にしてください」
と逃げ帰ってきました。
以来、腫瘍マーカーは、下りっぱなしです。
むろんCTやMRIなどの検査でも、異常は発見されていないんです。
もちろん、私の無謀なやり方は、どなたにでも勧められるものではありません。
私の体には、一体何が起こったと考えるべきでしょうか。
これは、やはり、奇跡が起こったと考えてよいのでしょうか。
(「ありのままで生きる」矢作直樹・保江邦夫より)
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