大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ローマの信徒への手紙16章1~27節

2018-03-05 19:00:00 | ローマの信徒への手紙

2018年3月4日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にある家族として」 吉浦玲子

<名前を呼ぶこと>

 今日は月初めで、礼拝ののちの報告-正確には報告までが礼拝になりますが-その報告の中で、今月、受洗と誕生の記念日を迎えられた方の名前を読み上げさせていただきます。また昨年の11月に行われた逝去者記念礼拝でも、逝去者のお名前が長老から読み上げられました。皆さまにとって、なつかしいお名前もあれば、まったく存じ上げられないだろうなという方の名前もあったかと思います。名前を呼ぶということは、それ自体は大きな意味を持たないようにも感じられますが、実際のところ、名前を呼ぶという行為はその個人の人格とか命を重んじることです。たとえ存じ上げない名前であっても、わたしたちは名前を聞く時、そこに一個の人間の存在を感じ取ります。名前は人間としての存在を確かに現わすものです。逆に、人間の人格や命が軽んじられているところでは、人はその個人の名前では呼ばれないのです。たとえば番号で呼ばれます。歴史を見ても、さまざまな理由で自由を奪われ囚われている人は囚人番号といった番号で呼ばれたりしてきました。

そして聖書においてはことに名前には大きな意味があります。旧約聖書では、アブラハムは<すべての国の父>という意味ですし、その子どものイサクは<笑う>でした。それぞれに名前によって現わされた物語がありました。そしてなにより、「神の名」というときそれは単に、神の個別の名前を指すのではなく、神ご自身を指します。「神の名」というのは神の存在そのものを示すものなのです。主の御名を賛美します、ということは主ご自身を心から賛美しますということなのです。

 さて、ローマの信徒への手紙16章は、いよいよ手紙の最後となりました。今日は、片仮名の多い読みにくいところを長く読んでいただきました。ここでは個人の名前をあげて、パウロが挨拶をしています。とてもたくさんの人名がでてまいります。名前が挙がっている人々の多くは有名な人々ではなかったようです。もちろんたとえば3節のプリスカとアキラは他の手紙にも名前が出てきますし、プリスキラとアキラという少し違う名前で使徒言行録にも出てきます。パウロを支えた有名な人だといえます。しかし、ここに名のある多くの人々は無名の人々で、当時、ローマの教会につながっていてパウロと知り合いだった人々です。聖書の中でもここだけに出てくる名前がほとんどです。これがまだ古い名前であっても漢字で書かれた名前であれば、私たちは多少はイメージができます。あるいは現代風の欧米人の名前であっても少しはイメージがわくかもしれません。しかし、当時のローマの教会に集った人々のカタカナの名前からは、2000年後の日本で生活をする私たちにはほとんどなにも感じ取ることはできません。しかし、その無名の人々の名前がでてくる挨拶の部分を、教会はあえてそのまま正典である聖書の中に残しました。これにはどういう意味があるのでしょうか?

 聖書学者という方々は昔からたいへん探究熱心で、この無名の人々のことをいろいろな手段を使って調べてこられたようです。その結果、ある程度はここに名を記されている人がどういう人であったかが類推できるようです。このような研究というのはすごいものだと思います。その研究の結果を加藤常昭先生の書いたものから孫引きのような形で知ることができました。

 そして結論から先に言いますと、ここで名前が挙がっている人々は、人種も身分もさまざまな人々であったということです。おそらく今日の日本の教会とは比べ物にならない多様性を持った人々の名前がここに挙げられているようです。たとえば12節に出てくるペルシスというのは「ペルシャの女」という意味なのだそうです。この名前から分かることはこの女性はおそらく奴隷であったということです。奴隷の身分であった、おそらく遠くペルシャから売られてきた女性であったであろうと言われています。その女性が主のために非常に苦労をしたとさりげなく記されています。自分の身分にまつわることや生活上の苦労ではなく、宣教の活動において、教会を支えることにおいて苦労をしたということが書かれているのです。それ以外にも名前から奴隷であることが分かる人々が何人か混じっているようです。一方で11節にはヘロデオンという名前があります。これは「ヘロデ家の人々」という意味です。ヘロデと言えば、新約聖書においては悪名だかい名前です。ヘロデ大王は主イエスがお生まれになった時、その命を狙って二歳以下の子どもたちを虐殺した王です。そしてまたその息子のヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネを殺した人物でした。しかし、その親族たちで、当然、身分が高くて、ローマに住むことができた人々の中に、キリスト者になった人々がいたということです。主のなさることは実に驚くべきことです。ある神学者はここで、パウロはさりげなく、ヘロデに象徴されるこの世の暴力、悪の力へのキリストの勝利を書きこんでいるのだと語っています。10節にあるアリストブロも詳細は分かりませんが、身分の高い人であったようです。

<さまざまな人々>

そういった名前をパウロは、無作為に並べているのです。いえ、パウロ自身はなんらかの筋道をもって並べているのかもしれません。しかし、読み手から見ると、実にランダムに並んでいるように感じられるのです。たとえば身分の高い人から順番に名前があがっているわけでもありません。人種別に並んでいるわけでもありません。男女も混じり合っています。そもそも最初に名前を挙げられているのは女性ですが、このことも男尊女卑が徹底していた当時としては驚くべきことです。パウロを男性優位論者、差別主義者のように批判する人も多いのですが、ここでの名前の挙がり方を見ると、パウロが性別をはじめとしたその人の外的なことがらで人間を差別をする人物ではないことがわかります。共に神を見上げている人々に、手紙の最後でパウロはこの世の序列や気遣いからは解き放たれて実に朗らかに挨拶をおくっているのです。

 この手紙は、ローマの教会で実際に読み上げられたと考えられます。その読み上げられる手紙の最後に人々の名前が読まれるのです。ちょうど今日、わたしたちの教会で、記念日を迎える人が名前を呼ばれるように、名前が読まれたのです。ローマの教会で2000年前、名前が読まれた人は突然自分の名が出てきて恥ずかしかったり、驚いたり、あるいは喜んだりしたでしょう。その名前を読み上げるというその行為が、まさに教会の交わりを現わしているのです。そのことをパウロはよくよく理解して、一人一人のことを喜びをもって祈りをもって名を記したのです。そして、さまざまな背景を持った人々の名前が性別やこの世の身分や人種と関係なく読み上げられていくのです。パウロ自身は今はその教会の交わりの中にまだいないけれども、たしかにローマの地で手紙が読まれ、名前を読み上げられる人々がいる、その情景を思い描きながら、心を込めてパウロはひとりひとり名前を書いたのでしょう。

 もちろん、ローマの教会のなかにも問題があったであろうということは、多くの教会を牧会してきたパウロには分かっていたでしょう。皆が皆、なかよくしていたわけではないかもしれません。いやむしろ対立だってあったでしょう。しかし、それらを越えて、そこに教会という愛の共同体があることをパウロは確信して、名前を記したのです。

 そして名前を記したのち、16節には「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」とあります。当時は、礼拝の中で口づけをして挨拶をするという慣習があったようです。これは特に聖餐を祝う礼拝においてなされたと考えられるそうです。現代でも実際に口づけを交わすところも残っているようですが、形を変えて行われているものもをあります。たとえば以前もお話しいたことがあると思うのですが、教会によって、聖餐のある礼拝の中で「平和の挨拶」というものを礼拝の中でするところがあります。わたしの母教会でもそうでした。「平和の挨拶」は両隣や近くの席の人と、実際に挨拶をするのです。「主の平和」といって挨拶したり、握手をするときもあります。これは、慣れないと、日本人にとってはすこし気恥ずかしさのあるものです。しかし、口づけにせよ平和の挨拶にせよ、それは主の食卓である聖餐にあずかる人々が神の前の家族として交わるということを象徴的に現しています。

 パウロは多くの名前を書き「よろしく」と言っていますが、この「よろしく」という言葉の語源には祝福がありますように、平安がありますようにという意味のあるそうです。ですから多くの人々の名前を出してそれぞれに「祝福がありますように」とパウロはあいさつをしているのです。そしてまた、みなさんたちもまた互いに祝福がありますようにと挨拶をかわしなさいとパウロは語っています。祝福を祈りあう共同体が教会だからです。

<主に応答して生きる>

 さて、いま私たちは主イエス・キリストのご受難を覚える受難節を迎えています。その受難節に特に覚えておきたい名前が今日の聖書箇所にあります。13節の「ルフォスと、およびその母」です。イエス様が十字架を担ってゴルゴダの丘まで歩まれていた途中で、道で倒れられてしまわれた。そのとき、たまたまその場にいたキレネ人のシモンという人が代わりに十字架を背負って歩いたという記事が福音書の中にあります。マルコによる福音書では、15章21節に「アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が」と記されています。マルコが福音書を記したとき、おそらくアレクサンドロとルフォスというのは当時の教会では良く知られた名前だったと考えられます。<あのアレクサンドロとルフォスの父であるシモンがイエス様の十字架を背負ったのだよ>とマルコは記しているのです。そのマルコが記しているアレクサンドロとルフォスのうちのルフォスが今日の聖書箇所の13節に出てくるルフォスだと考えられています。つまり、主イエスの十字架をむりやり担がされたシモンの家族がそののちキリスト者になり、その家族がパウロとも知り合いであり、パウロの宣教を助けていたということがここで分るのです。

 マタイによる福音書でも共にお読みしたことですが、シモンはおそらく祭りを祝うために田舎から出てきていたのです。ある意味、旅行気分でエルサレムにやってきていた。それなのにたまたま主イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いていくところに遭遇してしまったのです。ひょっとしたらシモンは体格が良かったのかもしれません。ローマの兵隊から無理やり主イエスの十字架を背負わされて今いました。シモンにしたら迷惑千万なことです。しかし、それがキリストの恵みにあずかる祝福の始まりでした。

 とても奇妙なやり方で神様はシモンとその家族を選ばれたのです。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」主の十字架を背負うということに選ばれたシモンの子供という特別の選びがここにあったのです。主に結ばれるという選びがたしかにここにあったのです。そして選ばれた者はその選びに応えて生きていくのです。パウロは「その母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」と心を込めて書いています。彼らがどれほどパウロの宣教のために心を砕いたのかがわかります。

 しかし、ルフォスとその母だけではありません。ここに名前を記されているすべての人々はさまざまな経緯でキリストに結ばれた人々です。キリストに選ばれた人々です。そしてそれぞれに宣教の苦労を担った人々でした。主イエスの十字架と復活によって明らかにされた神の愛に突き動かされた人々です。

 わたしたちもまたキリストに選ばれて今日この場にいます。私たちも十字架を担われるキリストと出会いました。いばらの冠をかぶせられて頭から血を流され、また鞭打たれ体からも血を流され、いくたびを倒れながら十字架を担ってくださったキリストを肉眼では見ていません。しかし、聖霊によって出会わせていただきました。私の罪のために血を流されたキリストと出会いました。それぞれにキリストご自身から招かれました。

 ですから私たちもまたそれぞれに十字架を担います。キリストの御後を歩んでいきます。それは新たな苦労を背負い込むことではありません。わたしたちの最も重い荷はすでに取りさられています。罪という最も重い荷物は取り去られ、私たちは身軽になりました。解放されました。その身軽になった自由になった私たちは喜びをもってキリストから与えられる新しい使命に生きます。新しい十字架を負うのです。それは担いきれないほど重いものではありません。担う力をもキリストから与えられて、私たちは喜びの内に歩んでいきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿