2020年3月22日 大阪東教会主日礼拝説教 「神の家族の誕生」吉浦玲子
【聖書箇所 ヨハネによる福音書19章16~27節】
こうして、人々はイエスを引き取った。イエスは自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人を、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。 ピラトは、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
兵士たちはイエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。 そこで、「これは裂かないで、誰のものになるか、くじを引こう」と話し合った。それは、
「彼らは私の服を分け合い/衣をめぐってくじを引いた」
という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われた。 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
【説教】
<自ら十字架を背負い>
主イエスはいよいよ十字架におかかりになります。主イエスは自ら十字架を背負いゴルゴダへと向かわれました。十字架刑が下された場所から、現在推定されていますゴルゴダがあったとされる場所までは、700mから800mであったと考えれます。普通に徒歩なら10分程度の距離です。しかし、肉をえぐり取る残酷な鞭打ちで傷を負い衰弱されていた主イエスにとって、その道行きは痛ましく困難なものでありました。映画などで見ると、歩みの進まない者はローマ兵から容赦なく鞭打たれ、沿道では野次馬たちが罵声を浴びせるといった情景が描かれています。
ヨハネによる福音書では「自ら十字架を背負い」と記されています。そもそも、当時、十字架刑に処せされる罪人は、自分で、自分がかけられる十字架を背負って刑場まで向かわされたという慣習がありました。今日の聖書箇所でもこの慣習に主イエスは従っておられます。しかし、ここでは、「十字架を背負わされて」と受け身の形では書かれていません。「自ら十字架を背負い」と記述されているということは、主イエスご自身が主体的に、ご自身の意思で背負われたということを示します。実際、囚人として背負わされたようにみえて、主イエスご自身が十字架を背負うことを選び取り、ゴルゴダまでの道を歩まれたのです。
伝承や映画では、その道行きにおいて主イエスはいくたびかお倒れになったと描かれています。また他の福音書では、キレネ人のシモンが主イエスに代わって十字架を担いだ場面も描かれています。実際、そのようなことはあったのでしょう。
しかし、ヨハネによる福音書では端的に「自ら十字架を背負い」とあくまでも主イエスのご意思によって十字架の出来事が進んでいくことに重点をおきます。十字架は受難であると同時に、まことの王、まことの神である主イエスの栄光への道のりでもあるのです。
そしてまた、23節以下に兵士たちが主イエスの衣服をはぎとって分け合ったと書かれています。これは死刑を執行するものに与えられた特権、すなわち受刑者の持ち物を好きにして良いということが実際行われた場面です。兵士たちにしてみたら、十字架刑などは職務上、当たり前のことで、人間が一人死ぬということにいちいち気持ちを動かしていたら仕事にならなかったといえるでしょう。とはいえ、人間が死の苦しみをしているその下で、楽し気にくじを引き、衣服の取り合いをしているというのは、人間の醜悪な姿そのものです。
私たちは死刑囚の服の取り合いはしないでしょう。しかし、それぞれの置かれた場所で、心ならずも、人を苦しめるようなことをなさねばならぬこともあるかもしれません。それは職務上のことであるかもしれませんし、立場や役目として、ということもあるかもしれません。たとえば、組織のコンプライアンスということが昨今よく言われます。組織のコンプライアンス違反を知りながら、組織の中で苦しむ人がいます。組織と自分の倫理観の板挟みになって苦しむ人もいれば、そういうことに流されてしまう人もいます。自分が不利益をこうむらないために、倫理に反することを心ならずやってしまうということもあります。場合によっては、そういうことに慣れっこになって、人を苦しめながら、そのことになんの感情も動かないこともあるかもしれません。
いずれにせよ、そのような人間の罪の姿が、主イエスの十字架の下で描かれています。しかし、そのことも、旧約聖書ですでに預言されていたことであったと聖書は語ります。この衣服のことでくじをひく場面は、詩編22編19節に出てくるものです。つまり、この出来事も神のご計画の内にあったということです。
人間が自己中心の罪によって、そして神を神としない罪によって、罪なき主イエスを十字架につけ、さらにはその十字架で苦しむ主イエスの下で醜悪な人間の罪の行いがなされる、それはどうしようもないこの世界の現実ですが、なおそこに神のご計画があり、神の業が進んでいたということです。
本日の礼拝は、公開を中止して行っています。大阪東教会の138年の歴史においてもこれは前代未聞のことではないかと思います。1945年3月に大阪大空襲がありました。その空襲で、大阪東教会の旧会堂が焼け落ちました。その直後の主日礼拝はどうだったのか、親子関係にある森小路教会と合同で行ったのかどうだったのか、記録でははっきりわかりません。しかし、大阪東教会として礼拝公開中止というのは戦争中の非常時以来のことであると考えられます。このような事態となった新型コロナ肺炎の世界的な広がりは、まさにこの受難節にあって、教会にとって大きな試練です。しかし、なおこのような事態にあっても、神の業は進んでいることを私たちは忘れてはいけません。礼拝の公開中止はそれだけを見ますと、教会の敗北のような出来事です。猛り狂うウイルスに信仰が屈したように感じられます。人によっては、けしからん、信仰を持って、おそれず礼拝を公開すべきだと考える方もおられるかもしれません。しかし、私たちは、会堂という場所に集ってはいませんが、なお、共に十字架を見上げ、神を礼拝しています。そこに、たしかに教会は立っているのです。私たちが御言葉を聞き―今日は、多くの方は録音された音声や、ブログという形でみ言葉に聞くことになりますが―そこに確かに教会は立ち、礼拝は捧げられているのです。そこに神の業がたしかに進んでいるのです。
<教会の成立>
今日の聖書箇所の後半では、まさにその教会の成立について語られています。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた」とあります。十字架の下には主イエスの母を含め女性の弟子たちがいたのです。そしてまた、男性である「愛する弟子」もいました。愛する弟子も含めて、皆が、主イエスの弟子でした。主イエスは母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」とおっしゃいます。そしてまた愛する弟子に「見なさい、あなたの母です」とおっしゃいます。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取ったとあります。」これは、イエスの母と、愛する弟子が、主イエスの十字架ののち家族として一緒に過ごしたということです。
ある意味、この場面は、死の間際に、主イエスがご自分の親のことをよろしく頼むと、愛する弟子に対して頼んでいるようにも読めます。しかし、そうすると、「婦人よ」という母への呼びかけが不自然です。「婦人」という言い方はいかにも他人行儀です。この「婦人よ」という呼びかけはヨハネによる福音書2章のカナの婚礼の場面でも出てきました。婚礼の場面でぶどう酒がなくなってしまったということを母マリアが主イエスに伝えた場面です。それに対して主イエスは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」という、実に冷淡ともとれる返事をされました。そもそも<婦人よ>という言葉は、救い主であり、神であるお方として主イエスが語られている言葉です。人間として、マリアの子としての言葉ではないのです。救い主として、その救いの時、つまり十字架の時はまだ来ていないのだと、カナの婚礼の場面で主イエスはおっしゃったのでした。
翻って、今日の聖書箇所は、まさに主イエスの時が来た場面です。十字架の時が来たのです。そのまさにその時、再び主イエスは救い主として、神として、母マリアに語られます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」まさに十字架の時、主イエスの時に、新しい親子関係、新しい家族が誕生したことを主イエスは告げられました。
ところで、さきほど、ここは教会の成立について語られていると申し上げました。実際の宣教共同体の誕生は、ここのち、主イエスの復活と昇天ののち、ペンテコステの時となります。つまり活動する教会の誕生はもう少し後とのこととなります。しかし、主イエスの十字架のその決定的な時に、教会の核となる<神の家族>は生まれたのです。このことを、私たちはよくよく覚えておく必要があります。
いま、教会の活動は自粛されています。普段はどこの教会も伝道だ、交わりだ、奉仕だと忙しく活動をしています。しかし、今は、多くの教会のそのような活動はかなり部分で停止しています。ところで、たとえば製造業の会社が製造を停止したら、その会社は企業として成立をしません。小売店がものを売らなくなったら小売店としての存在意義があやうくなります。じゃあ教会はあれこれの活動を停止したら教会ではなくなるのか?教会の意義は主イエスの大宣教命令に基づく宣教にあると考えたら、たしかに、宣教を止めた時、それは教会ではなくなるといえるでしょう。しかし、宣教イコール様々な活動をする、ということではありません。実際的な活動はなくても、神の家族として立っている時、そこに教会はあるのです。神の家族としてのあり方が貫かれている時、それは同時に宣教になるのです。使徒言行録に描かれている生まれたばかりの教会はまさにそのようなあり方をしていました。信徒全体が、一つの家族のように生活をしていたのです。そしてその姿は、周囲の人々の好感や信頼を得ます。積極的に広報活動をしたり、外で伝道をしたからではなく、愛の家族として皆が生きていたゆえに、原始教会に多くの人々が加わって行ったのです。
そもそも神の家族は、何より、十字架の元に集められた家族です。それを忘れてはなりません。どのように和気あいあいとしていても、そこで十字架が見上げられていなければそれは神の家族とは言えません。親しく何でも話せる楽しい交わりがあったとしても、それが単に人間的な親しさにとどまるのであれば、神の家族とは到底言えません。十字架を見あげ、キリストによって結ばれた家族は、むしろ、言葉はなくても、またお互いの個人的なことは一切知らなくても、なおそこに愛の結びつきがあるのです。
ある牧師は「礼拝で隣の席に座っている人の名前も職業も住んでいるところも何一つ知らなくても、共に礼拝を捧げている時、そこに交わりがあり、神の家族が存在する」とおっしゃいました。逆にどれほど親しく会話やして共に活動をしていても、十字架を見上げていなければ、それは世俗のお付き合いと何ら変わりません。十字架を見上げるとき、そこにはおのずと祈りと神への賛美があります。逆にいますと祈りも神への賛美もない活動や交わりは、ただの世俗のコミュニティに過ぎません。そしてその世俗のお付き合いのようなあり方が教会に浸潤していくとき、むしろ、神の家族としての教会を深いところから破壊するのです。
さて、主イエスの母マリアと愛する弟子は、それまでどのような関係であったかは分かりません。愛する弟子の側からしたら、主イエスのお母さまですから、当然、それなりの敬意や親しみは持っていたかもしれません。しかし、赤の他人を自分の家に引き取って共に暮らすということは、現実的には、けっして簡単なことではないと考えられます。しかし、主イエスの十字架を共に仰ぐとき、人間的な相性や生活上の問題を越えて、神の家族は立ち上がるのです。愛の家族として立ち上がっていくのです。
<愛する弟子>
しかし、少し不思議です。女性たちは個人が特定されるように語られているのに対し、「愛する弟子」は名前が記されていません。ヨハネによる福音書では「愛する弟子」という言葉がたびたび出てきます。そしてこれは、この福音書の著者とされている使徒ヨハネのことであろうと伝統的に考えられてきました。ではなぜ、ヨハネと書かず、「愛する弟子」と記されているのか、それには諸説あります。
学問的には諸説あるのですが、一つ考えられますことは、「愛する弟子」と、あえて特定の個人を挙げられていないのは、「愛する弟子」にはキリストに愛されている者すべてに広がるニュアンスが含められているのではないかということです。母マリアと「愛する弟子」によって神の家族が立ち上がりました。しかし、「愛する弟子」とはまた私たちのことでもあります。私たちが、十字架の主イエスから母マリアを指し示され「見なさい、あなたの母です。」と告げられているとも言えるのです。これはけっしてうがった見方ではないでしょう。母マリアは母なる教会をあらわしています。その教会とつながる私たちはキリストの愛する弟子です。そこにまぎれもなく神の愛の家族が立ち上がるのです。「愛する弟子」と呼ばれる私たち、つまりほかでもない、私たち一人一人が、神の家族としてキリストに招かれているのです。十字架は受難であり悲しみでありながら、そこからまことの愛の交わりが生み出された神の愛の出来事でした。暗闇にさす、光でありました。いま愛されている弟子として私たちにも光が注がれています。一人一人は、仮に孤独であっても、なお私たちは、母なる教会に結ばれています。そして私たちはキリストに愛されている者として、神の愛の家族の一員として喜びの内に歩みます。
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