自動車評論家の前澤義雄氏が亡くなって3週間が経ちました。
訃報を知ったのは、清水草一氏のブログで、しかもそのブログがアップされてから3日後のことでした。
信じられない気持のまま、12月10日発売のベストカーを購入しましたが、残念ながら本当に追悼特集が組まれていました。
ひげめがねは自動車雑誌『ベストカー』を16年以上購入し続けていますが、後半の10年は前澤氏と清水氏の「デザイン水かけ論」を読むためだけに購入していた、と言っても過言ではありません。一体ひげめがねは今後ベストカーを何のために買い続ければよいのでしょうか?あ、水野和敏氏の不定期連載は読みたいのでしばらくは買い続けます。
「デザイン水かけ論」の連載が始まったのは2002年の8月からとのこと。それを最初に読んだ時の感激は、12年経ったいまでもよみがえってきます。そのコーナーには連載が始まってから1年くらい前澤義雄氏のプロフィールがついていました。Z32フェアレディZとP10プリメーラのチーフデザイナーだったと知り、なるほど只者ではないと感じ入りました。クルマ好きにとって、その2台をデザインした人、といえばひれ伏すしかありません。実際、連載開始数年後から読み始めた人の中には「なんちゅー尊大な発言をするこいつは何者だ?」と思っていたが、その経歴を聞いて180度読む姿勢が変わった、という人すらいます。
とにもかくにも「デザイン水かけ論」は私の中では空前絶後、自動車界の革命的な連載でありました。2ページのうち、数枚のディテールもよくわからないモノクロ写真を載せただけで、あとは対談とデザイン論という構成では、ふつうは読む気がしません。しかし、読ませてしまう、そして、考え方が破壊される。よくわからないのに、また読みたくなる。こんな連載は、自動車業界だけにとどまらずほかの分野でもなかったことでした。審美眼だけでなく、物事の考え方、生き方にまで影響を受けました。ひげめがねには全くない要素である、ダンディズムまで考えさせてくれました。
1か月前に亡くなった徳大寺有恒氏は神様のような存在でしたが、前澤さんが亡くなったのは自分のじいちゃんが亡くなったようで本当に寂しいし、空虚な気持ちに襲われます。ああ、あの連載がもう読めないんだなあ、と。
今号のベストカーを10回くらい繰り返し読み直して、追悼したいと思います。
訃報を知ったのは、清水草一氏のブログで、しかもそのブログがアップされてから3日後のことでした。
信じられない気持のまま、12月10日発売のベストカーを購入しましたが、残念ながら本当に追悼特集が組まれていました。
ひげめがねは自動車雑誌『ベストカー』を16年以上購入し続けていますが、後半の10年は前澤氏と清水氏の「デザイン水かけ論」を読むためだけに購入していた、と言っても過言ではありません。一体ひげめがねは今後ベストカーを何のために買い続ければよいのでしょうか?あ、水野和敏氏の不定期連載は読みたいのでしばらくは買い続けます。
「デザイン水かけ論」の連載が始まったのは2002年の8月からとのこと。それを最初に読んだ時の感激は、12年経ったいまでもよみがえってきます。そのコーナーには連載が始まってから1年くらい前澤義雄氏のプロフィールがついていました。Z32フェアレディZとP10プリメーラのチーフデザイナーだったと知り、なるほど只者ではないと感じ入りました。クルマ好きにとって、その2台をデザインした人、といえばひれ伏すしかありません。実際、連載開始数年後から読み始めた人の中には「なんちゅー尊大な発言をするこいつは何者だ?」と思っていたが、その経歴を聞いて180度読む姿勢が変わった、という人すらいます。
とにもかくにも「デザイン水かけ論」は私の中では空前絶後、自動車界の革命的な連載でありました。2ページのうち、数枚のディテールもよくわからないモノクロ写真を載せただけで、あとは対談とデザイン論という構成では、ふつうは読む気がしません。しかし、読ませてしまう、そして、考え方が破壊される。よくわからないのに、また読みたくなる。こんな連載は、自動車業界だけにとどまらずほかの分野でもなかったことでした。審美眼だけでなく、物事の考え方、生き方にまで影響を受けました。ひげめがねには全くない要素である、ダンディズムまで考えさせてくれました。
1か月前に亡くなった徳大寺有恒氏は神様のような存在でしたが、前澤さんが亡くなったのは自分のじいちゃんが亡くなったようで本当に寂しいし、空虚な気持ちに襲われます。ああ、あの連載がもう読めないんだなあ、と。
今号のベストカーを10回くらい繰り返し読み直して、追悼したいと思います。
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