杖を持っているるからだろう、今朝の出勤途中(日が変わったから昨日と書くべきか)、自分の母親程の年齢の方から席を譲っていただいた。特に強い痛みがあるわけではないが、左足をかばうあまり右足への負担が大きく、正直ありがたい「気持ち」だった。しかし、ひと駅ということもあり、今日のところはお礼を述べて丁重にお断りした。
普段、身体の不自由な人や妊婦さん、幼児を抱える人などと乗り合わせた時はもちろん自分も必ず席を譲るようにはしている。階段で苦労をしている人がいた場合も荷物を持つ手伝いを心掛けてもいる。しかし、「必ず」ではないのが、高齢者と乗り合わせた時。「私は座るのよ」という勢いで、元気に駆け込んでこられると、ちょっとしたためらいがあるのは事実。今日、親切を受け、いくら、元気そうでも高齢者を敬う気持ちは常に持つべきなのかもしれないと思った次第。けれど、席を譲ってくれないと分かると、少し移動して別の人の前へ、そしてまた次へと移動しているおばさんを見かけると……。まだ、修行が足りないかな。
ちょっと困るのが、自分も体調が悪い時。自分は腰痛持ちなので、時々とてもつらい時がある。あるいは、仕事で疲れたときなどはわざわざ始発電車を選択して乗車することもある。外見は普通の健常者。こうした時にどのように対処したものか。まぁ、親切は自分が無理をしてするものでもないのだろうし……。
いずれにしても、困っているときに差しだされた親切はとてもありがたいものだと、改めて感じた次第。あらゆるシーンで、「無関心」が話題になる昨今、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
普段、身体の不自由な人や妊婦さん、幼児を抱える人などと乗り合わせた時はもちろん自分も必ず席を譲るようにはしている。階段で苦労をしている人がいた場合も荷物を持つ手伝いを心掛けてもいる。しかし、「必ず」ではないのが、高齢者と乗り合わせた時。「私は座るのよ」という勢いで、元気に駆け込んでこられると、ちょっとしたためらいがあるのは事実。今日、親切を受け、いくら、元気そうでも高齢者を敬う気持ちは常に持つべきなのかもしれないと思った次第。けれど、席を譲ってくれないと分かると、少し移動して別の人の前へ、そしてまた次へと移動しているおばさんを見かけると……。まだ、修行が足りないかな。
ちょっと困るのが、自分も体調が悪い時。自分は腰痛持ちなので、時々とてもつらい時がある。あるいは、仕事で疲れたときなどはわざわざ始発電車を選択して乗車することもある。外見は普通の健常者。こうした時にどのように対処したものか。まぁ、親切は自分が無理をしてするものでもないのだろうし……。
いずれにしても、困っているときに差しだされた親切はとてもありがたいものだと、改めて感じた次第。あらゆるシーンで、「無関心」が話題になる昨今、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。