「分断」という言葉をよく目にする。90年代に「差別」に対する批判が世界中で取り上げられ、差別用語の使
用が制限され、一時的にせよ融和が生まれつつあるような状況になった、気がした。そしてジャーナリズムは
そこに大きく貢献したように思えた。しかし、トランプ元大統領の一連の発言に代表されるように、世界で「
本音」が叫ばれ、「フェイク」が独り歩きするようになる。
相変わらず各地で紛争、内戦、戦争が起こり、弱者(本書では傷つきやすいという意味)はさらに過酷な状況
に追い込まれていく。9.11以降「テロとの戦い」は完全に恣意的に使われるようになる。テロは絶対的な
悪であり、野蛮なモノだから殲滅してもいいのだという論理。そして戦いを仕掛ける自分(大国)たちは正義
であると主張する。これは「文明vs野蛮」なのだ。だから空爆も作戦の一つで、その為に犠牲になった一般市
民に言及することは殆どない。
本書では欧米の主要メディアとカタールのアルジャジーラの報道を並列して紹介している。そこには欧米の報
道では知りえない、中東の現実と主張が繰り広げられている。本書を読んで初めて知ったのがアラビア語が通
じる範囲は広大で書き言葉がほぼ共通しているので、イラク、クウェート、バーレーン、カタール、UAE、
オマーン、イエメン、サウジアラビア、ヨルダン、シリア、パレスチナ、レバノン、エジプト、リビア、チュ
ニジア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア、スーダンという国々でSNSを読むことが出来るという。
世界の中の日本の立場を日本人自身がもっと考えていくべきだ。アメリカの世界に与える影響が縮小している。
アメリカの傘の下に日本が居る事は事実だが、只必死について行くだけでは危うい立場に陥ることも有り得る
ことを肝に銘じておいた方がいい。
プロパガンダ戦争 内藤正典 集英社新書