梨栽培が文献に初めて登場するのは 7世紀末
「日本書紀」持統天皇が栽培を激励したとの記述がある・・・とのこと
明治になって長野県内にも安曇野や諏訪などで産地化が進んだが
その後、ワサビや精密工業にシフトした地域に代わって
成長したのが伊那谷で
栽培事始め100年を迎え
蚕産が盛んだった時代
周囲の反対や幾つもの困難に研究を重ね
果樹に適した風土に恵まれ 栽培は軌道に乗った
そんな先駆者の皆様の苦労の上で
こうして生活できていることを忘れてはいけない
農業も後継者不足 遊休農地の増加など
減少傾向に歯止めがかからない状態の中
20代 30代の若手農業者の会
「若武者」を組織し勉強会や研修を行っているとのこと
(信濃毎日新聞 斜面を引用)
ちょうど梨の出荷の時期
私たちの小さなグループにも
アイターンの30代半ばの夫婦が
研修しながら 一緒に働いている
米作り、野菜作り、果物作り…と
まさに研修中、仕事が終わると
午後からは研修会などに出かける
よく働き、本当に真面目で言うことがない
先が 長いから 突っ走り過ぎちゃだめだよ!と心配するくらい
大切な金の卵である
写真は彼女の農女スタイルです
モンペに 指のない地下足袋スタイル
逆に都会のイメージなのだろうか
どこで買ったの?と
私たちが質問している ((笑))
さすがにコンビニにこれで入ると ジロッと見られるらしい…
私たち田舎者の忘れかけたスタイルだ!
断捨離が始まった私たちは
着やすいものを着てくるから意外とオシャレ
今さら、新しいものは買わないし
何を着ても似合わないし
・・・・・・・・・・・・・
一緒に働きながら
未来を担うこの若者たちが
今の希望を失うことがないように
自分たちは逃げ切るのではなく
この先をどう切り開いていってくれるのか
繋がれてきた歴史を
大変だけれど
それを知った上で
少しでも良い形のバトンにして渡してあげたい
切に思うことです