まだ4月かぁ~とため息をつく私・・・
母が他界して まだ2か月しか経っていない。
もう 何年も経ったような気がする。
ふた月前のあの日、家族葬を希望した私・・
母の付き合いは広く とんでもない数の人々が
集まるのが予想されていた。
(実際、祖母の葬儀の時は母に義理立てして 普段
付き合いがない筈の祖母の為にあふれる位の人達が
集まった事を思い出す。)
不幸中の幸い その日だけ雪が降り コロナを理由に
弔問をお断りする口実ができた・・・
俺の想いが天に届いた気がした。
それでも 来て下さる方達は真実の友・・・
(ありがとうございました・・・)
義理で来る人達やトアル宗教団体の布教目的の
CMのような同志葬で汚されたくはなかった。
母にゃ~悪いが 静かに送り出したかったのだ。
葬式なんざぁ~残された家族の物であり
俺達が納得すりゃぁ~それで良いのではないかと・・・
4月・・・
僅かの間に 気候は変わり 景色は変わる 新しい月
まるで2月の寒さが 遠い昔の事のように感じたのかも・・・
ps 私の精神の安定は、仏教に傾倒していたからだろう・・
教えを聞いて 自力で悟る・・・
「我見」という言葉は 勝手な自分の解釈とされるが
こりゃ~カルトにゃ利敵行為の言葉だ。
押し付けられた「我見」に振り回されると 損ばかり
して時間を奪われ 暇つぶしになる事必定・・・
いま ここで 生活の中で生き辛さを感じながらも
夫々の立場で 教えに触れ 自力で感じる事こそ
大切なのではないだろうか・・・
仏教は素晴らしい・・・
餓鬼共がそれを台無しにしているだけなのだ。