2012年記事
ポンコツ太郎(軽トラ)が復活した・・・
あーでもない こーでもないと 迷いながらの思索ではあったが
デストリビューター以外に原因があったとは・・・
「んなもん素人になおせるかっ!」と地団太を踏んだのだ。
しかし 復活した・・・
修理業の方達の手前も考えて修理の実況について ここで
深くは書かない。なんと言っても今回のテーマは「友」
我が愛しの軽トラ復活の影の功労者U氏のご尽力があった事を
書かねば 彼への恩義に報いる事が出来ないのである。
出会ったのは今年の春頃・・・
トある共通の師匠が他界される あれは確か・・・2ヶ月位前に
師匠が来る用事も無いのに わざわざ思いついた様に
彼U氏を伴い当事務所にて顔つなぎをして下さったのであった。
師匠「まあー!このUは お前と言う事とする事が よく似ておって
なあ・・・可笑しかったんで 引き合わせようと思ってな・・・」
この会話が師匠の最後になってしまった。
あれ以来の付き合いだが お互い意気投合して 今でも一日中
スカイプで会話する事が多い・・・ まるで 百年間会えなかった
友人と再会し 逢えなかった時を惜しむように夜中まで語り合う
姿は妻に言わせて見れば 可笑しな光景らしい・・・
メモリ不足で相手の声が聞こえなくなるとパソコンにすがり
「Uさん!Uさん!」と連呼する私の姿が滑稽らしいのだ。
なんと言っても驚かされるのは 彼の知識の豊富さ・・・
これは判らないだろうと 専門の知識を投げかけると 答えを
10倍に色をつけて返してくる・・・徹底的なインテリなのだ。
あらゆる分野に精通する彼は 自分から語り出す
人間パソコンの様な男なのだ。
まあ それも其のはず 同級生である彼は 私と違い、誰もが知る
県下一の名門進学校出身。だからと言ってインテリ特有の嫌味が
丸で無いのには貴重さを感じる。常に相手を気遣う人格を見るに
余程 苦労されたのではないかと察した・・・実際 勤めた企業の
繁栄は彼の手案で立て直した部分に寄るものが大きいみたいだ。
長州の桂小五郎が軍学者、村田臓六(大村益次郎)を迎えた如く
今の私は彼に依存しているのかも知れない・・・
(人を当てにしない私が・・・)
自分だけが頼りだと 一匹狼を決めた人間としては こんなに心強
い事は無く 引き合わせして 亡くなられたA師匠に感謝しておるの
であります。
PS 初っ端 会話したての頃 お互い 敵だと勘違いして
にらみ合い黙り込んだのも 不思議な縁・・・
酒嫌いの私達はジュースで乾杯しつつ人生を
語り合うのでありました。
※ 酒嫌いの理由は 深酒して 酩酊し 応戦できず
寝首をかかれそうだから嫌だと言うのも共通点。
二人とも 飲めないのではない 飲まないのだ。
いつも とんでもない事になります。わしの村田蔵六先生でありドラえもん的存在なのであります。
自分の友人に歴史好き・・・(いや、もはやオタクかな。)な人がいます(^^)/
かな~り歳の離れた友人です♪
その人と木彫りの信長像を見に行ったのはいい思い出です♪♪
前世からの友人だったりして・・・。
出会いは大事です。
これからも長いお付き合いが出来るといいですね^^