こんにちは(^-^)
日本音楽脳育協会認定佐賀教室ほんわか中島直子です。
昨日の朝のこと。
預かり保育の予定の娘と、
預かり保育用のバッグを準備して園バスを待つ。
バスが来て、いってらっしゃーい(^^)/
と、見送った後で、
私の左腕に残されたままの
バッグ(≧▽≦)
ドラえも~ん!!
どこでもドアー!!
の心境で、
お昼勤務のあと、届けました(*^^*)
(あーもう! あと一分早く気づいてたら!)
(私が持たず、はじめから娘に持たせてたら!)
後悔先に立たず。
皆さんも、こんな経験おありですか?
今回のような、うっかり談は良しとしても、
ずっとずっと抱えてしまう、
後悔の念から抜けられないことも、あるでしょうか?
私はあります。
今でも思い出すのは
父のこと。
もう、亡くなってから
20年以上も経ちますが、昨日のことのように思い出します。
父は末期ガンを申告されてから
手術せず、一年半、ほとんどを自宅で過ごし
家族とたくさんの思い出を作り、
本当に最後の一、二ヶ月くらいだけ
病棟で過ごしました。
その期間の苦しみがとても…
悲しくて、
亡くなったとき、
(苦しみから解放されて)よかった、とさえ思ったのを覚えています。
最期は体のどこをふれても
こりこり ぶよっとした感触があり
あのとき父は笑って私に触らせたけど
全身ガンに侵された自分を
必死で受けとめていたのかなと、
思います。
後悔したこと。
自宅から、病院に入院するかどうかの瀬戸際のある日
かなり痛みもあった時だと
今なら察することができるけど
どこへ行っても
ゆっくり、とてもゆっくり
歩く父を、
忘れもしない、1度だけ、
「遅い」って
思った自分。
その自分を、父の死後、ずっと、許せずにいました。
遅いって思って振り向くと
父が穏やかな表情で
こちらを見てる。
きっと、私の遅いってメッセージも父に伝わっていたんだと思います。
亡くなるときの後悔もあり。
病院にいた母から電話が来て
母の友人と駆けつけると
すでに延命治療がされていて
母も、母の友人も泣いて
私はそんな中
お父さん!と声がとっさに出てからは
病室を出て
公衆電話から
色んなところに電話を掛けていました。
親族だったかな
父の大切な友人だったかな
父の最後の最後を見届けるよりも
電話をかけることを優先した自分。
ずっと、取り返しのつかない後悔として心にありました。
高校1年生の私が選んだ最善のことだったと思うことで、なんとか
過ごしてきました。
そんな大きな後悔の塊を
少しずつ小さく
イメージだと、まぁるく
してくれた出会いのひとつ。
緩和ケアについての理解。
地域での取り組みについて知ったことがきっかけで、「亡くなる時」の見方が大きく変わりました。
緩和ケアとは?
できるだけ苦しまずに最期を迎えたい。
できるだけ家族が苦しむのを見たくない。
多くの人がそう、思っていると思います。
それだけでなく、
苦しみを抱えながらも
支えを感じながら生きられるという希望があると、とても力になります。
こんな本に出会いました。
命の最終段階においても確かに支えを感じ穏やかに生きれること、またその家族の援助ができる人材の育成に取り組まれているお医者さん
エンドオブライフ・ケア協会理事
小澤竹俊先生の著書です。
こんなお医者さんや医療に関わる方ばかりの地域になったら
そして、医療従事者だけでなく
私たち一人一人も
専門的な分野の知識はなくても
「心のあり方」 という点で培えるものがあれば、地域としてもっともっと支え合えるのではないかと思います。
どんな状況であろうと
今までの人生、現在の人生、未来の人生を肯定できること。
常に、支えを感じながら生きられること。
過去に後悔の日々。
夢で塗り替えたいくらいの
誰に話しても分からないだろうと思っていた後悔から、
ほんの少し自由になれたこの頃です。
日本音楽脳育協会【音育児】と同様
スッと心におちる感覚でした。
小澤先生の新刊はこちら(^-^)
気になる方はぜひ(^-^)
来週のポッケデポに講師として来てくださる笠原先生も緩和ケアに取り組まれているお医者さんのお一人です。
誰もが経験する命の始まりと終わり。
今の生活の助けになる情報はもちろん、
これからの暮らしにきっとプラスになる講話を是非、聞かれてみませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました(^-^)