12月1日になりました。
今年も残すところあと一ヶ月。早いモンです一年は。
百代の過客という言葉が身に染みます。
「正月は冥土の旅の一里塚」と詠んだ方のお気持ちも年ふるごとに判ってくるようになりました。
しかし、未だに覚悟もできてなければ備えもできていない。
判ってきただけで性根に据えてないところが、未熟者の未熟者たるところと開き直ります。
だって、20~30代でそんなこと毛ほども思わなかったモノ。
今は、チラッと頭をかすめますがそれよりも日々の暮らしに追われています。
待ちがハロウィンが終わるやいなやクリスマス商戦に突入したので、子供も目の色が変わっています。プレゼントを嬉々として選んでいる姿を見て、親としては可愛いやらなんとやら。
「なあ~、プレゼントって送り主が、送る人にその価値があると思って送るんだって判ってる?」
と、家事をしている合間に聴いてみると・・・。
「ええ~!そうなの!」
(お馬鹿・・・そうなんだよ・・・)
反応が子供だというか、素直すぎるというか・・・。
「お前がプレゼントをあげようと思う人は、どんな人?」
「・・・なるほど・・・そうだったのか~・・・。」
いまいち、最後の言葉の意味がとれない親でしたが・・・判ったかい?
無条件にプレゼントあげてると思うなよ。
クリスマスは、一年間のがんばりに敬意を表してあげるんだからね。(まあ、いわば親からのご褒美だわな)
などと、つらつら考えておりました。
本当に、プレゼント(贈り物)っていろんな気持ちが込められていますよね。
モノだけでなくグリーティング・カードや時候のお便り一つ一つにも気持ちは込めることができるし、込められているモノ。
こういうモノが豊富な時代なので、あらためて贈り物に託す心というモノを考えてみたい季節だにゃ~とか、つらつら考えています。
今日の私は、ちょっと頓珍漢な哲学者のようでございますのことよ。