毎日のように見ているはずの土手に、いつの間にかすみれが満開。
庭での収穫、小松菜の薹(とう)。生でかじっても甘くて美味しい。
昼食のスパゲッティの具になる予定。
これから里山は5月下旬まで、次々と花が咲く極楽シーズンに突入です。
自然界の現実は着々と季節を移し、変わらず僕等を包んでくれていますが、モニターを前にするとついつい震災と原発事故の記事に目を引かれ、あふれる情報を掻きあさってしまいます。その中で著名な写真家である
藤原新也さんのブログにたどり着き、今まで読んだどの記事よりも心に響き、共感しましたので紹介させていただきます。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
18日から22日までの記事では、被災地に赴きその様子をupされています。アーティストの視点でとらえた現地の様子からは、メディアによる報道記事よりも被災地の状況をリアルに感じ取れました。
現地と安全圏にいる人間の意識のギャップについての追言など、現場に足を運び、かつ表現力がなければ伝えることが出来ない貴重な文章多々です。
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ラジオテレビから延々と流れる続ける希望の言葉、はげましの言葉。
言っておくがここ被災地の人々がその言葉を聞いている場面に一度も出くわしたことがない。
(03/22(Tue)の記事より)
......それから報道が入りやすいということは交通の便も良く、物資が届きやすいということでもある。
私が入ったその種の避難所はある意味で報道慣れ、物資慣れしている。
事務所に行って大きなビニール袋に入った食べもの3,4個手渡しても、ほどんど何が入っているかも確認せず、御礼も言うことなく受け取ってまるでベルトコンベアーみたいに物資の積まれた床に置く。
べつに感謝してほしいなんて思ってはいないが、こういったスレた避難所もあり、また報道も入りにくい物資に恵まれない避難所もあるということだ。
つまり避難所の格差社会化が今起こっているのである。
(03/24(Thu)の記事より)
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また03/30(Wed)の記事では、
今回の原発汚染報道、テレビに出演する学者の話にじっくり耳を傾けると、どうも東大系の学者の話が安全を強調する傾向が強いので不思議に思っていたところ、下記のようなレポートが3月27日 03:54にアップされていることに気づいた......
と、大阪芸術大学 芸術学部哲学教授・純丘曜彰博士の電力会社と大学との癒着実態のレポートを転載しています。
ぜひ御一読下さい。