2月9日は母かずえの誕生日でした。同居し始めたのが82歳の時でしたから、あれから5年も経ったのですね。前回の母かずえでお知らせした通り、インフルエンザ感染予防のため、現在母が入所している老健での面会は、1月28日から3月15日まで中止になっております。
イベントごとが大好きな人で、毎年誕生日には、美味しいものを食べに行ったりプレゼントをあげたりと、一大イベントなのです。
今年は誕生日当日に、それは叶いませんでした。そこでね、約4年前に私の次兄が母をハワイに連れて行った時の写真をご覧頂きながら、少しお話をさせて頂こうかと。
あ、これ「この~木 何の木 気になる木~」ですか~?
私は行ったことがないのでよく分からないのですが。
このハワイ旅行は2012年の12月でした。常夏ハワイでも、クリスマスツリー、飾るんですね。
母の母、つまり私の祖母は、とてもお洒落な人でした。洋裁・和裁、何でもこなす人で、料理もとても上手でした。その祖母が丁度80歳になった年、当時からツアーコンダクターをしていた私の次兄が、ハワイ旅行に連れて行きました。
母かずえも父が存命の時は、兄がツアコンとして同行しているツアーで、北海道や中国に行ったりもしました。ところがどうやら、かずえさんは祖母が行ったハワイがずっと憧れだったらしく、いつもハワイに行ってみたいと言っていました。
「歴史が好きやけぇ、お父さんが中国がええって言うたけど、お母さんはヨーロッパとかハワイがよかった」と罰当たりな事をね、再々言ってました。旅行費用は全て次兄持ちだったというのに。
「おふくろもいつまで元気でいられるかわかんないしな。ずっとハワイに行きたいって言ってたから、連れて行ってこようかと思う」4年前には認知症もまだ軽かったので、計画は着々と進みました。
それにしてもビジネスクラスじゃなくてもいいんじゃないの~?と貧乏性な私は、そう思っちゃいましたけどね。ホテルも最高級クラスの一流ホテルだったとか。こちとら庶民やぞ~!意味わからんぞ~。
次兄はとても気が短いので、たまに母を預かってくれる時も、短期間なのに母を叱りつけることがあるらしいのです。二人きりで、1週間の旅、短気を起こさないでいられるのかが、とても気がかりでした。でも、この笑顔ですからね。私の心配は杞憂だったようです。
裕福な家に生まれ、嫁いだ先は安サラリーマンの父の元でしたが、実家からの援助などもあったようで、お金の苦労という苦労をしたことのない母。
父と長兄は、母を着飾らせることが趣味の様な人たちでしたので、着る物にも不自由をしたことがありません。
幸せそうな母を見ていて、私は嬉しいという気持ちと同時に、同じ女に生まれながら、どうしてこうも母と自分は違うのだろうと、特に若い頃は羨んだりもしました。
私には、私にしかない幸せがあるのに、目の前で起こることに素直に喜んであげられない、心の狭い自分がずっといました。
今はもう、認知症のせいで、子供みたいになってしまった母を、そんな風に思うことはありませんけどね。
たまにこんちくしょう!って思うこともありますが、でもやはり、母の嬉しそうな顔を見ていたいなぁ・・・と思います。
着飾らせることが好きな長兄も、旅行に連れて行くことが好きな次兄も、脳梗塞で倒れた母、施設に入ってしまった母を殆んど見舞いには来ません。彼らは今「おふくろのことで金がいるようなことがあれば、全部俺たちが出す。」と言います。
洋服やバッグを買ってあげなくても、旅行に連れて行かなくても、お母さんは今、貴方たちが顔を見せに来てくれることを望んでいますよ、と心の中で思いますが、口には出しません。そんなことを言ってしまうと、大変なことになるのが分かっているから。
まぁ、親孝行って、自己満足以外のなにものでもありませんからね。私は私のやりたいようにやればいいんですよね。
お誕生日当日、施設へ電話を入れました。
「これまで誕生日にお祝いをしてあげなかったことは一度も無いんです。せめて、伝言をお願いできないでしょうか。お母さん、87歳の誕生日おめでとう。ちゃんと覚えているからね、会って直接おめでとうって言えないけど、おめでとうって思っているからね」
「こちらの都合で面会中止期間が長くなっており、本当に申し訳ありません。お母様には必ず、必ずそのお言葉を伝えさせて頂きますので、どうかご安心ください」
面会中止期間が終わったら、ケーキを買ってプレゼント持って、花束抱えて会いに行こう。それまで我慢だよ、かずえさん。
イベントごとが大好きな人で、毎年誕生日には、美味しいものを食べに行ったりプレゼントをあげたりと、一大イベントなのです。
今年は誕生日当日に、それは叶いませんでした。そこでね、約4年前に私の次兄が母をハワイに連れて行った時の写真をご覧頂きながら、少しお話をさせて頂こうかと。
あ、これ「この~木 何の木 気になる木~」ですか~?
私は行ったことがないのでよく分からないのですが。
このハワイ旅行は2012年の12月でした。常夏ハワイでも、クリスマスツリー、飾るんですね。
母の母、つまり私の祖母は、とてもお洒落な人でした。洋裁・和裁、何でもこなす人で、料理もとても上手でした。その祖母が丁度80歳になった年、当時からツアーコンダクターをしていた私の次兄が、ハワイ旅行に連れて行きました。
母かずえも父が存命の時は、兄がツアコンとして同行しているツアーで、北海道や中国に行ったりもしました。ところがどうやら、かずえさんは祖母が行ったハワイがずっと憧れだったらしく、いつもハワイに行ってみたいと言っていました。
「歴史が好きやけぇ、お父さんが中国がええって言うたけど、お母さんはヨーロッパとかハワイがよかった」と罰当たりな事をね、再々言ってました。旅行費用は全て次兄持ちだったというのに。
「おふくろもいつまで元気でいられるかわかんないしな。ずっとハワイに行きたいって言ってたから、連れて行ってこようかと思う」4年前には認知症もまだ軽かったので、計画は着々と進みました。
それにしてもビジネスクラスじゃなくてもいいんじゃないの~?と貧乏性な私は、そう思っちゃいましたけどね。ホテルも最高級クラスの一流ホテルだったとか。こちとら庶民やぞ~!意味わからんぞ~。
次兄はとても気が短いので、たまに母を預かってくれる時も、短期間なのに母を叱りつけることがあるらしいのです。二人きりで、1週間の旅、短気を起こさないでいられるのかが、とても気がかりでした。でも、この笑顔ですからね。私の心配は杞憂だったようです。
裕福な家に生まれ、嫁いだ先は安サラリーマンの父の元でしたが、実家からの援助などもあったようで、お金の苦労という苦労をしたことのない母。
父と長兄は、母を着飾らせることが趣味の様な人たちでしたので、着る物にも不自由をしたことがありません。
幸せそうな母を見ていて、私は嬉しいという気持ちと同時に、同じ女に生まれながら、どうしてこうも母と自分は違うのだろうと、特に若い頃は羨んだりもしました。
私には、私にしかない幸せがあるのに、目の前で起こることに素直に喜んであげられない、心の狭い自分がずっといました。
今はもう、認知症のせいで、子供みたいになってしまった母を、そんな風に思うことはありませんけどね。
たまにこんちくしょう!って思うこともありますが、でもやはり、母の嬉しそうな顔を見ていたいなぁ・・・と思います。
着飾らせることが好きな長兄も、旅行に連れて行くことが好きな次兄も、脳梗塞で倒れた母、施設に入ってしまった母を殆んど見舞いには来ません。彼らは今「おふくろのことで金がいるようなことがあれば、全部俺たちが出す。」と言います。
洋服やバッグを買ってあげなくても、旅行に連れて行かなくても、お母さんは今、貴方たちが顔を見せに来てくれることを望んでいますよ、と心の中で思いますが、口には出しません。そんなことを言ってしまうと、大変なことになるのが分かっているから。
まぁ、親孝行って、自己満足以外のなにものでもありませんからね。私は私のやりたいようにやればいいんですよね。
お誕生日当日、施設へ電話を入れました。
「これまで誕生日にお祝いをしてあげなかったことは一度も無いんです。せめて、伝言をお願いできないでしょうか。お母さん、87歳の誕生日おめでとう。ちゃんと覚えているからね、会って直接おめでとうって言えないけど、おめでとうって思っているからね」
「こちらの都合で面会中止期間が長くなっており、本当に申し訳ありません。お母様には必ず、必ずそのお言葉を伝えさせて頂きますので、どうかご安心ください」
面会中止期間が終わったら、ケーキを買ってプレゼント持って、花束抱えて会いに行こう。それまで我慢だよ、かずえさん。
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