ねこなんて大っ嫌い

ってずっと思ってたのに。
死にそうな子ねことの出会いが生きる力を与えてくれました。
バツ2でも結構幸せにやってます!

元兄嫁へのサプライズ結婚式

2017-04-09 05:55:55 | 雑記

日曜日の早朝から失礼いたしま~す。本日は、当ブログに頻繁に出て参ります「元兄嫁で今は親友となったもこちん」についてちょっと聞いて頂こうかなぁと思いまして

この写真はね、今から12年前の、もこちんの結婚披露パーティーの時の写真です。あ、私の兄と離婚した後の、二度目の結婚式のですよ。旦那様と結託して、サプライズ結婚式を行ったのです。

「もこに会わせたい大切な友人が上京してくるから、その日は空けておいて」と、もこちんの日程を早くから押さえて貰い、私と娘・息子、イニシャル希望のCさんとで着々と準備を進めました。

当日、何も知らず会場に到着したもこちんに、急いでレンタルしたウエディングドレスを着せ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたまま結婚披露パーティーへと突入しました

出席者は新郎の友人が10名ほど。こちら側は、私達に加え、もこちんの息子二人もサプライズ登場で、涙・涙のパーティーとなりました。

当日、あたくし、結婚式の友人代表スピーチをさせて頂きました。スピーチをご覧頂ければ、何故私達が、元嫁・小姑という関係でありながら、ここまで仲良くしてきたのかがご理解頂けるのでは・・・と思います。

本日の記事、これ以降全て文字のみでございます。
お時間に余裕があって、活字多くても平気よ~!という方のみで結構でございます。宜しかったら、最後までお付き合いくださいませ


只今ご紹介に与りました〇〇〇〇〇と申します。
△△さん、もこさん、本日は本当におめでとうございます。

実はいつも△△さんのことは「りんちゃん」もこさんのことは「もこちん」と呼んでおりますので、皆様にはお聞き苦しいかと思いますが、通称で呼ばせて頂きたいと思います。


お話をさせて頂く前に、一言お断りを申し上げます。
特に結婚式などでは、言っていい事といけない事という言葉や話がございますが、本日は、りんちゃんとも相談させて頂いた上で、
ここにお集まりの皆様の中には頭の固いトウヘンボクはいない。そんな人は呼んでいない。ということでございましたので、そういった慣習は無視させて頂くつもりでおります。どうかご理解頂きたいと思います。



私ともこちんが初めて出会ったのは今から30年前、私が17歳で彼女が20歳の時でした。実は当時、彼女は私の次兄の恋人として兄から紹介されたのでした。
その2年後、兄ともこちんは結婚し、以来もこちんと私は嫁・小姑の関係が20年位続きました。

「え?どうして?新婦の離婚相手の妹がこんなところにいて、まして友人代表のスピーチを・・・?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。常識的に考えてこういうケースはとても稀なケースだと私も思います。

しかしながら、彼女は私にとっては、親・兄弟以上に大切な人で、長い間「義理の姉」ではありましたが、今は、どう表現すれば私たちの関係を皆様に的確にお伝えできるのか難しいのですが・・・、友達であり肉親以上であり、とても大きくてとても大切な存在なのです。

それから、実はりんちゃんともこちんを引き合わせたのは私です。
りんちゃんとの出会いは、今から2年半位前です。
その話をする前に少し聞いていただきたい話がありますので、順を追ってお話させてください。



昭和52年当時、私は父の転勤先であった広島に住んでおり、そこにもこちんは嫁いで来ました。
私の実家の直ぐそばに住み、出張の多かった兄が家にいない時は毎日実家に来て、殆ど同居しているようなものでした。年齢の近い、しかも優しい姉が出来て、とても仲良くなりましたが、残念ながら3年後、兄の転勤のため、彼女は東京で暮らすことになりました。

その間私も結婚して、それぞれ二人の子供をもうけ、お互いに幸せな結婚生活を送っていたのですが、17年程前に、私の夫から「好きな人が出来たから別れて欲しい」と突然の離婚を切り出されました。

結婚して10年経っても夫のことがとても好きだった私にとって、それは物凄いショックで、それから数ヶ月の内には、ストレスからくる全身の湿疹と沢山の円形脱毛で心身ともに病み、気も狂わんばかりの状況になってしまいました。

毎日が苦しくて、でも死にたくても、子供たちのことを考えると死ぬこともできないという、地獄のような毎日を送っていました。


そんな日々に、本当に心から私を案じて支えてくれたのは、私の父でも母でも兄たちでもなく、ここにいるもこちんでした。


当時若くてまだお互いお金も無かったのですが、夫の転勤で京都に住む私に長距離電話で毎晩電話してきてくれました。生活費が10万円くらいだった当時、電話代で月に5万円以上使わせてしまったこともありました。

そんな最中、東京から京都に一度来てくれた事がありました。その時全身の湿疹から体液が滲み出ている私の身体は、周りの人達が目を伏せてしまうほどひどい状態でした。それなのにそれを見たとたん飛んできて、私の身体のあちこちを、汚がりもせず、わぁわぁと大声で泣きながら優しく撫で擦ってくれたことが忘れられません。

男尊女卑の権化のような厳しい父から「夫が浮気をするというのは、お前が妻としてダメだからなんじゃないのか」「子供は一人なら引き取っても良いが、二人は面倒見きれない」と言われた時も、泣きながら父に抗議してくれたのはもこちんでした。
舅姑にこれほど従順で優しいお嫁さんはいないと皆から言われていたもこちんが、父に反抗し意見したのは記憶にある限りあの時だけでした。

夫と別れる決断も出来ず、いよいよ心身共に追い詰められていた私に「もうこれ以上何一つ我慢しちゃダメ!今直ぐ東京に出ておいで。家も仕事も私が何とか探すから、そんな生活から早く抜け出さなきゃ〇〇がダメになっちゃう!」と力強く言ってくれたのも、もこちんでした。結局、その言葉で決心を固めて夫と別れ、こちらに出てきたのが、今から15年前の事です。

スープの冷めない距離に住み、週末は毎週のようにどちらかの家に行ったり来たりの生活が始まりました。もう電話代を気にすることもなく、話したい時はいつでも話せる環境になり、生活は苦しかったのですが、本当に楽しい日々でした。


そして、それから数年が経ち、今度は私の兄が、義姉と子供たちを置いて家を出て行きました。
あの頃の悪夢が蘇るようでした。


人の心は誰にどうすることもできません。
確かに誰かを好きになって誰かをもう好きでいられなくなったと言われれば、言われた方は、それを受け入れるしかありません。

その時私達は、そういう人をパートナーとして選んでしまった自分の愚かさを悔やむことしか出来ませんでした。

私にとっては血を分けた兄がそういうことをしたということのショックと、大切に思っているもこちんの苦しみを、どうしてあげる事も出来ない自分の無力さに何度くやし涙を流したかしれませんでした。

奇しくも同じような経験をして、同じような悲しみを背負ってしまった私たちが、益々親密になっていったことは想像に難くないと思います。

性格は全く正反対の私達ですが、お互いに自分に無いものを持っているお互いを、理解し合い、助け合い、支え合って生きてきました。


渦中にいる時には気付かなかった事も、時が経ち、経験したからこそ分かったと思える事も数多く得て、今はその経験に感謝する事さえあります。


兄と離婚してから立ち直るのに10年掛かったもこちんでしたが、人一倍寂しがり屋の彼女は一人でいることの寂しさから、心の中では人生のパートナーとなる人を求めていました。

しかし、現実は、二人の子供たちを育てる為に毎日必死で仕事をすることだけで精一杯で「もうこのまま一生一人ぼっちなんだろうね。もうこんなおばちゃんじゃ無理だよね。」といつも弱気の発言をしていました。

その度に「何言ってんの!もこちんは絶対に幸せになんなきゃダメなんだからね!もし幸せになれなきゃ、この世には神も仏もないってことなんだからね!!いざとなったら私がどんなことしてでも相手を見つけてくるから!」とカツを入れておりました。

彼女は現在、〇〇〇〇という食関係の会社の〇〇営業所内4店舗を総括する副支配人を務めております。
手に職もなく、二人の子供を抱えた、しかもかなり気弱な元専業主婦が、パート入社から正社員になることも大変な事ですが、
パートから契約社員、正社員を経て管理職にまでなった、〇〇〇〇始まって以来の快挙を成し遂げた只1人の人です。

いつも二人で話すのですが、私達のモットーは“ 潔し”ということです。彼女はいつも何事も人のせいにせず、そして最後まで責任を持ってやり抜くということを実行してきました。その結果が形として現れたという事だと思いますが、その努力は並々ならぬものがあっただろうと、本当に頭が下がる思いです。



さて、長らくお待たせいたしました。ここでりんちゃんの登場です。私は40の手習いでパソコンを始めたのですが、そのパソコンでインターネットのサイトを覗いている内、読書が趣味と言う人たちが集まったサイトに出会いました。決して派手さはないのですが、みんな真面目でしっかりしているといった印象のサイトでした。

掲示板での書き込みがとても面白く、時々参加するようになりました。その中で異彩を放っていたのがりんちゃんだったのです。

頭が良くて、穏やかで、しかも自分の意見をキチンと持っていて表現力も並外れている。
サイト上のハンドルネーム「りんた」
私はすっかり惚れ込んでしまいました。

それでもインターネットの世界はある意味虚構、架空の世界です。
どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのか、見分けることはとても難しい。

その内、サイトの人達が集まって親交を深めるというオフ会にも参加するようになり、実物大のりんちゃんを見ることが出来ました。
初対面の彼は、とても落ち着いていて、その風貌も、話し方・話の内容も、想像していた印象にとても近く、私はとても嬉しく思いました。

もこちんのパートナー探しをしていた私は、早速自分のアドレスを彼に知らせてメール交換を始めました。
実は彼女は人選びがとても苦手で・・・つまり彼女にはどの人もいい人に見えてしまうものですから、放っておく訳にいきませんでした。

メール交換を始めて半年ほど経ち、相当数のメールのやり取りで、「この人なら大丈夫」と確信し、もこちんにも話をし、三人で会うことになりました。

メール交換の時に「これまでの人生で一目ぼれの経験は僕にはない」と言い切っていたりんちゃんが、生まれて初めての「一目ぼれ」を経験したのはその日でした。

それから先は、私など邪魔者以外の何者でもありません。
私は大きな仕事を一つやり終えた気分で、二人がうまくいくといいなぁ~と、願うばかりでした。

その後私の娘や息子も交えて一緒に食事に行ったり、美味しいお酒を飲みに行ったりしてとても仲の良い二人の姿を見せて貰うことが出来ました。

本当に久し振りの、パートナーによってもたらされる幸せそうなもこちんの笑顔でした。

一年が過ぎた今年の春、夏になったら一緒に暮らそうと思っているということを聞かされ、心から二人を祝福したいと思いました。



りんちゃん、りんちゃんには何の責任もないのだけれど、知ってのとおり、もこちんは手負いの獅子です。
イヤ、獅子と言うよりも、無類のお人好しで人を疑うことを知らない、純粋で優しくて、それなのに大きな怪我をさせられてしまった妖精です。表面の傷は癒えているように見えますが、内面はまだ怯えや不安が時々頭をもたげ、彼女を苦しめます。

自分の幸せが続くことを信じることが出来ない、そんなもこちんに、幸せは続くのだということを信じさせてあげてください。

お風呂は空焚きするし、徳用ヨーグルトは座布団にひっくり返すし、思い出の時計はストーブで変形させてしまうし、新品の絨毯にサラダ油はぶちまけるし、ビックリするほどドジで泣き虫で弱虫なもこちんですが、彼女は私達のエンジェルです。

そんなもこちんをどうか宜しくお願い致します。

お二人、いつまでもお互いがお互いを幸せにしてあげてください。
本日は本当におめでとうございました。



あの日から12年の時が過ぎました。
もこちんは、りんちゃんによって、幸せは続くのだということを漸く信じることが出来るようになりました。

今が一番幸せなのだと、笑顔で話すもこちんを見ていると、神様はやっぱりいるのかもしれないな・・・と思う今日この頃。
こらこらお前~無信仰のくせに~



最後までお付き合いくださり、ありがとうございました
2つのボタンをぽちっとして頂けると、と~っても嬉しゅうございます



  
ポチ、ありがとうございました~