私が65年の人生の中で、この人ほど素直で、そして強い人はいないと思った人のことを、今日は綴ってみようと思います。
ただね、その人のことを褒めちぎる記事ではありません。本人もここを見てくれているので、少々気が引けますが、本当のことを書き綴ります。私の記憶に間違いがないことを祈って。
本日の記事は文章のみです。しかもかなり長いです。お忙しい方は、どうかこのままスルーしてください。
私がSちゃんと出会ったのは、今から26年前。25年間仕事をさせて貰った元職場でした。私が39歳、彼女が24歳くらいだったか。
その会社は、社長が一代で築いた同族会社。私が入社した当時、社員は80名以上いたのに、会社とは名ばかりで、まるで個人商店のようでした。ワンマン社長にその娘が専務。そして今日の話のSちゃんは、専務の娘です。姉妹で学生アルバイトからそのまま社員になったという、有り体に言うと世間知らずのお嬢さんたち。
専務もその娘たちも、社長の顔色はいつも神経質なほど伺っていましたが、社長が外出や出張などで目の届かない所では、仕事中に美容院に行ったり買い物に出たり。犬の散歩もあったなぁ。笑
社員の中には「あの人たちがいるとやる気をそがれる。給料貰っても良いから、真面目に仕事する気が無いなら出社しないで欲しい」と陰口を叩いている人も少なくなかった。
だけどそんな話を耳にしながら、私はそうかなぁと思っていました。私がもし彼女たちの立場だったら、もしかしたら同じことをしてしまうかもしれない。専務がいいと言っているのだし、社長が気付いてないなら、別にそれでいいような気もするけど。
誰がどんな仕事ぶりであっても、それを気にしてる暇があるなら、その分仕事に励めばいい。どうしても嫌だと思うのなら、陰口なんか言ってないで、本人たちに直接言えばいい。それが出来ないなら黙ってりゃいいのに。
配属された部署が一緒だった関係で、その内その姉妹の姉であるSちゃんとよく話をするようになりました。何となく、ウマが合うというのでしょうか。私が仕事人間だったので、頼って来てくれた場面もよくありました。入社して数年もすると、仕事だけでなく、プライベートも相談されるようになりました。
彼女は1年365日、母親から呼び出しが掛かれば、直ぐに言われた通りのことをしなければならない生活を送っていました。母親である専務が、その父親である社長に対して問答無用の絶対服従だったので、娘にもそれを求めたのだと思います。それは私の感覚でいうと、随分といびつな親子関係でした。
その頃から、休日、家に遊びに来るようになり、一緒に出掛けたりもしました。おそらく専務が電話をして来ないだろう日を選んで。
そんなある日「全くさぁ、うちの社員もパートも、仕事しないヤツはホントしないよね。給料貰ってるんだから、ちゃんと仕事しろよ!ってホント思うよ」と、彼女が腹立たしそうに言いました。
一瞬耳を疑った。え?貴女がそれを言う?
「でもさ、Sちゃんたち、仕事中に私用でよく出掛けるじゃない?そういう人が、他の社員を仕事しないと非難するのってどうなんだろう。貴女たちは、社長の孫だということで凄く運がよかったんだよね?私は運が良い人は、そうじゃない人の、何倍も努力しないと帳尻が合わないんじゃないかと思うのよね、人生の」
「そんなこと言われたの生まれて初めて・・・」とSちゃんはハトが豆鉄砲を食ったような顔をしました。
「じゃぁちょっと考えてみてよ。もし自分が孫ではなく普通にこの会社に入社して、社長の娘や孫たちが時々仕事を抜けて気ままなことをしてる。その人たちが自分の仕事ぶりを非難してくる。それ、素直に聞ける?そうだなぁって思える?」
「いや・・・絶対、思えない」
「本当にこの会社をよくしたいのなら、貴女たちのような立場の人こそが、率先して真面目に仕事しなきゃじゃない?上が頑張っていれば、それに続く社員も出て来ると思うのよ。あたしみたいに仕事が好きで、放っといても真面目にやるような人間は、多分ちょっと珍しいんだと思う。社員に真面目に仕事をして欲しいと思うなら、非難する前に、まずは自分がどうなのかを考えられる人になって欲しいな、私は貴女に」
私だって、誰にでもハッキリとものを言う訳ではありません。多分その頃、私にとってSちゃんは大事な人になっていたし、彼女が可笑しなことを言えば、それについて意見するのは、友人として誠実なことだと思っていたから。
時に事柄を変えながら、そういう会話を何度も繰り返していく内に、彼女はどんどん変わっていきました。その時、素直な心って、こんなにも人を変えるのか・・・と驚いたことを覚えています。
ところが話はこれで終わらない。
この頃同族会社のお家騒動が勃発しました。Sちゃんの母親である専務と妹は、言い方は悪いけど、控え目に言ってもタチの悪い人たちでした。アクの強い母親とそれを上回る癖のある妹に、支配されているような状態だったSちゃんは、その時私から離れていきました。
お家騒動の最中、どうしても教えて欲しいことがあると言われて「貴女を信じて言うけど、私から聞いたということは絶対に誰にも言わないと約束してね」と私はあることをSちゃんに話しました。その日の内に、その話は皆が知ることになりました。
素直な分、気弱だったSちゃんは、この時動揺し過ぎて、前後の見境がつかなくなったのだと思います。あぁそうか。この状況に耐え切れなくなってしまったのか。だから私を裏切ろうと思って約束を破ったんではないんだよね、きっと。そう信じたかった。
だけどそれから約10年、私は彼女たちから村八分の扱いを受けました。悔しかった。私にはそんな扱いを受けるいわれはない。それでもこれまで私を育ててくれた会社を愛していたし、積み上げて来た仕事を放り出して逃げ出す・・・ということは考えられなかった。
幸い同時期に私は部署の異動を命じられたので、これまでのように頻繁に顔を合わせることはなくなった。でも彼女たちのその態度は、今思い返しても酷かった。これまで彼女たちを中心に行われていた大事な会議には、私も必ず出席していたのに、一切呼ばれなくなった。まるで私がそこに存在していないかのような扱い。
前部署の給湯室に置いてあった私物を取りに行ったら、私の物は全て処分されていてどこにもない。同じ社内にいるのに、本人に断りもなく捨てる?あぁこれも嫌がらせか。倉庫に置いていた背骨を骨折した時の硬質のコルセットもどこを探しても無い。あれ、8万円もしたんだぞ!これはきっと、あの性悪の妹がやったことなのだろう。こういう意地悪をさせたら天下一品の女だったから。
奥歯をグッと強く咬みながら、帰宅途中念仏のように唱えました。私は負けない。家に帰ればポンちゃんがいる。私のことを待ってくれてるポンちゃんがいる。だから私は大丈夫。あんたたちなんかには、絶対に負けたりしない。
部署を異動してから10年が過ぎた頃、再び仕事でSちゃんとの接点が出来ました。無感情に、これは仕事なんだと自分に言い聞かせて、普通に話をするように心掛けました。ニコリともしませんでしたけど。だけど彼女が以前の様に、仕事に手を抜かなくなっていたのは明らかでした。
接点が出来てから2年ほど経った頃だったか、彼女が急に私の所にやってきました。
「〇〇さんにお願いがあります。Tくんが会社を辞めると言っています。今辞められたら会社は大変なことになります。私の説得では彼は聞く耳を持たないので、〇〇さんから話しをして貰えないでしょうか。お願いします」と深々と頭を下げられた。
ふ~ん、この10年間のことを踏まえた上で、頭を下げに来た訳ね。でもそれは、会社の存続を危ぶんで、切羽詰まった末の事なのね。
さすがに直ぐには返事をしませんでしたが、一人になって考えました。私に頭を下げるというのは、Sちゃんにとって、とても勇気のいることだったに違いない。私のことだから、何を言われるかもわからないし、相当怖かっただろう。元々気弱な人なのだから。そんな人が、会社を守りたい一心で私を頼って来たのだ。
後日Tくんと話をし、彼は留まることになりました。
「よく私に頼み事が出来たもんだねぇ。それくらい、会社のことを考えて、なりふり構わずがんばったって訳ね。その根性に免じて今回は引き受けた。だけど、私は自分がされたことは、多分だけど、生涯忘れないよ。想像以上に私は執念深い女だよ」
そう言うと、Sちゃんは「本当に本当にごめんなさい。私のしたことが、謝って許して貰えることだとは思っていません。でも何度でも謝りたいです。そして私、〇〇さんに教えて貰ったことは、ずっと守り続けています。今の私があるのは、〇〇さんのお陰です。本当にごめんなさい、謝ることしか出来ない私で本当にすみません。そして今回のことは、本当にありがとうございました」身を縮めるようにして訥々と思いを語る彼女。
その辺りから、仕事中もSちゃんと笑って話せるようになりました。
聞けば母親も妹も、相変わらずの様子でした。それでもSちゃんは、二人とある程度の距離を保ちながら、自分のなすべきことを懸命にやっている様子でした。それは他の社員から聞こえてくる言葉からも裏打ちされていて、間違いないことでした。
「なんでそんなに仕事がんばってんの?気持ち悪いんだけど。優等生ぶってんの?仕事なんか適当にやってりゃいいのに」と何度も妹に非難されたようでした。
想像を絶するんですよ、この妹。彼女は一週間に2~3回、家から洗濯物を持って来て、会社で洗濯をしています。干して畳んで持って帰る。さすがにそれはマズいと思った母親が注意しても、馬耳東風。私が退職する時も、それは続いていました。デスクには殆んどいつもいませんし、当然電話も取りません。みんなから陰で営業部洗濯課の人って言われるのも無理はないよね。笑
注意をすると不貞腐れて手が付けられなくなるので、それ以上は何も言えない母親。でもSちゃんには酷く当たり散らしていました。一見強そうに見えるけど、従順で反抗しないからね、Sちゃんは。
人とは弱いものです。朱に染まれば朱くなるという諺があるように、一緒に過ごすことの多い人たちの影響はとても大きい。どんな劣悪な環境でも、いつの間にかそれが当たり前で、普通だと感じるようになるものです。
あれから10年、あんな人たちと常に一緒に居て、なのにそれには染まらず、たった一人でそこまで一生懸命がんばれるって、貴女は本当に強い人だね。私がもし貴女と同じ環境で、今の貴女のようでいられるかと自問しても、全く自信がないよ。
素直で、そして強い人。それは最強の人だと私は思う。
「〇〇さんのお陰で、3人の娘たちは、親の私がいうのもなんですけど、本当に人として良い子たちに育ちました。娘たちの様子を見ていると、あの頃の私とは全く違っていて、とても嬉しいし、とても幸せな気持ちになります」
そんなSちゃん、私の退職日に、手紙を手渡してくれました。
そこにはSちゃんの溢れる思いが沢山詰まっていて、私は何度も何度も読み返しました。退職して間もなく1年になりますが、いつでも手に取って読めるように、今もデスクの片隅に置いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d7/fe21a11d08dca6b03c1856494f358eb1.jpg)
もこちんが言いました。「あのね、友達選びで一度も失敗したことのない〇〇の、唯一の失敗がSちゃんだったじゃない?私はそれが残念で悔しくてならなかったの。〇〇の人生の汚点だ!くらいに思ってた。だけどこうなってみて、やっぱり〇〇の目に狂いはなかったって思ったら嬉しくて。色々あったけど、本当によかったね」
そうだ、私はこういう人たちに囲まれているから、今の私でいられるのだ。Sちゃんのような、過酷な環境に身を置いてはいないのだ。改めて、周りの友人たちに感謝しなくては。
私が強く生まれたいと思ってそうなった訳ではないのと同様に、Sちゃんも元来の気弱さは、望んでそうなった訳じゃない。人はみな、そうだと思うのです。だからSちゃんは、その気弱さゆえに、あの時、過ちを犯してしまったのかもしれない。でもね、それに気付いて己を反省することが出来れば、取り返しのつかないことにはならない、と私は思います。まぁあれに懲りて、自分を信頼してくれる人を二度と裏切らないように・・・ね、とは思うけど。
これからもSちゃんが、これまで通り、素直で強い人であり続けて欲しいと願わずにはいられない。ま、あたしなんぞが願わなくても、彼女はちゃんと自分の手で幸せを掴んでいくのだろうけど。でも最後に言わせてね、ガンバレSちゃん!!これからもあたしは貴女のこと、応援してるよ。ウソじゃないよ、ホントだよ。笑
思い出したくないことまで、一杯書いてごめーん![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0162.gif)
ただね、その人のことを褒めちぎる記事ではありません。本人もここを見てくれているので、少々気が引けますが、本当のことを書き綴ります。私の記憶に間違いがないことを祈って。
本日の記事は文章のみです。しかもかなり長いです。お忙しい方は、どうかこのままスルーしてください。
私がSちゃんと出会ったのは、今から26年前。25年間仕事をさせて貰った元職場でした。私が39歳、彼女が24歳くらいだったか。
その会社は、社長が一代で築いた同族会社。私が入社した当時、社員は80名以上いたのに、会社とは名ばかりで、まるで個人商店のようでした。ワンマン社長にその娘が専務。そして今日の話のSちゃんは、専務の娘です。姉妹で学生アルバイトからそのまま社員になったという、有り体に言うと世間知らずのお嬢さんたち。
専務もその娘たちも、社長の顔色はいつも神経質なほど伺っていましたが、社長が外出や出張などで目の届かない所では、仕事中に美容院に行ったり買い物に出たり。犬の散歩もあったなぁ。笑
社員の中には「あの人たちがいるとやる気をそがれる。給料貰っても良いから、真面目に仕事する気が無いなら出社しないで欲しい」と陰口を叩いている人も少なくなかった。
だけどそんな話を耳にしながら、私はそうかなぁと思っていました。私がもし彼女たちの立場だったら、もしかしたら同じことをしてしまうかもしれない。専務がいいと言っているのだし、社長が気付いてないなら、別にそれでいいような気もするけど。
誰がどんな仕事ぶりであっても、それを気にしてる暇があるなら、その分仕事に励めばいい。どうしても嫌だと思うのなら、陰口なんか言ってないで、本人たちに直接言えばいい。それが出来ないなら黙ってりゃいいのに。
配属された部署が一緒だった関係で、その内その姉妹の姉であるSちゃんとよく話をするようになりました。何となく、ウマが合うというのでしょうか。私が仕事人間だったので、頼って来てくれた場面もよくありました。入社して数年もすると、仕事だけでなく、プライベートも相談されるようになりました。
彼女は1年365日、母親から呼び出しが掛かれば、直ぐに言われた通りのことをしなければならない生活を送っていました。母親である専務が、その父親である社長に対して問答無用の絶対服従だったので、娘にもそれを求めたのだと思います。それは私の感覚でいうと、随分といびつな親子関係でした。
その頃から、休日、家に遊びに来るようになり、一緒に出掛けたりもしました。おそらく専務が電話をして来ないだろう日を選んで。
そんなある日「全くさぁ、うちの社員もパートも、仕事しないヤツはホントしないよね。給料貰ってるんだから、ちゃんと仕事しろよ!ってホント思うよ」と、彼女が腹立たしそうに言いました。
一瞬耳を疑った。え?貴女がそれを言う?
「でもさ、Sちゃんたち、仕事中に私用でよく出掛けるじゃない?そういう人が、他の社員を仕事しないと非難するのってどうなんだろう。貴女たちは、社長の孫だということで凄く運がよかったんだよね?私は運が良い人は、そうじゃない人の、何倍も努力しないと帳尻が合わないんじゃないかと思うのよね、人生の」
「そんなこと言われたの生まれて初めて・・・」とSちゃんはハトが豆鉄砲を食ったような顔をしました。
「じゃぁちょっと考えてみてよ。もし自分が孫ではなく普通にこの会社に入社して、社長の娘や孫たちが時々仕事を抜けて気ままなことをしてる。その人たちが自分の仕事ぶりを非難してくる。それ、素直に聞ける?そうだなぁって思える?」
「いや・・・絶対、思えない」
「本当にこの会社をよくしたいのなら、貴女たちのような立場の人こそが、率先して真面目に仕事しなきゃじゃない?上が頑張っていれば、それに続く社員も出て来ると思うのよ。あたしみたいに仕事が好きで、放っといても真面目にやるような人間は、多分ちょっと珍しいんだと思う。社員に真面目に仕事をして欲しいと思うなら、非難する前に、まずは自分がどうなのかを考えられる人になって欲しいな、私は貴女に」
私だって、誰にでもハッキリとものを言う訳ではありません。多分その頃、私にとってSちゃんは大事な人になっていたし、彼女が可笑しなことを言えば、それについて意見するのは、友人として誠実なことだと思っていたから。
時に事柄を変えながら、そういう会話を何度も繰り返していく内に、彼女はどんどん変わっていきました。その時、素直な心って、こんなにも人を変えるのか・・・と驚いたことを覚えています。
ところが話はこれで終わらない。
この頃同族会社のお家騒動が勃発しました。Sちゃんの母親である専務と妹は、言い方は悪いけど、控え目に言ってもタチの悪い人たちでした。アクの強い母親とそれを上回る癖のある妹に、支配されているような状態だったSちゃんは、その時私から離れていきました。
お家騒動の最中、どうしても教えて欲しいことがあると言われて「貴女を信じて言うけど、私から聞いたということは絶対に誰にも言わないと約束してね」と私はあることをSちゃんに話しました。その日の内に、その話は皆が知ることになりました。
素直な分、気弱だったSちゃんは、この時動揺し過ぎて、前後の見境がつかなくなったのだと思います。あぁそうか。この状況に耐え切れなくなってしまったのか。だから私を裏切ろうと思って約束を破ったんではないんだよね、きっと。そう信じたかった。
だけどそれから約10年、私は彼女たちから村八分の扱いを受けました。悔しかった。私にはそんな扱いを受けるいわれはない。それでもこれまで私を育ててくれた会社を愛していたし、積み上げて来た仕事を放り出して逃げ出す・・・ということは考えられなかった。
幸い同時期に私は部署の異動を命じられたので、これまでのように頻繁に顔を合わせることはなくなった。でも彼女たちのその態度は、今思い返しても酷かった。これまで彼女たちを中心に行われていた大事な会議には、私も必ず出席していたのに、一切呼ばれなくなった。まるで私がそこに存在していないかのような扱い。
前部署の給湯室に置いてあった私物を取りに行ったら、私の物は全て処分されていてどこにもない。同じ社内にいるのに、本人に断りもなく捨てる?あぁこれも嫌がらせか。倉庫に置いていた背骨を骨折した時の硬質のコルセットもどこを探しても無い。あれ、8万円もしたんだぞ!これはきっと、あの性悪の妹がやったことなのだろう。こういう意地悪をさせたら天下一品の女だったから。
奥歯をグッと強く咬みながら、帰宅途中念仏のように唱えました。私は負けない。家に帰ればポンちゃんがいる。私のことを待ってくれてるポンちゃんがいる。だから私は大丈夫。あんたたちなんかには、絶対に負けたりしない。
部署を異動してから10年が過ぎた頃、再び仕事でSちゃんとの接点が出来ました。無感情に、これは仕事なんだと自分に言い聞かせて、普通に話をするように心掛けました。ニコリともしませんでしたけど。だけど彼女が以前の様に、仕事に手を抜かなくなっていたのは明らかでした。
接点が出来てから2年ほど経った頃だったか、彼女が急に私の所にやってきました。
「〇〇さんにお願いがあります。Tくんが会社を辞めると言っています。今辞められたら会社は大変なことになります。私の説得では彼は聞く耳を持たないので、〇〇さんから話しをして貰えないでしょうか。お願いします」と深々と頭を下げられた。
ふ~ん、この10年間のことを踏まえた上で、頭を下げに来た訳ね。でもそれは、会社の存続を危ぶんで、切羽詰まった末の事なのね。
さすがに直ぐには返事をしませんでしたが、一人になって考えました。私に頭を下げるというのは、Sちゃんにとって、とても勇気のいることだったに違いない。私のことだから、何を言われるかもわからないし、相当怖かっただろう。元々気弱な人なのだから。そんな人が、会社を守りたい一心で私を頼って来たのだ。
後日Tくんと話をし、彼は留まることになりました。
「よく私に頼み事が出来たもんだねぇ。それくらい、会社のことを考えて、なりふり構わずがんばったって訳ね。その根性に免じて今回は引き受けた。だけど、私は自分がされたことは、多分だけど、生涯忘れないよ。想像以上に私は執念深い女だよ」
そう言うと、Sちゃんは「本当に本当にごめんなさい。私のしたことが、謝って許して貰えることだとは思っていません。でも何度でも謝りたいです。そして私、〇〇さんに教えて貰ったことは、ずっと守り続けています。今の私があるのは、〇〇さんのお陰です。本当にごめんなさい、謝ることしか出来ない私で本当にすみません。そして今回のことは、本当にありがとうございました」身を縮めるようにして訥々と思いを語る彼女。
その辺りから、仕事中もSちゃんと笑って話せるようになりました。
聞けば母親も妹も、相変わらずの様子でした。それでもSちゃんは、二人とある程度の距離を保ちながら、自分のなすべきことを懸命にやっている様子でした。それは他の社員から聞こえてくる言葉からも裏打ちされていて、間違いないことでした。
「なんでそんなに仕事がんばってんの?気持ち悪いんだけど。優等生ぶってんの?仕事なんか適当にやってりゃいいのに」と何度も妹に非難されたようでした。
想像を絶するんですよ、この妹。彼女は一週間に2~3回、家から洗濯物を持って来て、会社で洗濯をしています。干して畳んで持って帰る。さすがにそれはマズいと思った母親が注意しても、馬耳東風。私が退職する時も、それは続いていました。デスクには殆んどいつもいませんし、当然電話も取りません。みんなから陰で営業部洗濯課の人って言われるのも無理はないよね。笑
注意をすると不貞腐れて手が付けられなくなるので、それ以上は何も言えない母親。でもSちゃんには酷く当たり散らしていました。一見強そうに見えるけど、従順で反抗しないからね、Sちゃんは。
人とは弱いものです。朱に染まれば朱くなるという諺があるように、一緒に過ごすことの多い人たちの影響はとても大きい。どんな劣悪な環境でも、いつの間にかそれが当たり前で、普通だと感じるようになるものです。
あれから10年、あんな人たちと常に一緒に居て、なのにそれには染まらず、たった一人でそこまで一生懸命がんばれるって、貴女は本当に強い人だね。私がもし貴女と同じ環境で、今の貴女のようでいられるかと自問しても、全く自信がないよ。
素直で、そして強い人。それは最強の人だと私は思う。
「〇〇さんのお陰で、3人の娘たちは、親の私がいうのもなんですけど、本当に人として良い子たちに育ちました。娘たちの様子を見ていると、あの頃の私とは全く違っていて、とても嬉しいし、とても幸せな気持ちになります」
そんなSちゃん、私の退職日に、手紙を手渡してくれました。
そこにはSちゃんの溢れる思いが沢山詰まっていて、私は何度も何度も読み返しました。退職して間もなく1年になりますが、いつでも手に取って読めるように、今もデスクの片隅に置いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d7/fe21a11d08dca6b03c1856494f358eb1.jpg)
もこちんが言いました。「あのね、友達選びで一度も失敗したことのない〇〇の、唯一の失敗がSちゃんだったじゃない?私はそれが残念で悔しくてならなかったの。〇〇の人生の汚点だ!くらいに思ってた。だけどこうなってみて、やっぱり〇〇の目に狂いはなかったって思ったら嬉しくて。色々あったけど、本当によかったね」
そうだ、私はこういう人たちに囲まれているから、今の私でいられるのだ。Sちゃんのような、過酷な環境に身を置いてはいないのだ。改めて、周りの友人たちに感謝しなくては。
私が強く生まれたいと思ってそうなった訳ではないのと同様に、Sちゃんも元来の気弱さは、望んでそうなった訳じゃない。人はみな、そうだと思うのです。だからSちゃんは、その気弱さゆえに、あの時、過ちを犯してしまったのかもしれない。でもね、それに気付いて己を反省することが出来れば、取り返しのつかないことにはならない、と私は思います。まぁあれに懲りて、自分を信頼してくれる人を二度と裏切らないように・・・ね、とは思うけど。
これからもSちゃんが、これまで通り、素直で強い人であり続けて欲しいと願わずにはいられない。ま、あたしなんぞが願わなくても、彼女はちゃんと自分の手で幸せを掴んでいくのだろうけど。でも最後に言わせてね、ガンバレSちゃん!!これからもあたしは貴女のこと、応援してるよ。ウソじゃないよ、ホントだよ。笑
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