鶴が城
今日も晴天の好天気である。北海道では、吹雪の大荒れの様子であるが、これ以上
に新型肺炎の猛威が怖い。感染症の歴史では、天然痘やペストがヨーロッパを中心
にして猛威をふるい死者が数千万人にたっしている。一日に1万人が死んだとのいわれている。しかし、医学が進み、種痘などの免疫の方法と感染症の病原体への対処方が判って来て、現在ではほとんど死者が出たと聞いたことがない。最近の感染症は殆どインフルエンザのものとエイズであろう。しかし、これらの感染症も、時間がかかったものの対処方法が見つかり、現在では、その予防法としてワクチンができあがっている。このため一安心ではある。日本で最も多い感染症は何といっても結核であろう。昔から発生していたようであるが、明治時代の正岡子規が結核での闘病生活の後死亡したのはよく知られている。その他の有名人が同様に結核でなくなっている。日本においては、戦前まで、その対処方法がなく、感染し発症すると死の宣言を受けたようであった。しかし、戦後は、ストレットマイシンなどの抗生物質の注射で治すことができるようになり、現在は、ほとんど騒がれなくなって来た。私もこの結核に小学校の6年生の頃に感染し、休学の期間を過ごしたことがあった。これは、父が、満州から帰国して熊本で最初に過ごしたころに、父の弟がよくわが家に来ていたが、その弟が結核を病んでいて、よく咳をしていた。その頃は、食料が十分に行き渡らず、免疫力が落ちていたことから感染したのか、長男が発病し、1年間学校を休学したり、私も感染し、ストレットマイシンの注射をうったことを思い出す。肺に病原菌の空洞がある状態であれば、肺を切断しなければならないのであったが、子供の肺から大人の肺に拡大することから、病巣を抑えすことができて、治すことができたのである。現在も、その根治した形跡が肺には残っているが。父もこの後、同様に、結核にかかり、肺の一部を切断している。この間に病院を母と連れ立って数回訪問したが隔離された病棟で肺の上に砂袋を押し当てて治療していたことを思い出す。このように、日本では、結核が一番であったが、この度の新型肺炎は死亡率は低いが感染力が強く、どのような経路で感染したのかの追跡が出来にくいだけでなく、感染しても、熱も咳もしない内に直ってしまう人と発病してしまい重傷化する人との原因がよく判らない内に、感染が拡大することである。これをくい止める手段は早く特効薬とワクチンを開発することである。