今日は、春分の日で、桜の開花が本日には、発表されるようだ。
今回は、最近読んだ司馬遼太郎の(項羽と劉邦)本から感じたことを述べたい。
日本の戦国時代から国の統一を成したのは、実際は、豊臣秀吉であっただろう。
桶狭間の戦いで、この地を統治していた信長が、農村出の日吉と呼ぶこの人を草履取り
として、足軽にして、その後に猿と呼びながら、戦場での才能を認め、大名として
取り上げる。その後、信長が明智光秀の謀反で、その仇を討つことで、全国の統一
をはかっている。
これに、比べて、中国では、数千年まえに、劉邦が項羽を四面楚歌で有名な戦いを
制して、統一を果たし、高祖と称し、漢王朝を発足させている。しかし、この劉邦も、
農村の出で、秀吉とは異なって、農村のヤクザの親分のような人で、その当時、始皇帝が
築いた秦國が、その皇帝が暗殺された後、荒廃したのに乗じて、地方の将官を束ねて
力をつけるのである。この人は、体が大きく、威厳があり人望あり、いつの間にか
その周りを取り巻く韓信などの副官をうまく使い項羽を退けて統一をはたすのである。
このように、日本の豊臣秀吉は、部下を育てることに秀でた能力と、立身出世の中から
偉業を成しげたに対して、劉邦は、うまく、人を手名付けた武将により、周りの状況に
乗って、統一をはたしている。この違いが、何か、現在も続いているように感じるのは、
私だけだろうか。
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