ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

茨城県指定史跡 飯塚伊賀七の五角堂と和時計 (つくば市谷田部)

2014-07-29 | 茨城県南 歴史と風俗

         (研究学園都市と民俗文化ライン) 五角堂と和時計 (茨城県指定史跡)

 この五角堂は、一辺約6.4mの正五角形をなし、内部に残る伊賀七製作の和時計は、木製和時計としては日本では最大のものといわれる。
 五角堂と和時計の設計者である飯塚伊賀七は、谷田部村の名主を勤めた江戸時代後期の発明家で、他に布施弁天の鐘楼・自動人形ロボット、飛行機などの設計をして、奇才を発揮した。

 当時や矢田部に過ぎたるものが三つあり、「不動並木に広瀬周度、飯塚伊賀七」といわれて郷土の人々から敬愛された。 
 伊賀七のような蘭学・和算・暦学。その他多方面の学問を身に付けた人物が武家時代の農村に現れたことは、極めて重要である。  天保7年11月 75歳で没した。    

    
   

   

   

  
      矢田部郷土資料館に展示されている木製大時計
       

 

  五角堂と和時計は、江戸時代後期、この地方に生きた飯塚家の祖、伊賀七(1762~1836)の科学者としての業績を今に伝える貴重な資料であり、これらを一体として文化財に指定したものである。

 五角堂は、中心の高さは約6m、一辺5.54mの正五角形お平面を持つ建物で、その特異な姿と構造から、当時不思議の一つに数えられていた。 

 長い間大切に守り継がれたが、築後約200年が経過し、破損が進行したため、平成元年度に保存を目的に買いたい修理を行なった。

 伝承によれば、伊賀七は邸内に九尺四方二階造りの時計堂も建立し、巨大な時計を作ってこの建物の二階に設置し、鐘・太鼓・笛を合奏させて町内に時を知らせ、同時に門の扉を自動開閉させたというが、残念なことに、この建物は現存していない。 

 五角堂の梁上には、その時のものと推定される大型の和時計や機械類の部品が残されていた。これらを組み立て、復元をこころみたところ、和時計の一部を復元することができた。 

 現在、この復元和時計や、その後に復元した模型及び機械類、伊賀七の遺品等は、谷田部郷土資料館に展示されている。 
 なお、見学に際しては、個人の邸宅ということを考慮してお願いいたします。     

 


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