ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

筑波山神社と姉妹の関係にある神郡の蚕影(こかげ)神社

2017-09-04 | 茨城県南 歴史と風俗

          蚕影神社の絵馬

蚕影神社の道標 
 

 1881年(明治13年)建立。蚕の字が旧字体。 
 


蚕影神社 
 道標より約1㎞東。養蚕発祥の地として「金色姫(こんじきひめ)伝説」がある。天竺から桑の舟で流された姫が、この地で権太夫(ごんだゆう)夫妻に助けられたが、いつしか病で亡くなった。死後、姫は棺の中で蚕となり養蚕を伝え、恩返しをした。 舘地区には「権太夫の宮」、逆川上流には「舟の宮」の石祠がある。

 なお、筑波山神社と蚕影神社は姉妹の関係にあり、蚕影神社が姉、筑波山神社は妹に当たる。  

 約2百の石段の上に神社があり、石段沿いの紅葉がきれい。
 毎年3月28日は蚕糸祭、10月23日には秋の大祭が行われる。




蚕影神社 
【鎮座地】 茨城県つくば市神郡1998番地 
【祭  神】 稚産霊神   (わかむすびのかみ)   
       埴山姫命   (はにやまひめのみこと)   
       木花開耶姫命このはなさくやひめ)

【祭  祀】 蚕糸祭(さんしさい)3月28日(豊蚕祈願祭)
        祭礼 10月23日   

【由緒沿革】
 第13代成務朝(せいむちょう)、忍凝見命孫(おしこりみのみこと)、阿倍閇色命(あべしこのみこと)は筑波国造に赴任するや、祭政一致の政務に基づき、筑波大社に奉仕した。更に豊浦に稚産霊神を鎮座し、農業と養蚕業の振興に多大なる力を注いだ。後世、山麓にはこの霊地を守護するための蚕影山桑林寺が建立された。 

 古来より有名な常陸紬、即ち結城紬の産出及び絹川、蚕飼川、糸繰川など蚕業に関わる地名があるのは上代を物語る証左である。同名の社は甲信陸野武総諸州の各地にあるが、それらは皆当神社の御分霊であり、それ故に当神社の御神礼に『日本一社』と拝記する。正に日本蚕業の始めと誇るところで、全国蚕業家尊崇の名社である。 

万葉集  
 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど 君がみけしにあやにきほしも 
                 (巻14・3350)  
土地の古老曰く
 常陸なる たてと立野に織る糸は 筑波の山の錦なりけり  

「金色姫」 
 天竺仲国の姫君金色姫は四度の受難の後、滄波万里をしのぎこの地に着き、権太夫夫妻に掌中の玉と愛された。しかし、病に罹り終に露と消えた。

 ある夜夫妻の夢に「我に食を与えよ、必ず恩返しをする」と告げ、夫婦が夜明けに亡がらを納めた唐櫃を開ければ中は小蟲ばかりで、桑の葉を与えると獅子、鷹、船、庭と四度の休眠を経て繭となった。
 筑波山の神が影道仙人として現れ、繭を練り錦として糸を取る事を教えられた、これ日本の養蚕の始めである・・・・・・・   

「各谷姫」 
 
第29代欽明天皇皇女各谷姫、筑波山に飛至り神となり始めて神衣を織られた。国人等に養蚕太神と崇め奉られた。
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     石段、荒れている    

     
       蚕影神社、荒れている
      修復のめどが立たないようだ。 
   




  
    本殿右側が絵馬堂   




奉納された絵馬 

 本殿は江戸初期、拝殿は大正時代の建築。養蚕が盛んになった明治から昭和初期には、全国から参詣者が訪れ、奉納された絵馬が絵馬堂に今でも残る。拝殿の裏に鉱泉跡がある。 

















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