石橋みちひろのブログ

「つながって、ささえあう社会」の実現をめざす、民主党参議院議員「石橋みちひろ」の公式ブログです。

被災地からの報告(その4)

2011-03-21 22:46:23 | 活動レポート
今日、情報労連・KDDI労組の役員の方から連絡をいただきました。

ご実家が、宮城県気仙沼市唐桑町。今回の大震災で大きな被害を受けた町です。震災直後、唐桑におられるご家族やご親戚と連絡が取れなくなっていると聞いて心配していたところでした。

今日のお話で、その後、お母さんやお祖母さん、弟さんご夫婦は無事が確認されたのですが、お父さんの行方が未だに分からないとのこと。この間も、警察や消防など、多くの人たちが捜索に力を貸してくれたというお話を伺いました。

実際、唐桑の被災状況を見ると、もう言葉が出てこなくなります。この役員の方が、崩壊したご実家の様子や、気仙沼市の状況を含め、現地の写真をアップしておられます。掲載許可をいただきましたので、ご覧下さい:

https://picasaweb.google.com/106910249244973329889/EhJMJG#

高い木の上に引っかかっている服や靴・・・あんな高い所まで津波の高さががあったなんて・・・。そして、自動販売機の「ふってもたたいても商品は出ません」という張り紙。皆さん、何とかして飲み物を手に入れようとされたのでしょうね。




そしてまた、現地の状況についていくつか大事な報告をしてくれました。

例えば、「大きな避難所には、水も電気も電話も物資も来ているが、小さな避難所には食糧すら十分に来ていない。より大変なのは、自宅が残り、避難所に行かなくてもいい人たち。そのような人たちには配給はない。避難所の人たちと同様に配給をしてあげなければ共倒れになる」という物資の偏在の問題は、すでに災害対策本部にも指摘してきたところです。

また、岩手県と宮城県の県境の市で、一方では仮設住宅の建設が始まり、一方では他の件への疎開が検討されているという差異の問題について指摘をしてくれました。「隣同士で生活圏が同じなのに、自治体の意向によって復興に差があるのは、避難生活を送っている人たちに不安を与えている」ということです。その通りでしょうね。この点、自治体がそれぞれ復興の方針を立てるので、やむを得ない点もあるのでしょうが、やはりきちんと地元住民と対話し、意向を把握するというプロセスが重要ですね。

その他にも大変参考になる指摘がありました。写真と共に、すでに災害対策本部と共有させて貰いましたが、今後の私たちの取り組みに役立てていきたいと思います。

さて、明日は参議院の予算委員会。地元福島で災害対策に奔走している同僚の金子恵美参議院議員に代わって、予算委員会に出席することになっています。その他、民主党「災害ボランティア準備室」の会合もあります。引き続き、しっかり頑張ります。

被災地からの報告(その3)

2011-03-21 11:53:30 | 活動レポート
3月19日、同期の参議院議員が救援物資を持って被災地へ出発しました。訪れたのは、宮城県と岩手県。被災地を訪問しながら、現地の実情を報告してくれました。

以下、現地からの生のレポートをお届けします(一部、修正しています):

【第1報】3月19日10:26:
本日朝9時、仙台に向けて目黒を出発しました。一泊して、盛岡に向かいます。
現地に迷惑にならないように、自己完結の装備、安全第一で行動します。

【第2報】3月19日13:26
福島県郡山付近を通過中。那須高原パーキングまではすべて給油可能。常に満タン状態を保つ。
店舗も那須高原を除いてすべて営業です。
福島県に入ると、路面の状態が少し悪くなりました。しかし、指定の時速50キロで充分走行可能です。
自衛隊の皆さんが、大挙して現地へ移動中。ご苦労様です。

【第3報】3月19日14:43
午後2時半、仙台の手前30キロの辺りで、雨がポツポツと落ちて来ました。

【第4報】3月19日16:07
15時、仙台に着きました。
市内は、電気、水道は、ほぼ、復旧。ガスは、復旧に一ヶ月かかるとのこと。
大手スーパーは、昨日営業開始。あるスーパーは、一人一種類一個、十種類までの限定販売で、買い占め防止の対策をしているとのこと。
市内は、ガソリン・灯油をを求める長蛇の列はありますが、比較的落ち着きを取り戻しています。

【第5報】3月19日17:24
仙台港に来ました。沿岸部の携帯の電波状況は、良好。市内は、基本的に良好。たまにブツッと切れるときがあるそうです。
津波の威力を、まざまざと感じています。
沿岸部に、飲料メーカーの工場があるのですが、社員の自家用車や港から出荷を待っていた車が、5台、10台と逆さま、斜めに団子のように折り重なっています。また、通常あるはずのないJRの貨物コンテナが、道路上に、流されています。
大量のビール樽や缶ビールが流れ出し、しっかり者の若者が、拾いあさっていました。少し、たくましさを感じ、安心しました。

【第6報】3月20日0:10
集積所に物資を置き、市内や港を視察したあと、支援者が避難している市内の原ノ町小学校と田子小学校の避難所に行きました。
両方の避難所とも、(当初の)3000人から300人に避難民の数が減ったとのこと。二、三日前、電気、水道の復旧にともなって家に帰ったそうで、残っている(人たち)は、マンションが傾いてもう住めない等の方々のようです。仮設住宅が、必要です。
食料、燃料なども、自衛隊(輸送スキーム)が入ってから、充分のようです。
総じて仙台市内は、状況は良いようで、ガソリンが入ってくれば一気に好転しそうです。
酷いのは、石巻市です。市内、釜地区の今日の夕食は、おにぎり一個と焼鳥一本でした。行方不明者を探すふりをして、金品を奪う不届き者がいるようです。治安の安定が必要です。

【第7報】3月20日8:39
朝8時、盛岡に向け出発。最終的に、釜石に向かいます。釜石は、町がほぼ流され、食料・ガソリンに加え、衣類にも困っているので、仙台の支援組織に集まっていた衣類を車に満載して向かいます。
仙台での話しとしては、他県ナンバーの軽トラが、米5キロ3千円5百円の看板を出して走っていたり、キャベツ一個5百円で売るスーパーがあったり、弱みに付け込む便乗値上げ、悪徳商法も出てきました。

【第8報】3月20日9:19
やはり必要なのは、物資の厚いところ、薄いところ、全くいっていないところのコントロールです。現地対策本部の設置が必要です。

【第9報】3月20日13:02
朝10時半、盛岡着。
宮古行き分の衣類を一旦下ろし、釜石分を積んで釜石へ。
釜石は、沿岸部の鉄塔が津波で倒れてしまい、ケータイは全く使えないとのこと。現地に着いたら確認します。
宮古は、沿岸部から1キロほどの宮町付近では電波が復活したとのこと。宮古に行ければ行って確認します。
沿岸部のJR山田線は、影も形もないようです。風光明媚なローカル線が、このまま無くなるのは、あまりにも惜しい。必ずや復旧させなければなりません。
また、なけなしの灯油を節約しなが使っていたのに盗まれた、津波でひっくり帰った車のガソリンが抜かれた、ATMをこじ開けようとして捕まった、という類の事件が、頻繁しています。一定のボランティアを配置して、追い詰められて(罪を犯してしまうような事態を)発生させないことも必要です。警察もパトロールを強化していると思いますが、被災地では目がいきとどきません。

【第10報】3月20日13:29
昨夜、JR貨物のガソリンや灯油を積んだタンク車が18両、盛岡駅に到着。
40台のタンクローリーに載せて、被災地を中心に県内に向けて、輸送されました。
こういう情報を県民に流すと、落ち着いて買いだめや長い列も緩和されると思います。宣伝活動、情報伝達、情報開示も、支援活動には重要ですね。

【第11報】3月20日18:42
釜石を経て、海岸沿いの国道45号線を北上しています。釜石から大槌町まで、ケータイは使えませんでした。宮古は、電気、水道、ケータイともOKです。
釜石から宮古にかけて走りました。悲惨です。無惨です。
空爆の跡のようです。アフガニスタン・カブールの内戦の跡にも似ています。津波の後、火災が出た大槌町は、まだ燻っている建物もあり焦げ臭いにおいが、街中を覆っています。
ある避難所を訪問しました。7百人いた被災者は、5百人に減りました。こじんまりしたプライバシーの保ちやすい避難所に移っていくようです。
人は、ある程度の狭い空間と程よいプライバシーが保てないと、体調を崩してしまうのですね。
この町には、中国人が缶詰工場に研修に来ています。物取りは、ここにもいるのですが、中国人が取ったと言う噂が流れているということです。警察は、そういう事実はないといいます。私たちは、関東大震災の悲劇を繰り返してはいけません。
山田線は、やはり壊滅でした。何としても、復活させなければなりません。町の人々にとって鉄道は、東京に直結している安心感があるそうです。
豊間根という町のガソリンスタンドが、二日前、1キロの車の列だったそうですが、今日16時現在、ガラガラでした。盛岡でも、灯油が手に入りはじめたとのこと。徐々に、昨夜の貨物列車のガソリン、灯油が、市中に回りはしめたようです。

【第12報】3月21日8:57
昨日は、ケータイの通じない釜石から宮古の沿岸部に入っていたので、報告が滞ってしまいました。
昨日、大槌町の城山公園にある避難所に物資を持って入りました。そこを管理している役場の総務課の方の訴えです。ちなみに、役場の総務課10人の内、5人が犠牲になるか、今も行方不明だそうです。
  1. とにかく、情報がほしい。電源がなく、テレビ・電話なく、不安感が増すばかり。避難民は、肉親の安否を知りたがっているが、もう限界。

  2. マスコミが、無礼千万。必死に避難民のために仕事をしている最中に、同じことを、何回も何回も聞いてまわる。自分も被災し、疲弊しているなかで、本当に頭に来る。

  3. 津波の被災は、阪神の被災とは違う。倒壊なら確実にその下に亡きがらがあるが、津波は全て持っていってしまった。みんな、津波の歴史の中で、それを知っている。


以上、現地からの報告でした。

ちなみに、民主党は、震災発生後72時間の間、人命救助を最優先とし、地元選出議員以外の議員が被災地に入ることを禁止していました。その後も、現地での混乱を避けるため、また、現地で入手可能な貴重な物資や燃料を消費してしまうことを避けるため、最小限必要な場合を除いて現地入りを自粛。現地の情報は、被災地を巡る地元選出議員の皆さんや、被災地の県連や自治体等、各議員があらゆるチャンネルを駆使して収集、それを災害対策本部に一元化して、政府と連携しながら対応してきたわけです。

実際、多くの議員たちが、とにかく一刻も早く被災地に入って救援物資を届けたい、支援活動をしたいと叫んでいたのですが、被災地の状況を最優先に考えてはやる気持ちを抑えていた、というのが実態でした。

この週末は、自己完結で、被災地に全く迷惑をかけずに現地入りできる場合に限って、そして物資の輸送や、党としての現時実態調査のために必要な場合に限って、現地入りを認めるとの方針が出され、それに伴って一部の議員が任務を託されて被災地入りを行ったわけです。茨城県への物資輸送を担当したグループもいました。山形県に拠点作りの調査に行っているグループもいます。再建・復興活動に向けて、みんなが力を合わせて行動しています。