今夏は、まず上総国の城から攻城開始
7月23日
5:35 自宅出発
一般道と高速道路を乗り継いで
9:40 大多喜城駐車場に到着
駐車場で準備して
こっちかな?
何も下調べしてこなかったので、不安とワクワクと変な感じが良いのよね
城攻め開始
無人の案内所をさっそく発見
案内所内でパンフレットをみつけた。
大多喜水道跡
大多喜城下は長年飲水に恵まれず、そこに暮らす人々の苦労は絶えなかったが、
大多喜城最後の城主 松平正質(まつだいら まさただ・大河内正質)の頃、
ようやく水道の工事が具体化し、明治3年(1870年)5月にようやく完成。
この水道により、城下200戸が潤い、20ヘクタールの水田の灌漑が行われた。
坂道を上る。
二の丸公園に到着
本丸はこの奥か
公園の奥には、鐘撞堂。堂は立ち入り禁止
この先に道はない…もどる
。
公園入口まで
さらに上る。
本丸到着
外観は模擬天守で中は博物館らしい。
帰宅後、調べてみると
千葉県立博物館は、県内各地に点在。大多喜分館はそのうち、中央博物館の
分館として、「房総の城と城下町」をテーマに、房総を中心とした中世から
近世にかけての城郭やこれに関する武器・武具・調度・古文書、さらに当地方に
残されたすぐれた文化財も展示しているらしい。
施設改修のため、令和3年12月27日(月)から休館中で中には入れなかった。
県は町に移譲し、将来的に大多喜町の町営博物館に移行する予定との情報。
1835年(天保6年)の図面を基に復元した天守
大多喜城
1521年(大永元年)、甲斐武田氏と同族である上総武田家の流れをくむ
真理谷信清が築いたとされる。1544年(天文13年)、里見氏の武将 正木
時茂が奪い支配。
1591年(天正19年)、徳川家康の家臣本多忠勝が、関東へ入封された
家康より拝領し入城する。本多家3代以後、阿部・青山・稲垣と藩主を変え、
1703年(元禄16年)松平正久が入封。9代170年間、松平家が藩主を
勤めた。
1871年(明治3年)、廃藩置県により破却。
本丸外周の土塁
案内板によると、大井戸と薬医門があるらしい。
方角的に学校がある…バスケットボールのドリブルの音が聞こえてくる
本丸から坂道を下っていく
大井戸発見
やっぱり学校内だ
スマホで検索→→→
校内を他の目的でウロチョロしなければ大丈夫のようだ
埼玉県の杉山城も小学校を抜けて城跡へ行くしね
ここは大多喜高校といって旧二の丸跡のようだ。
???
来るときにあった公園。あそこも二の丸なのか?
本多忠勝が掘らせたという周囲17m、深さ20m 別名『底知らずの大井戸』
この後、薬医門に行きたいのだが、どちらに行けばよいのやら
ちょうど体育館から部活休憩?の男子高校生(体格から)が出てきたので
聴いてみようとしたが、途中で引き返してしまった。
校舎の方へ歩いていくと、草むしりをしている職員さんを発見
聴く気満々で声をかける
「学校の職員の方ですか?」
「はい、そうですが。」
「薬医門の場所を知りたいのですが…」
「それです。
」
視線をずらすと門
苦笑いで「ありがとうございます」
聴いた場所から、恥ずかしくなるくらい近い距離に門があった。
本田忠勝の時代からあったとされる唯一の建造物
いろいろな角度から門を撮っていると
視線が
弓道部員らしい学生数名が屋外でこちらを向いて
弓を射るフォーム(型)の練習をしていた。
矢を射られないかw 心配だったが矢は持っていない模様。
写真を撮りたかったが、不審者になってしまうのでやめておこう。
この後、高校の正門から出た先に大手門跡がある事をパンフレットで
知り、写真を撮りに行こうと思ったが、正門脇の看板に
一般者の立ち入りは禁じますとあったので、再進入はまずいと
思いあきらめた。
来た道をもどる。
本丸へ
本丸内の研修資料館?
館内は資料が展示されている。
本田忠勝像の掛け軸
鹿角脇立兜
一通り見たが、外に出たくなくなった。
屋外は灼熱だが、館内は涼しくて気持ち良い~ 天国
これのおかげ
11:20駐車場へ戻る
大多喜城の100名城スタンプは、大多喜駅前の観光協会内らしい。
車で移動し押印
案内所に土産が売っていたので、職場用に。自分用に忠勝グッズを購入。
車に戻って、時間を見ると正午をまわっていた。
今回の出発前計画では千葉県内の100名城、続100名城3か所を
優先して回る予定で佐倉城、本佐倉城へ行くつもりだった。今から行くと
到着は多分、夕方で2城ともガッツリ観ると17時までの時間内に
とても観きれない。
この近くで観ておかないといけないお城、他にないかなぁとナビを
拡大して探していると、
すっかり忘れていた
何年か前、戦国シミュレーションゲームのプレイで
拠点としてお世話になった城 久留里城!
コロナ禍に一度計画していた房総城巡りでは候補に入っていたのに。
車で30分とかからない場所なので、久留里城に予定を変更。
12:20大多喜町観光協会出発
城攻め2024-2 上総(2)につづく
※当ブログでは、大多喜城(千葉県立中央博物館分館)を
模擬天守と書いたが、復元天守、復興天守、模擬天守と評価が
それぞれ書籍などによって違うらしい。
また、今回利用した有料駐車場は、2024年7月23日
無料開放されていた。今後は不明。