本日6日は『広島原爆の日』、投下から75年だそうです。
中学の修学旅行で広島へ行き、学んだ記憶があります。
9日と共に年最低2回、二度と同じ過ちを繰り返さないように
しっかりと考え、心に留める大切な日だと思います。
さて
昨日5日、埼玉県内の城めぐりに行ってきました。
画像整理などでずいぶんとUPが遅くなってしまいました。
城跡は写真を撮りすぎると、どれも似たような画像なので
後で確認が大変w、苦労しました・・・
6:40すぎ 自宅出発。まずは2016年に行った忍城へ。不落城←良かったら読んでみてください
御城印入手と100名城スタンプ押印目的です。
8:50 行田市郷土博物館駐車場到着
前回来ていますし、博物館のHPにも見学は30分程度で・・とあったので
今回は見学のための入館はしませんでした。
それなのにスタンプ帳探し、次の目的地検索等で長居しちゃいました。
10:00 行田市郷土博物館出発
11:20 杉山城駐車場到着。事前情報で中学校手前の駐車場とあったので、こちらで間違いないでしょう
車から降りると暑い
駐車場の裏手が杉山城跡のようです。
山城なので、冷感装備も忘れずに出陣 ______
中学校の敷地内を抜けて行きます。
敷地内には案内板が多数あります。登城者用のトイレも(後ろに写るのがそうです。)
中学校敷地から城跡へ
出郭 ↑
出郭を進むと大手口 ↑
大手脇の横堀 ↑
外郭 ↑
まずは西側へ攻めます。
が、この辺からちょくちょく携帯電話が高温でカメラ起動を停止。
馬出郭 ↑
南三の郭 ↑
井戸郭 ↑
井戸跡の石は見落としましたw
南三の郭・南二の郭間の虎口は、喰い違い虎口になっており ↑
直線的な敵の侵入を防ぐ仕組み。南二郭の様子を見せない働きもあるとか?!
南二の郭 ↑
えーと、本郭への行き方が分からないぞ。
ちょっと迷って
発見!
本郭到着
杉山城は中世の丘陵地形を巧みに利用した山城。その歴史についてはまだ明らかになっていないことが多く、
平成14年の発掘調査によれば、関東管領山内上杉氏と同族扇谷上杉氏による「長享の乱」の後、
山内上杉氏側によって築かれ、その後、松山城と同時期に北条氏の属城となり、1590年(天正18年)の
「小田原の役」で廃城になったと考えらている。
およそ10の郭を配置した縄張りは、本郭より3方向に郭を広げる。塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる
敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)には、ほぼ例外なく横矢掛けのできる
配置を有し、高度な築城技術が用いられている。城趾には郭(曲輪)や堀、土塁、虎口等が良好な状態で現存する。
横矢掛け:虎口に近づく敵に進入方向の側面から矢を射掛けること。横矢掛かりとも。
北郭から本郭を向いて ↑ 北郭 ↓
北郭のセミの抜け殻 ↑
本郭に戻り、東郭へ
本郭に戻り、下山します。
出郭でも
駐車場へ戻って、軽く昼食
汗で濡れた服を着替えていたら、
1台の車が来て男性が中学校へ。…そういえば
登城して帰って来る間、他に誰とも会いませんでしたw
杉山城を後に
13:00 杉山城駐車場発
次に向かうのは嵐山町立役場へ
13:10 役場到着。
名城スタンプを押しに来ました。
役場のお姉さんが元気に挨拶してくれました
押印完了。周りのお城も御城印つくってるので
あったらいいのになぁ
13:30 嵐山町役場発
この後、嵐山史跡の博物館へ向かいます。
長くなったので続きはまた次回にします。
※ 後日、加筆すると思います。
(8月13日 杉山城 解説文を加筆)
明日7日、再び再登城(城めぐり)の予定、
朝早いのでそろそろお休みです。
中学の修学旅行で広島へ行き、学んだ記憶があります。
9日と共に年最低2回、二度と同じ過ちを繰り返さないように
しっかりと考え、心に留める大切な日だと思います。
さて
昨日5日、埼玉県内の城めぐりに行ってきました。
画像整理などでずいぶんとUPが遅くなってしまいました。
城跡は写真を撮りすぎると、どれも似たような画像なので
後で確認が大変w、苦労しました・・・
6:40すぎ 自宅出発。まずは2016年に行った忍城へ。不落城←良かったら読んでみてください
御城印入手と100名城スタンプ押印目的です。
8:50 行田市郷土博物館駐車場到着
前回来ていますし、博物館のHPにも見学は30分程度で・・とあったので
今回は見学のための入館はしませんでした。
それなのにスタンプ帳探し、次の目的地検索等で長居しちゃいました。
10:00 行田市郷土博物館出発
11:20 杉山城駐車場到着。事前情報で中学校手前の駐車場とあったので、こちらで間違いないでしょう
車から降りると暑い
駐車場の裏手が杉山城跡のようです。
山城なので、冷感装備も忘れずに出陣 ______
中学校の敷地内を抜けて行きます。
敷地内には案内板が多数あります。登城者用のトイレも(後ろに写るのがそうです。)
中学校敷地から城跡へ
出郭 ↑
出郭を進むと大手口 ↑
大手脇の横堀 ↑
外郭 ↑
まずは西側へ攻めます。
が、この辺からちょくちょく携帯電話が高温でカメラ起動を停止。
馬出郭 ↑
南三の郭 ↑
井戸郭 ↑
井戸跡の石は見落としましたw
南三の郭・南二の郭間の虎口は、喰い違い虎口になっており ↑
直線的な敵の侵入を防ぐ仕組み。南二郭の様子を見せない働きもあるとか?!
南二の郭 ↑
えーと、本郭への行き方が分からないぞ。
ちょっと迷って
発見!
本郭到着
杉山城は中世の丘陵地形を巧みに利用した山城。その歴史についてはまだ明らかになっていないことが多く、
平成14年の発掘調査によれば、関東管領山内上杉氏と同族扇谷上杉氏による「長享の乱」の後、
山内上杉氏側によって築かれ、その後、松山城と同時期に北条氏の属城となり、1590年(天正18年)の
「小田原の役」で廃城になったと考えらている。
およそ10の郭を配置した縄張りは、本郭より3方向に郭を広げる。塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる
敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)には、ほぼ例外なく横矢掛けのできる
配置を有し、高度な築城技術が用いられている。城趾には郭(曲輪)や堀、土塁、虎口等が良好な状態で現存する。
横矢掛け:虎口に近づく敵に進入方向の側面から矢を射掛けること。横矢掛かりとも。
北郭から本郭を向いて ↑ 北郭 ↓
北郭のセミの抜け殻 ↑
本郭に戻り、東郭へ
本郭に戻り、下山します。
出郭でも
駐車場へ戻って、軽く昼食
汗で濡れた服を着替えていたら、
1台の車が来て男性が中学校へ。…そういえば
登城して帰って来る間、他に誰とも会いませんでしたw
杉山城を後に
13:00 杉山城駐車場発
次に向かうのは嵐山町立役場へ
13:10 役場到着。
名城スタンプを押しに来ました。
役場のお姉さんが元気に挨拶してくれました
押印完了。周りのお城も御城印つくってるので
あったらいいのになぁ
13:30 嵐山町役場発
この後、嵐山史跡の博物館へ向かいます。
長くなったので続きはまた次回にします。
※ 後日、加筆すると思います。
(8月13日 杉山城 解説文を加筆)
明日7日、再び再登城(城めぐり)の予定、
朝早いのでそろそろお休みです。