http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=psRZEr3RGgM
いちおう見た。見たけどコメント不能かな。人のことは言えんけど、おっさん乙というか。
強いて言うなら、中森さんが「複雑系」のとば口のようなことに触れてたし、さっしーとは何ものなのかについて、それなりに突っ込んだことが語られていたように思う。MVについての議論にしても、やはり中森さんがリソース論(と命名してみる)の枠組みで語ってた。最近、中森さんと議論の方向性みたいなものが類似する傾向があるけど、なんでだろ。昔は違ってたと思うんだけど。
複雑系については既述なんで、てきとーにリソース論に触れてみるけど、AKBという存在様式のベースには、過剰なエネルギーの蕩尽がある。つまりは過剰蕩尽論。それが負のエントロピーを実現する。つまりは生命論ということになる。
生命の本質の一つは自己組織化であり、AKBとは自己組織化組織であるというのも既述だけど、その組織が立ち上がる「世界」には、既存のリソースが存在する。具体的には編集者であり、カメラマンであり、映像作家であり、映画監督であり、芸能に関わる人々全般であり、そこに留まらない、この「論争」に集うおっさん達も、そんなリソースの一つ。
そんなリソースを、AKBは貪欲に取り込んでいく。飲み込んでいく。秋元康氏に自覚はないと思うけど、例えばMVという形で、著明な映画監督がAKBの内部に取り込まれていく。MVのできだけを見れば、なんでこんな糞みたいな作品を・・・と言うことになるけど、AKBに関わったということ、その事実にこそ意味がある。
こうして、既存のリソースを利用する形で、言わば手本にする形で、鋳型にする形で、AKBという組織は、集団的知性として、様々なことを学んで行くことになる。自己組織化を深化させて行く。メンバーの個々人にはそんな自覚はないだろうけど、組織としてのAKBは、確実に精緻になって行く。構造が作り込まれて行く。そう言えば、AKBを構造主義の立場から議論する人が他にいないけど、なんでだろ。
そんなAKBの存在様式の精華が、さっしーと言うことになる。比喩としてだけど、秋元氏の内的存在として始まったはずのAKBが、ついに外化し、AKBの内部にさっしーという秋元氏のデーモンを生み出した。やがて秋元氏とさっしーの内から外への反転が起こることで、最終的に秋元氏が無化される、そういう道筋が見えて来るように思うし、それが、このAKBという自律運動体の、意図せざる「無への跳躍」にして相転移のその先、新たな着地点になるんじゃないか。
おもいっきり書き飛ばしたんで、議論が雑すぎるけど、いちおうこの「論争」に触発されたと言うことにして、これはこれにて。
いちおう見た。見たけどコメント不能かな。人のことは言えんけど、おっさん乙というか。
強いて言うなら、中森さんが「複雑系」のとば口のようなことに触れてたし、さっしーとは何ものなのかについて、それなりに突っ込んだことが語られていたように思う。MVについての議論にしても、やはり中森さんがリソース論(と命名してみる)の枠組みで語ってた。最近、中森さんと議論の方向性みたいなものが類似する傾向があるけど、なんでだろ。昔は違ってたと思うんだけど。
複雑系については既述なんで、てきとーにリソース論に触れてみるけど、AKBという存在様式のベースには、過剰なエネルギーの蕩尽がある。つまりは過剰蕩尽論。それが負のエントロピーを実現する。つまりは生命論ということになる。
生命の本質の一つは自己組織化であり、AKBとは自己組織化組織であるというのも既述だけど、その組織が立ち上がる「世界」には、既存のリソースが存在する。具体的には編集者であり、カメラマンであり、映像作家であり、映画監督であり、芸能に関わる人々全般であり、そこに留まらない、この「論争」に集うおっさん達も、そんなリソースの一つ。
そんなリソースを、AKBは貪欲に取り込んでいく。飲み込んでいく。秋元康氏に自覚はないと思うけど、例えばMVという形で、著明な映画監督がAKBの内部に取り込まれていく。MVのできだけを見れば、なんでこんな糞みたいな作品を・・・と言うことになるけど、AKBに関わったということ、その事実にこそ意味がある。
こうして、既存のリソースを利用する形で、言わば手本にする形で、鋳型にする形で、AKBという組織は、集団的知性として、様々なことを学んで行くことになる。自己組織化を深化させて行く。メンバーの個々人にはそんな自覚はないだろうけど、組織としてのAKBは、確実に精緻になって行く。構造が作り込まれて行く。そう言えば、AKBを構造主義の立場から議論する人が他にいないけど、なんでだろ。
そんなAKBの存在様式の精華が、さっしーと言うことになる。比喩としてだけど、秋元氏の内的存在として始まったはずのAKBが、ついに外化し、AKBの内部にさっしーという秋元氏のデーモンを生み出した。やがて秋元氏とさっしーの内から外への反転が起こることで、最終的に秋元氏が無化される、そういう道筋が見えて来るように思うし、それが、このAKBという自律運動体の、意図せざる「無への跳躍」にして相転移のその先、新たな着地点になるんじゃないか。
おもいっきり書き飛ばしたんで、議論が雑すぎるけど、いちおうこの「論争」に触発されたと言うことにして、これはこれにて。