このブログの当初、メンバーの呼称は基本、ニックネームだったと思う。前田さんは「あっさん」、高橋さんは「たかみな」、大島さんは「優子」、指原さんは「さっしー」呼びだったはず。もう記憶が定かでない部分もあるけど、特に読み返しての確認とかはしてない。
そんな呼び名が、ある時から一斉に姓+(名)+敬称に変わった。意識的に意図的に変えたとかではない。私の嘘偽りのないと信じたい内部的な要請に従って、のことだった。たぶんどっかに書いたと思うけど、なんかもう多くのメンバーに対して、敬意しか持てなくなった。ニックネーム呼びなんて滅相もない、申し訳ない、そんな気持ちになった。
個々のメンバーについて、それなりに深く知るようになると、上位メンバーはもちろんのこと、ほぼ無名であっても、多くのメンバーが高い意識を持ち、日々挑戦してる、努力してるということが、それが水面下であっても、伝わってくるようになった。普通に若くてかわいい女の子達が、日々戦ってる、その姿が神々しく見えてきた。
そもそもがオーディションに挑んで、そこを勝ち上がったというだけでも、彼女らは選ばれた子達。なのにそこに甘んじることなく、あぐらをかくことなく、戦い続けてる。ドキュメンタリー映画で晒された大箱のコンサートはもちろんのこと、選抜総選挙などというとんでもない仕組みでもって、正に常在戦場状態。いちおう書いとくけど、ここで言う「戦場」とは、比喩だから。
そんな認識にあって、長らく指原さんだけは「さっしー」呼びのままだった。それが自然に感じられたから、そうしてた。リアルバーチャル連続体にして、近所のちょっときれいな子にして、テレビの向こう側のアイドルという存在様式。既述のように、その才能は高く評価させていただいてた。とは言え、アイドルとしての指原さんは、なんとなくだけど舐めてた節があったかも知れない。
けれどももはやそんなレベルではなくなった、そう確信せざるを得なくなったのが、思い出せる君たちへの「博多レジェンド公演」を見た辺りだったかと。実際にはもうちょっと前だったかも知れないけど、はっきり例示できるのが「博多レジェンド公演」ということになると思う。その圧倒的に構成力と選曲の冴え、プロデューサーとしての見識の高さだけでなく、それを自らでもって演じてしまえるという、表現者としての才まで併せ持つことを再認識させられた。
つまり一回まわって、指原さんの怪物ぶりに、ようやく正面から向き合うことができることになった。結果、指原さんが、これまでに前例のない存在であること、空前にして、たぶん絶後の存在になるんじゃないか、そう考えるに到ってしまった。
というわけで本当は、本気で「指原様」とかの呼称を採用したいところなんだけど、さすがにかえって馬鹿にしてると誤解されそうなんで、今んとこ「指原さん」で落ち着くことに。今後どうなるかは分からんけどね。
このエントリはネタじゃないからと、最後に念を押して、そう言っておかなければならないところが、なんというか指原さんの底知れなさというか、これって一つの「相転移」の表現なんじゃないの。
そんな呼び名が、ある時から一斉に姓+(名)+敬称に変わった。意識的に意図的に変えたとかではない。私の嘘偽りのないと信じたい内部的な要請に従って、のことだった。たぶんどっかに書いたと思うけど、なんかもう多くのメンバーに対して、敬意しか持てなくなった。ニックネーム呼びなんて滅相もない、申し訳ない、そんな気持ちになった。
個々のメンバーについて、それなりに深く知るようになると、上位メンバーはもちろんのこと、ほぼ無名であっても、多くのメンバーが高い意識を持ち、日々挑戦してる、努力してるということが、それが水面下であっても、伝わってくるようになった。普通に若くてかわいい女の子達が、日々戦ってる、その姿が神々しく見えてきた。
そもそもがオーディションに挑んで、そこを勝ち上がったというだけでも、彼女らは選ばれた子達。なのにそこに甘んじることなく、あぐらをかくことなく、戦い続けてる。ドキュメンタリー映画で晒された大箱のコンサートはもちろんのこと、選抜総選挙などというとんでもない仕組みでもって、正に常在戦場状態。いちおう書いとくけど、ここで言う「戦場」とは、比喩だから。
そんな認識にあって、長らく指原さんだけは「さっしー」呼びのままだった。それが自然に感じられたから、そうしてた。リアルバーチャル連続体にして、近所のちょっときれいな子にして、テレビの向こう側のアイドルという存在様式。既述のように、その才能は高く評価させていただいてた。とは言え、アイドルとしての指原さんは、なんとなくだけど舐めてた節があったかも知れない。
けれどももはやそんなレベルではなくなった、そう確信せざるを得なくなったのが、思い出せる君たちへの「博多レジェンド公演」を見た辺りだったかと。実際にはもうちょっと前だったかも知れないけど、はっきり例示できるのが「博多レジェンド公演」ということになると思う。その圧倒的に構成力と選曲の冴え、プロデューサーとしての見識の高さだけでなく、それを自らでもって演じてしまえるという、表現者としての才まで併せ持つことを再認識させられた。
つまり一回まわって、指原さんの怪物ぶりに、ようやく正面から向き合うことができることになった。結果、指原さんが、これまでに前例のない存在であること、空前にして、たぶん絶後の存在になるんじゃないか、そう考えるに到ってしまった。
というわけで本当は、本気で「指原様」とかの呼称を採用したいところなんだけど、さすがにかえって馬鹿にしてると誤解されそうなんで、今んとこ「指原さん」で落ち着くことに。今後どうなるかは分からんけどね。
このエントリはネタじゃないからと、最後に念を押して、そう言っておかなければならないところが、なんというか指原さんの底知れなさというか、これって一つの「相転移」の表現なんじゃないの。