AKB48の旅

AKB48の旅

AKB48 DVD MAGAZINE "VOL.4 AKB48 17thシングル選抜総選挙"

2014年02月18日 | AKB
第2回AKB48選抜総選挙は、2010年6月9日、JCBホール(現TDCホール)で開催されてる。オープニング曲が「ポニーテールとシュシュ」である事からも分かるように、この時点で、既にしてAKBの快進撃は始まってる。

その影響がはっきり分かるのが、正にこの選抜総選挙の規模の変化と言うことになる。総投票数は、第1回が64509票だったのに対し、第2回では377786票と6倍近くになった。会場が赤坂BLITZからJCBホールに替わっただけでなく、29スクリーンでの映画館同時中継が行われ、総観覧人数は12000人と10倍以上になった。正にここがAKBインフレーションの始まりであることが分かる。

さらに、徳光氏、木佐氏というその道のプロが司会ということもあって、はっきりと空気感が変わった。第1回に漂っていた身内感、ローカル感が、さらに言うなら「地下」感がすっかり払拭されて、後の選抜総選挙の喧噪へと繋がる重苦しさの芽生えが、はっきりと感じられた。

第1回ではまだ分からなかった、選抜総選挙の意味するところが、この第2回にして誰の目にも明らかとなって、その上で新たな順位の上下が晒されたわけで、結果として、多くのメンバーのスピーチが魂の叫びになった。第1回では前田さんだけが到達してたレベルに、多くのメンバーが否応なく辿り着かされた、そういう風に見える。

中でも、とりわけ印象的だったのが、渡辺麻さんの激情の吐露、篠田さんの泣き崩れ取り乱す様だろうか。今ではこういう姿は決して見られなくなっただけに、これはちょっとしたレアものかも知れないと思う。一方で、指原さんのスピーチは、逆の意味で興味深かった。この時点では、まだ指原さんに「神」は降りてないように見える。「指原クオリティ覚醒」はいつだったんだろう。

こうやってあらためて振り返って見ることでも確認できる、AKB48選抜総選挙という仕組みにまとわりついていた「陰気」とは、正に前田さんが纏うそれだったんだということ。第1回での「前田コール」からの、前田さんの血を吐くようなスピーチ、あれが第2回にして、ほとんどのメンバーを感化したかのように、蔓延して行ったことが分かる。そして、この流れを決定的なものに化けさせたのが、その前田さんのまさかの敗北、正に大島さんの1位と言う結果だったことになる。

さらには、この段階では伏竜鳳雛ですらなかったに違いない指原さんが、後にすべてをひっくり返すことになる。「事実は小説より奇なり」という表現すら凌駕する、この選抜総選挙の歴史は、そしてAKBの歴史は、目も眩むようなあり得ない奇跡の物語と評するしかない。

あとは徳光氏が、この初めて担当した司会にして、既にしてAKBの本質を正しく捉えてることが分かって、ちょっと驚いた。以下、3位の発表の前に、徳光氏が語ったAKB評の文字おこし。

「AKBの仲間達っていいますのは、その、本当にですね、ライバルであり仲間であるという、そういったところでですね、お互いにやっぱりその競争しあう、そこから生まれるホンモノの友情。からまた、傷ついた心をですね、癒やしあう優しさ。から、ファンという人達を通しまして人への感謝。こういったようなものも備えている。つまり、今の教育にないものを、AKBのなかで、みなさんそれぞれですね、育て培ってらっしゃる。」

さらにエンディングでは、徳光氏は以下のように語ってる。

「昭和のアイドルとは違いまして、平成のアイドルは、文字通り、自分の言葉を持っております。これに私は感動しました。」

徳光氏の生年は1941年(昭和16年)とのことで、「昭和一ケタ」世代と、戦後ベビーブーマー(いわゆる団塊)の狭間の世代と言うことになる。この世代の思想傾向は、同年の生まれの宮崎駿氏をはじめ、左翼傾向が強いのかもしれないけど、「昭和一ケタ」世代のような壊滅的ということはないようだし、いわゆる団塊世代のような偏向もあまりないという理解で合ってるかな。だからこその、このAKB評なんだろうか。

単に、ホンモノはホンモノを知ると言うだけのことかも知れないけどね。