私は あまり本を買うことも 読むこともしません。
母が読み終わった本を借りて読むだけです。(母の部屋は本でいっぱい)
その中に
ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの著書でした。(36歳でこの大学の学長になった方)
「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのです。 置かれたところで咲いてください。
結婚しても、就職しても、子育てしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理して咲かなくていい。
その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。 と帯に書いてありました。
私はこの本を読んで 二つ心に沁みました。
① ほほえみが相手の心を癒す、の章に 「不機嫌は立派な環境破壊」 顔、口、態度からダイオキシンを出してるのと同じ。笑顔で生きると言うことは 立派なエコなのです。
② 愛情は言葉となってほとばしる、の章に 人を評価する時「しか」を使わず、「なら」を使いなさい。 「〇〇さんは、足し算しか出来ない」と言わないで、「〇〇さんは、足し算ならできる」というふうに。できない点を強調しないで できる点を強調しましょう。・・・・そして信頼は98% あとの2%は 相手が間違った時の許しのためにとっておきなさい、と言っています。
著者の渡辺和子さんは カトリックの信者さんですが 私は無宗教者ですので 今度は仏教のお教えの本を読んでみますね。
この本は字が大きくて母も手にとって読みやすそうということで購入しましたが、何よりこの渡辺和子さんの幼いときの境遇がかなりわたしにとっては衝撃的でした。
いつでもどんなときでも笑顔でいられるような穏やかな気持ちでいることは難しいですが、そのようでありたいものです。
それも 愛娘の和子さんの目の前で・・・・・・・
「勝っても負けても戦争は国を疲幣させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが 戦争だけはしていけない」と訴えていたお父さんが 2.26の早朝、銃声とともに撃たれたようですね。
当然ですね、使う為に作るのですから。
武器や兵器も同じです、作ると使いたくなります。
「置かれた所で咲く」、これは仕事にも当て嵌まります。
昨今は、合わないと直ぐ転職が当たり前?のようですが。
身を置いた所で遣り甲斐見付けられるかどうかです。
転職しても、天職はそう簡単に見付かるものでは有りません。
どうしても遣り甲斐が見付けられない時は仕方ないかも。
中東地域で起きている紛争も、根底にあるのは「宗派の主導権(縄張り)争い」なのだから。
それと、この本も「聖書」と似たようなものだろう。
聖書は理想論を並べ立てただけで、肝心の信者自身が教えを守っていないのだから。。
「汝の敵を愛せ」
「右のほほを打たれたら左のほほを出せ」
一体誰が守っているのだろうか?。
「少し考え方が違う」と言うだけで直ぐに殺しあう。
「信じるものは救われる」と言うが、神が人を差別するの?。
この人のことは知らないが、本に書いたこととは裏腹なことを陰でやっている人を何人も知っている。
いつだったか3Dからピストルを作った人がいましたね。
「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。」と書いてあります。
私は小さい時 なんでこんな田舎に生まれたのかしら・・・
親を選べないし・・・・・と嘆いた時がありました。
その時 この本に出合えれば 親にも反発しないで済んだのかも知れません。
今だからこそ 私はここに生まれて良かった! この親で良かった!と思えるようになりました。
コメント有り難うございます。
この本は「50万部突破」なんて書いてあるので 結構読まれた方が多いのでしょうね。
微笑み・・・・難しいですね。
私は どっちかと言うと 大きな声で笑っちゃう方です。
私も 無宗教
ある宗教は 「死んだら楽園が出来て生き返る」なんて言ってますが 私は 死んだら終わりと思っています。
でも どんな宗教にせよ 良い教えが書いてあります。
本を読んで 心のどこかに仕舞っておけば いつか役に立つかも知れません。
「聖書はキリストの教えを書いたもの」などと雑言をはく輩も多いが、後世の誰かが色々話を元にまとめたものだろう。
「論語」と似たようなものかも。
更に、本の出版の仕事もしたことがあるが、「著者以外の人が書いた」と言うものも結構あるようだがね。
所謂「ゴーストライター」がいるのです。
編集者などが手を加えることも良くあるしね。
ひどい場合は「何冊かの類似書をミキサーにかけて一冊の本にする」と言う場合もあるので。
個人的な話の部分には特に注意が必要です。
「お涙頂戴」で売り上げアップ。
「信じる者は救われる」とも言うので、あとは好きにすればいいのだがね。
俺も本を書こうかな・・・・(爆)。
熱心な仏教徒という訳ではありませんが、
時々「般若心経」を写経します。
「受想行識亦復如是 舎利子」
一語々々、意味をかみ締めながら…
しかし、意味すらも空虚なものである…
とまぁ、凡人はグルグルの世界に
迷い込んでしまうのでありますよ^^;