昨日、某回転寿司屋さんに行きました。
車に乗せて貰って行ったので 私が早く車から降りて駐車場の川端に立っていたら 殿様蛙の鳴き声が川の方から聞こえて来ました。
川と言っても幅、深さとも1メートル位、流れは悪く水も濁りよどんでいるような川でしたが・・・・
何か赤い物が動いてる。
よーく見るとザリガニでした。
「ねーねー。 ザリガニ獲りしようよ」
「スルメを先につけて糸を垂らすだけで獲れるよ。」と言っても友達は無視。
私は寿司を食べてる間中 ザリガニが気になって食べた気になりませんでした。
今年のお盆に飛騨へ帰省する途中、県道で大きな猿に出会いました。在所では今までなかった電気柵が張りめぐらしてありました。
どこの県にもいろいろな動物が出て困っているのですね。
岐阜県の県獣は何ですか?
山形の地方紙(山形新聞)には 毎日のように民家近くに熊が出た、と載ってますが 被害は野菜や果物で人的被害までは出てないようです。
熊だって人間を見ると怖いのでしょうからね。
有刺柵なら見たことありますが 電気柵は感電死するのかしら?
俺嫌われ者だから、台風にまで嫌われてしまった。
俺よりはるかにへそが曲がっているらしいが。
被害がないことを祈っているから。
こちらは今雨が降っているが、この前ほどではないので。
風もさることながら大雨だって!!Σ(×_×;)!
9号の台風の時、アンダーパスで水に浸かり動けなくなった友がいます。
遠回りでも跨線橋を通り帰って来るようにします。
昼過ぎから3時くらいまで雨足が時折強くなっただけで私が帰るころ(18時くらい)には雨も風も無く薄日さしてました。
良かった!
この後は北海道も油断が出来ないだろうしね。
アンダーパス。
こちらでは、面白がって大雨の中を走り回り、それで車を水没させた馬鹿もいる。
後、対向車の水しぶきで前が見えなくなり、それで追突した人もいると言う。
大雨の日の危険は「水没」だけじゃないからね。
私は台風と聞くと風台風が怖かったのですが 今では雨の方が怖いです。
上空のどのくらいの高さに台風の目があるか分かりませんが 将来、その目を破壊出来るロケットなどが出来るといいですね。
ちなみに、台風の目に入ると空は晴れ、風もほとんどなくなるからね。
ちなみに、俺は2度台風の目の中に入ったっ事がるので。
とにかく、突然風がぴたりとやみ、太陽が姿を現すからね。
中学2年の時だが、友達と二人で台風が吹き荒れる中、歩いて学校に行ったことがある。
学校は休みになることはわかっていたが、二人で面白がって歩いて行った。
歩くことおよそ3時間。
普段は電車で行くが、台風で電車は動いていない。
が、学校に着いた頃台風の目に入り、電車が動き出した。
と言うことで、帰りは電車で帰ってきたがね。
家に着く少し前にまた強風と大雨。
今ではそんなことをする元気もないが、中学2年のころは怖いもの知らずだったんだよね。
と言うことで、台風の目を破壊しても無駄。
ご両親は止めなかったのですか?
何が飛んでくるか分かりませんからね。
台風も日本にとっては雨水をもたらすから良いのですが 被害がでるほどの豪雨では大変です。
関東のダムはやっと例年並みに溜まったようですね。
おやじどころか、おふくろも一度も起きてきたことがない。
なので、朝食は常に「前の日の残り物」だったからね。
真冬は冷たい前の日の残り物。
8人家族だったので結構残り物はあったが、ろくなものは残っていなかったがね。
「冷や飯に冷たい味噌汁をかけて」なんて日常茶飯事。
ちなみに、俺は「石橋をたたいて渡らない」と言う一面と、「腐りかけた吊り橋をあえて渡る」と言う相反した部分があるので。
ついでだが、昔の男の子は「肉食系でワイルド」が多かったんだよ。
最近は女の子の方が肉食系でワイルドになっているがね。
今年の台風。
関東地方にだけ優しかったみたいだね。
それとも昔は 生活が先で 今のようにいちいち構ってあげられなかったのかな?
どっちにしてもおじさんは「やんちゃ」だったのですね。
台風がまた来ますね。今度は日本海に出て東北を逆から横断かな?
で、俺の母親は子供が嫌いで、「子供のために朝早く起きる」などと言うことは全く考えなかった人だからね。
極端な話、「自分さえ良ければいい」と言う考えで、親戚の人もあきれていたのだから。
料理を作るのも嫌いで、俺には4歳と9歳上の姉がいるが、その姉たちが早くから食事を作っていたからね。
なので、我が家には「おふくろの味」など存在しないのだよ。
おふくろの身勝手な一言でおやじの人格が破壊され、そのあおりで俺が虐待された。
なので、俺がいくら虐待されても、おふくろは一度も助けてくれなかった。
助けに入ってくれなかった理由は・・・・。
「下手に助けに入ると自分がやられるから」だと、おやじが死んだ後に言っていたがね。
「孫をかわいいと思ったことはない」とも言っていたから。
今なら地区の民生委員が助けてくれるのにね。
おじさんの奥さんはどうだったの?
両親を反面教師にして幸せな生活をしよう、子供には愛情を注ごうと思ったでしょ?
おやじたちは何故か(理由はわかっているがね)死ぬまで別れなかったが、俺は子供が中学二年の時に追い出したよ。
もちろん、子供は俺が引き取ったからね。
最近は自分の事しか考えない女が増えているらしいが、数は少ないが、昔もいたんだよね。
民生委員。
それほど頼りにはならないからね。
最近は特に。
考えようによっては 年金も一人で使えてるから自由気ままな生活が出来るのかもしれませんね。
何故か男性は奥さんがいなくなっても年金が全額貰えるのに 逆にご主人さんが亡くなった奥さんはご主人さんの半額の年金になるなんて不公平だと思いませんか?
当時は「男中心社会」だったからね。
少しずつ変わってゆくと思うが、どこまで変われるか。
一人で子育て。
一番大変だったのは高校の3年間。
野球部に所属していて、朝が早く、夜も遅い。
朝は6時に家を出て、夜は11時過ぎにならないと帰ってこない。
おかげで、俺が起きるのは5時で、寝るのは深夜の2時。
子供が学校に行った後に1時間ほど寝るが、1日の睡眠時間は4時間余り。
我ながらよく頑張ったと思うよ。
それと、毎日の弁当作りも悩みの種だったがね。
この気持ち、さくら子ちゃんにわかるかな・・・・。
主婦ならよくわかるんだよな(笑)。
本当に大変だったろうな、と想像できます。
野球部、サッカー部は ユニホームが真っ黒になりますからね。靴下も靴も・・・・・
その点 私は水泳部。
濡れた水着は着たままシャワーをあびて そのまま干しておけば翌日には乾いてますから 洗剤すら要りませんでした。
なかなかきれいにならず、初めは不満気味だったが、3ヶ月くらいすると文句を言わなくなった。
そう、初めのうちは汚れが目立っていたが、3ヶ月もすると他の子のユニホームも汚れが目立ちだし、自分の汚れが目立たなくなったのだよ。
その点、水泳部はいいよね(笑)。
ところで、弁当作りの苦労はわかったかな?。
今なら冷凍食品ですが その頃は冷凍なんて無かったのかしら?
スーパーに閉店間際に行って半額の惣菜を買い翌日お弁当に詰める?かな?
弁当作りの一番の悩み。
それは毎日の食事の献立と同じ。
よく言うだろ。
またこれかよ。
この間食べたじゃないか。
好きなものでも続けると文句が。
例外もあるが、半月以上間を開けないと同じ物が使えない。
主婦でないとこの苦労はわからんだろうね。
だから嫁の貰い手がない?。
美貌?が邪魔をしている?。
「そんなことを言うなら自分でつくれ!」と私なら言うと思います。
私は母が作ってくれたお弁当を粗熱が取れるまで蓋をしないでおいて 好きじゃない物はそっと捨てていました。
見つかると叱られましたがね。
でも作って頂いたお弁当に文句など一切言ったことはありません。
昨日と同じ食材が入っていてもね。