ペストウム編 Vol. 3
南イタリヤにこんな建物が残っているとは、全く知りませんでした。
畑の真っ只中に、アクロポリスのパルテノン神殿の様なものが現れたのですから、ビックリです。
この遺跡は「ペストウム」と呼ばれ、ギリシャのアクロポリスよりはやや小振りでしたが、それでも大迫力で、3棟が残っていました。
考古学の調査によると紀元前600年頃にこの辺りはギリシャの植民地だったらしく、ギリシャによって作られたのではないかとのことです。
風化が進んでいる様に見えましたが、石の文化はほって置かれても結構長持ちするもんですね~。
南イタリヤにこんな建物が残っているとは、全く知りませんでした。
畑の真っ只中に、アクロポリスのパルテノン神殿の様なものが現れたのですから、ビックリです。
この遺跡は「ペストウム」と呼ばれ、ギリシャのアクロポリスよりはやや小振りでしたが、それでも大迫力で、3棟が残っていました。
考古学の調査によると紀元前600年頃にこの辺りはギリシャの植民地だったらしく、ギリシャによって作られたのではないかとのことです。
風化が進んでいる様に見えましたが、石の文化はほって置かれても結構長持ちするもんですね~。
そのギリシャ人の設計に基づきローマ人(イタリア人?)が建物、水道、橋、道路を作ったとの事。今のギリシャは?応援したくなってしまう私です。(笑)
この建造物の大きな石一つにしても、どうたって持ち上げたのか、これだけ大量の石を何処からどうやって運んだのか、エジプトのピラミッド同様、昔の人は偉かった!・・と思います。