稲田写真塾*ギャラリー*

稲田写真塾のギャラリーです

「西方見聞録」 イタリヤ編

2022年06月29日 18時27分00秒 | ノンジャンル
今日は、「谷根千撮影会」に行ってきました。
素晴らしい位、猛烈に暑かったですが、参加者の皆様は最後まで元気に撮影を続けました。
最後は予定を変更して、上野の森まで足を伸ばして西洋美術館で終了としました。
では、高和さんも行ったことがあるポンペイをご覧に入れます。

イタリヤ・ポンペイ編 Vol. 6

前回のソレントからベスビオス火山が見えた写真をお見せしましたが、今日は西暦79年にベスビオス火山の噴火で火砕流に覆われ地中に埋もれていたポンペイの遺跡の写真です。
ポンペイはよくご存知と思います。
が、私が行って、見て、驚いたのは思ったよりもベスビオス火山が遠くにあった(見えた)ことです。あんな遠くから火砕流が来たんだ!(写真・1)と思いました。
それに、壁画などフレスコ画の色が綺麗に残っていたことにも驚きました。(写真・2、3)
居酒屋(写真・4)、パン屋(写真・5)これは小麦を粉に引く機械(?)。
上下水道が完備され、進んだ生活をしていた様ですね~。


 1)


 2)


 3)


 4)


 5)

「西方見聞録」 イタリヤ編

2022年06月27日 17時04分00秒 | ノンジャンル
イタリヤ・ソレント編 Vol. 5


海岸線に沿って更に北のソレントを目指してスタートしますが・・・この道が片方が下は海の断崖絶壁で所々細い部分があるのですが、バスも乗用車も、上り、下り共ビュンビュン飛ばすので怖いこと怖いこと。そして、バスが細い所で出会ってもどちらもなかなか譲らない!

ソレントは「帰れソレントへ」で知られた所です。
そして、貝細工の「カメオ」でも有名でした。
ここでは(写真・1)のホテルの向かって左の棟の最上階に泊まって、(写真・2)をホテルのレストランのベランダで夕方撮影し、翌朝部屋のベランダから(写真・3)を撮影しました。朝靄の先、遠くに見えるのはポンペイが恨みのベスビオス火山です。


 1)


 2)


 3)

「西方見聞録」 イタリヤ編 

2022年06月25日 14時53分00秒 | ノンジャンル
イタリヤ・アマルフィ編 Vol. 4

暑さに負けずに続けましょう、少しヤルキを無くしてますが・・・。
ペストウムから北に60km程走ると、アマルフィという町があります。
中世から、複雑な海岸線によって守られて、ベネツィアやジェノバと肩を並べる海運国家として繁栄しました。
「イタリヤ随一の美しい海岸」といわれています。
が、何故かこの写真しか残ってないので・・た~くさん撮ったんですけど・・・。
(写真・1)は高台からのショット、(写真・2)は長い階段があるアマルフィ大聖堂です。
(写真・3)は大聖堂から見た湾内の写真です。


 1)


 2)


 3)

「西方見聞録」 イタリヤ編

2022年06月22日 17時36分00秒 | ノンジャンル
 ペストウム編 Vol. 3

南イタリヤにこんな建物が残っているとは、全く知りませんでした。
畑の真っ只中に、アクロポリスのパルテノン神殿の様なものが現れたのですから、ビックリです。
この遺跡は「ペストウム」と呼ばれ、ギリシャのアクロポリスよりはやや小振りでしたが、それでも大迫力で、3棟が残っていました。
考古学の調査によると紀元前600年頃にこの辺りはギリシャの植民地だったらしく、ギリシャによって作られたのではないかとのことです。
風化が進んでいる様に見えましたが、石の文化はほって置かれても結構長持ちするもんですね~。









(無題)

2022年06月20日 15時43分00秒 | ノンジャンル
「西方見聞録」 イタリヤ編

アルベロベッロの続きです。

ここでは、教会だって屋根はトゥルッリで(写真・1)、 普通の住宅は所によってビルもありますが(写真・2)、お土産屋さん(写真・3)も当然トゥルッリの建物です。
中には、屋根の部分に記号や文字の様なものが書いてある家もありましたが(写真・4)、これがどんな意味があるのかを聞くのは忘れました。
この屋根だけは何処の国でも見たことがありません。
町を歩いてこの屋根を見れば御伽の国に行った様な気分になれる事は確かです(写真・5)。
その気がある方は是非どうぞ。


 1)


 2)


 3)


 4)


 5)

これで、アルベロベッロを終わります。