goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

〈2024京都宇治〉日本茶とスイーツを楽しむ 2024/01

2024-01-12 23:22:40 | 🌇 街案内

〈2024京都宇治〉日本茶とスイーツを楽しむ
  暮らしニスタ より 240112 

京都府宇治市にある日本茶の老舗「森半」さんで日本茶とスイーツを楽しみました。


⚫︎特大サイズの抹茶モンブランが一押しメニューです。
   ほうじ茶がセットになっています。
「よかったら、見ませんか」
と抹茶マロンクリームをのせる工程の時に声をかけていただいたので見せてもらいました。
お素麺より細い緑色のクリームが出てきてほ~っと声が出ました。

 蔵カフェという名前がついている通り、こちらは昔は蔵だった場所です。
古い建物を改造して作られた趣あるお店です。
天井に見える太い梁、古い和ダンスや飾り棚に歴史を感じました。

■エントランス①
勢いのある辰の絵。
登り龍のようにお店の景気をあげてくれそうです。

■エントランス②
森半さんののれん。
お店ののれんは顔です。
渋い色の茶の漢字。
これをくぐるとお茶のショップがあります。
京都のお店ではのれんがかかっている所が多く残っていて通りを歩くだけで楽しめます。

■抹茶マロンクリーム掛け

こうやって機械の下に生地をのせたお皿を持って上からかけます。
パティシエさんがこのお店にはいますがこれはスタッフの方がやっていました。
優れた機械ですよね。
やってみたかった!

▶︎中身は?
 中身はどうなっているのかと半分食べたところで写しました。
中央に大きなマロン、周りにホワイトクリーム下にスポンジ、クリーム、ダックワーズ
が重なっているようでした。
 ビッグなサイズなのに軽く食べられる上品な甘さ。
抹茶の渋味はどうかなと思っていましたがほぼ感じられず。
しかしながら抹茶の香りがあったのでなるほど抹茶モンブランでした。
良いバランスのケーキでした。


■日本茶に興味がある人もない人も
 これは別室の部屋で見かけた茶葉をハーバリウムにして飾ってあるものです。
お茶の品種も説明してあります。
お茶が好きな方はじっと見て観察できます。
そうでない方はただ眺めてこの緑色で癒されるといいです。
とても落ち着きます。
この部屋でも喫茶できるそうです。
いい時間を過ごしました。


暮らしニスタ/シンバルさん



💋旧大和街道筋で観光地からも外れて穴場で、店員さんもいい感じで。
  のんびりと品選びでき!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴代天皇が「1000年以上訪れなかった伊勢神宮」の謎 アマテラスの正体とは? 2024/01

2024-01-12 23:12:51 | ¿ はて?さて?びっくり!

歴代天皇が「1000年以上訪れなかった伊勢神宮」の謎 アマテラスの正体とは?
  デイリー新潮 より 240112  新潮社


 能登半島地震への対応で今年は延期になってしまったが、首相が年頭に伊勢神宮を参拝するのは恒例となっている。
 言うまでもないことだが、伊勢神宮の祭神は天照大神(アマテラス)であり皇室の祖先である。

「即位礼正殿の儀」に臨まれる天皇陛下(2019年10月22日)
【実際の「天皇系図」を見る】系図を辿っていくと―― 一般人とは比べ物にならない“圧巻のルーツ”

 歴史作家の関裕二氏は近著『スサノヲの正体』(新潮新書)の中で、皇祖神アマテラスとその弟であるスサノヲにまつわる数々の謎に挑んでいる。

 なぜ天皇家の祖神アマテラスは、実在の初代王と言われる崇神天皇によって、伊勢に追いやられたのか。

 歴代天皇は明治になるまで千年以上もの間、アマテラスを祀る伊勢神宮を訪れなかったのはなぜか。

 こうしたことの背後には、朝廷の権力を独占してきた藤原氏の暗躍がある、というのが「関史観」である。そして関氏は、そもそも伊勢神宮に祀られているのはアマテラスではないのではないか、という大胆な仮説を提唱する。同書から抜粋してみよう。

 ***

⚫︎持統天皇の伊勢行幸に反対した三輪氏
 持統6年(692)2月11日、持統天皇は諸官に詔し、3月3日に伊勢に行幸すること、その準備をするようにと命じている
 すると同月19日、中納言の三輪朝臣高市麻呂(みわのあそみたけちまろ)は、行幸は農事の妨げになると諫めた。
 また3月3日に、高市麻呂は衣冠を脱いで天皇にささげ、重ねて諫言したが、聞き入れられなかった。
 3月6日、天皇は諫言を無視し、行幸を強行してしまった。三輪氏は、大物主神の末裔で、祟る大物主神を大神神社で祀ってきた家系である。なぜ、職を賭して持統天皇を押し止めようとしたのだろうか。

『日本書紀』に従えば、伊勢神宮の整備は第11代垂仁天皇の時代にまでさかのぼる。
しかし古い時代の伊勢神宮の痕跡は、今のところ確かめられていない。
 つまり、持統天皇が伊勢神宮を整えようとして、三輪朝臣高市麻呂が反発した可能性が出てくる。大物主神の末裔の三輪氏が抵抗したところが重要だと思う。
 伊勢神宮に祀られているのは、本当に女神・アマテラスなのだろうか。その正体は、大物主神なのではあるまいか。

 崇神天皇はほぼ同時に、大物主神の祟りとアマテラスの神威に脅えた。大物主神は日本海の神で、崇神は吉備系の王なのだから(母と祖母が物部)、崇神が大物主神の恨みを恐れた理由はわかる。
 しかし、アマテラスが天皇家の祖神なら、なぜ王自身が「ともに暮らせないほど恐ろしい」と感じたのだろう。

 伊勢外宮で語られ三輪にもたらされた「伊勢と三輪は一体分身」の伝承を組み合わせれば、ヤマト政権が恐れた神は『日本書紀』の言うアマテラスではなく、日本海(『日本書紀』神話の出雲)の大物主神だったのではないかと思えてくる。
 そして、ヤマト政権が祀っていた大物主神は、7世紀に持統天皇によって伊勢に遷し祀られたのではなかったか。
 だからこそ、大物主神の末裔の三輪朝臣高市麻呂は、必死に抵抗したのだろう。

 持統天皇が伊勢神宮を整備したあと明治天皇が参拝するまで、歴代天皇はどなたも伊勢神宮を参拝されていない
⚫︎持統天皇のあと明治天皇まで誰も訪れず
 持統天皇が伊勢神宮を整備したあと明治天皇が参拝するまで、歴代天皇はどなたも伊勢神宮を参拝されていない。

 伊勢の町では今でも、正月の門飾りに「蘇民将来子孫家門(蘇民符)」を掲げ、一年間かけ続ける。『備後国風土記』逸文に登場した「蘇民将来説話(スサノヲが恐ろしい疫神だった物語)」が、伊勢でも語られていたのだ。
 これは、はたして偶然なのだろうか。伊勢の神は、実は祟る恐ろしい疫神・スサノヲではなかったか。

 第10代崇神天皇が「宮中で共に暮らすことはできない」と追いだした神は、伊勢に向かったが、この神こそ、三輪(纏向でもある)の大物主神であり、スサノヲではなかったか。そして、恐ろしい祟り神だったからこそ、歴代天皇は、伊勢を避けたのだろう。
 ただの祟る神ではない。天智系の王家が藤原氏のそそのかしに乗り、正体を抹殺した上で伊勢に封印してしまった祖神である。天皇家自身にとっても神に対しやましい気持が残っていたのだろう。

⚫︎なぜ山部親王は伊勢にすがったのか
 ただ、皇太子時代の桓武(かんむ)天皇(山部親王、やまべしんのう)は、体調不良を案じ、伊勢神宮に詣でている。なぜ、健康問題と伊勢神宮がつながったのだろう。
 桓武天皇は順調に皇位継承候補になったわけではない。本当の皇太子を死に追いやって、権利を獲得している。

 父・光仁(こうにん)天皇の正妃は井上内親王(いかみないしんのう)で、二人の間の子が他戸親王(おさべしんのう)だった。光仁は天智系で、天武系の称徳(しょうとく)天皇の崩御を受けて、即位した。この時、皇位をめぐって天武系と天智系はもめたが、天武系の井上内親王を皇后に、その子の他戸親王を皇太子に立てることで、親天武派を説得し丸く収めたのだろう。
 ところが、井上内親王が光仁天皇を呪詛したという理由で、母子は幽閉されてしまったのだ。これを受けて、山部親王が皇太子に立てられた。
 しばらくして、母子は幽閉先で同じ日に同じ場所で亡くなってしまった。密殺されたのだろう。邪魔者は皇族でもワナにはめて抹殺するのが、藤原政権の手口である(ワナと言うよりもでっちあげだが)。

 いわゆる「御霊信仰(祟り封じ)」は、井上内親王と他戸親王の事件がきっかけだったと考えられている。山部親王は他戸親王が死ななければ皇太子になれなかったのだから、やましい気持があったのだろう。井上内親王と他戸親王の祟りが体調不良の原因と信じ、あわてて、伊勢の神にすがったわけである。

 問題は、なぜ祟り封じのために伊勢の神を選んだのかだ。山部親王は自らの行動によって、「伊勢の神は病をもたらす恐ろしい祟り神」であることを証明してしまったわけである。

 アマテラスの弟スサノヲは、天上界では乱暴狼藉を働いて追放される悪玉だが、地上界では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人々を助ける善玉になる。
 そのキャラクターは『古事記』と『日本書紀』とで大きく異なり、研究者の間でしばしば論争となってきた。ヤマト建国への関与、祭祀をめぐる天皇家との関係、縄文文化のシンボル……。
 豊富な知識と大胆な仮説で古代史の謎を追ってきた筆者が、スサノヲの正体に鋭く迫る 『スサノヲの正体』

⚫︎藤原不比等が神を入れ替えた?
 本来なら、天皇家の守神にもなったであろう「伊勢の神」を、恐ろしい存在にしてしまったのは、持統天皇と藤原不比等だと思う。祟り神でも、祀りあげれば、恵みをもたらす神に代わるはずだからだ。
 しかしそれを怠り、伊勢に放逐したわけだ。それはどうしてなのか。

 答えは簡単なことだ。スサノヲは天皇家にとって大切な神だったが、もうひとつ「蘇我系の神」の側面があった。
、l乙巳(いっし)の変(645)で蘇我入鹿を滅ぼし、藤原氏は改革者・蘇我氏の手柄を横取りし、スサノヲに簑笠を着せて「悪神」に仕立て上げてしまった。そこで藤原不比等はスサノヲをアマテラスにすり替え、その上で伊勢に封印してしまったのだろう。

※本記事は、『スサノヲの正体』(新潮新書)の一部を抜粋、再編集したものです。



関裕二(せき・ゆうじ)1959(昭和34)年、千葉県柏市生まれ。歴史作家、
武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『神武天皇vs.卑弥呼』『古代史の正体』など著書多数。

デイリー新潮編集部
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

👫〜JR京都…護王神社…伊勢丹〜> 240112

2024-01-12 22:29:00 | 📖 日記
🚶…JR黄檗〜六地蔵(妻合流)〜京都…駅ビルポルタ🥐…八条通り…八条大宮…護王神社🐉🙏📕↩️…八条通り…JR京都駅ポルタ🍗…伊勢丹:北海道展🥮🧁🧁…JR京都〜六地蔵//〜🚉…H六原🧇🥩🥒…>
🚶11371歩3kg

☀️散歩日和:風穏やか
 行きは妻と六地蔵で合流し(歩数)京都駅ビル中心に。外人多い。
⛩️干支🐉の護王神社:人出少。切絵御朱印,龍図朱印帳。
🏬屋上景観👀,北海道展:あれこれグルメ買。




護王神社



本殿

龍神社:摂社

春には桜咲く正面参道
伊勢丹屋上よりの眺望



























 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黒船」が日本にきたとき、実は「ペリー」もまた「驚愕」していた  202401

2024-01-12 02:15:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「黒船」が日本にきたとき、実は「ペリー」もまた「驚愕」していた…彼が「日本人」について語った「驚くべき内容」
  現代ビジネス より 240211  播田 安弘


 歴史とは、人と物が時間軸・空間軸の中をいかに運動したかを記述するものである。話題騒然の前作に続き、日本史の「未解決事件」に「科学」を武器に切り込む!

 本記事は播田 安弘『日本史サイエンス〈弐〉 邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。

⚫︎第二の大航海時代の到来
 16世紀の世界を一変させた大航海時代に、西欧列強に対し、うかつに手を出すと痛い目にあうことを見せつけて植民地化を免れた「ジパング」こと日本は、やがて港のほとんどをみずから閉ざします。
 豊臣政権を倒して日本の支配者となった徳川家康が開いた江戸幕府が、ごく一部の国を除いて出入りを禁じる鎖国政策を採ったからです。
 そして日本は、250年にもおよぶ泰平の眠りにつきます。一国の平和な状態がこれほど長く続いたことは、世界にもほとんど例がありません。内政が安定していたのもさることながら、外からの侵攻がなかったことがその大きな要因でしょう。

【写真】「日本」を「世界一の鉄砲大国」にした「凄すぎる技術」

 化学反応や熟成、発酵には長く安定した時間が必要です。その時間を与えられた江戸時代の日本では、さまざまなものが育ちました。
 それらを総称して「文化」というなら、江戸時代の日本の文化は世界でもかなり高い水準にあったことが、近年の研究でわかってきています。
 泰平の眠りから起こされた日本を救ったのは結局、それらの文化だったのではないでしょうか。

 この間に世界では、スペインが没落し、かわって英国が7つの海を支配するといわれた巨大な海洋帝国を築いていました。
 世界の植民地から英国が収奪した富は、莫大な量にのぼりました。大英博物館やルーブル美術館の展示品を見れば、いかに世界から多くの宝物が集まったかがわかります。
 エジプトなどは現在、持ち去られた出土品の返還を求める交渉をしています。

 富が蓄積されると,国内では社会や経済が発展し,人口が増え,物品の需要が増大します。
 18世紀の英国ではとくに、インドの綿製品の人気が高まりました。そこで需要に追いつくため生産力を上げようと、それまでの手織りの紡績機に代わって、水力を利用した機械紡績機が開発されました。
 それでも足りず、カートライトが蒸気で駆動する機械紡績機を開発します。そして1769年、ワットが従来の蒸気式機械から復水器(コンデンサー)を独立させることでエネルギー効率を飛躍的に向上させた、本格的な蒸気機関を発明します。ワット式蒸気機関は燃料を75%も節約することができました。

 蒸気機関は鉱山の排水ポンプに使われ、さらに汽車にも使用されて、生産や移動にかかる負担を劇的に減らしました。
 その結果、企業の収益は急伸長し、各種の大工場が建設され、たくさんの労働者が働き、労働者たちとその家族が住む家が立ち並び、英国各地に新しい工業都市が生まれました。
 こうして世界で初めて起こった蒸気機関による社会変革が「産業革命」ですが、その原動力は、海洋支配によって得た多くの植民地からの富だったのです。

 英国で起こった革命の波は、やがて当時の先進国だったフランス、ドイツ、米国にもおよびます。同様に工業を発展させたこれらの国も、安い原料を輸入し、大量生産した製品を輸出できる貿易の相手を求めて、次々と海に出ていきました。
 それは産業革命による第二の大航海時代の到来ともいえました。
 しかしその貿易の実態は、軍艦と大砲による強力な軍事力を背景に、アフリカ、アジア、アラブ、南米諸国などの技術力が未発達な国々を服従させるもので、「砲艦外交」とも呼ばれています。

 19世紀になると、欧米の列強各国の矛先は東南アジアに向かいます。1842年には、英国が清(当時の中国)との阿片戦争に勝利して、租借地を獲得しました。インド、ビルマ(現ミャンマー)、シャム、タイも英国領または支配地域となり、インドシナ地域はフランス領、フィリピンは米国領、清は約20%が英国、フランス、ロシア、ドイツの領地あるいは支配地域となりました。
 日本を除くアジア諸国のほとんどが支配下におかれていったのです。

⚫︎ペリーが驚いた日本人の技術力
 こうした世界の動きから隔絶されたかのような長い眠りについていた日本に、ついにその波が到達したのは、1853年のことでした。
 ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、江戸湾入り口の浦賀沖(現在の神奈川県横須賀市浦賀)に来航したのです。それまで交流のあった外国といえばおもには日本海側の朝鮮や中国であった日本にとって、反対側の太平洋から突如、異国の船が出現したことは衝撃的でした。
 日本の近代化はこのとき始まったといってもよいでしょう。

 ペリーには、長い歴史をもつ閉ざされた神秘の国の扉を最初に開けるのは、新興国の米国でありたいという強い意識があったようです。日本についての資料を読み込んで研究した彼は、幕府を開国させるには毅然とした態度で圧力をかけることが必要であると確信し、多数の新式大砲を備え、防水・腐食のためのタールを黒々と塗った「サスケハナ」を旗艦とする大型蒸気船をそろえて視覚的にも威圧感を強めたのです。
 この「黒船」作戦が奏功し、日本は200年以上も閉ざしていた港を開かざるをえませんでした。

 ただし、この初めての日米両国の接触で驚いたのは日本人ばかりではなかったようです。
ペリーの日本来航時のエピソードをまとめた『日本遠征関連逸話集』(在NY日本国総領事館のウェブサイト)によれば、ペリーは寺子屋や藩校などで学ぶ日本人の教育水準の高さや、職人の腕のよさ、礼節を尊ぶ国民性に感嘆しています。
 そして中国や他の東洋諸国では女性が夫の従属物のように扱われ無知の中に放置されているのに対し、日本女性は夫の伴侶であり、教育や品位があるとし、既婚女性のお歯黒は奇異ではあるが一夫多妻制もない日本は、道徳や規範において東洋諸国のなかで異質であると、好感を表しています。

 とくにペリーは日本人が潜在的にもっている技術力の高さを見いだし,こう述べています。

「日本人は非常な精巧さと緻密さを示している。そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さを考慮するとき、彼等の手工業上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。
 日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。
 他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用にあてる敏速さによって、日本国民と他国民との交通から孤立させている政府の排外政策の程度が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。
 日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう」

この言葉がやがて、現実のものとなっていくのです。

さらに連載記事<なぜ「日本」は「世界一の鉄砲大国」に? その「意外な要因」>では、戦国時代の日本の「凄すぎる技術」について解説します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする