聖徳太子への崇敬の念はなぜ高まり続けたのか 没後1400年,日本史上最大の“スター”の全貌
文春オンライン より 211127山内 宏泰
日本史上最古にして屈指のキャラクターといえば、聖徳太子だ。いつの時代も高い人気を誇ってきた貴人が没後1400年を迎えるにあたって企画されたのが、
東京・サントリー美術館での「聖徳太子 日出づる処の天子」展。
⚫︎いかに崇敬の念を1400年も集めたのか
聖徳太子は6世紀後半、用明天皇の皇子として生まれ出た。実名は厩戸皇子とされる。
推古天皇の摂政を務め、十七条憲法制定や遣隋使派遣といった画期的な政策を次々と打ち出し、日本という国家の礎を築いた名政治家としてまずは知られる。
同時に、大陸から伝わって間もない仏教を深く修め、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺を創建し「日本仏教の祖」となり、日本人の精神性の根幹を打ち立てたともされる。
さらにはそこに、いっぺんに7人の話を聴き分けることができたなどの逸話も付け加わり、1400年もの長きにわたって尊ばれることとなったのである。
太子信仰の中心を担ってきた四天王寺に伝わる名宝などから、聖徳太子の魅力や崇敬の実態に迫ろうというのが今展だ。
⚫︎聖徳太子の成長を順に追いかける
会場を巡って真っ先に興味を惹かれるのは、太子の演じた名場面が同一画面にいくつも描き込まれ、活躍ぶりがひと目で知れる《聖徳太子絵伝》がたくさん並んでいること。
四天王寺に伝わるものをはじめ、日本各地の寺社に納められているさまざまな絵伝が集められている。
⚫︎いかに崇敬の念を1400年も集めたのか
聖徳太子は6世紀後半、用明天皇の皇子として生まれ出た。実名は厩戸皇子とされる。
推古天皇の摂政を務め、十七条憲法制定や遣隋使派遣といった画期的な政策を次々と打ち出し、日本という国家の礎を築いた名政治家としてまずは知られる。
同時に、大陸から伝わって間もない仏教を深く修め、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺を創建し「日本仏教の祖」となり、日本人の精神性の根幹を打ち立てたともされる。
さらにはそこに、いっぺんに7人の話を聴き分けることができたなどの逸話も付け加わり、1400年もの長きにわたって尊ばれることとなったのである。
太子信仰の中心を担ってきた四天王寺に伝わる名宝などから、聖徳太子の魅力や崇敬の実態に迫ろうというのが今展だ。
⚫︎聖徳太子の成長を順に追いかける
会場を巡って真っ先に興味を惹かれるのは、太子の演じた名場面が同一画面にいくつも描き込まれ、活躍ぶりがひと目で知れる《聖徳太子絵伝》がたくさん並んでいること。
四天王寺に伝わるものをはじめ、日本各地の寺社に納められているさまざまな絵伝が集められている。
釈迦の生涯を一枚の絵の中に描いた「仏伝図」なるものは古くから盛んにつくられてきたが、おそらく聖徳太子の絵伝はそれに倣ったもの。太子を日本仏教の祖と捉え、生涯を絵画化する伝統が生まれたのだと思われる。
絵伝に描かれたエピソードをもとに、太子の生涯の「型」が伝承されるようになっていく。そこからことあるごとに、太子のさまざまな時期の姿が造形化されていったのだろう。今展では彫像や絵画によって、聖徳太子の成長を順に追いかけられるよう構成された展示もある。
絵伝という共通の出どころがあるからか、たいていの造形には共通した「らしさ」が見てとれるのがおもしろい。こうした絵伝や造形物によって、文字が読めない人たちにも聖徳太子のありがたさがありありと伝わり、崇敬の念は高まり続けたのだと想像できる。
⚫︎聖徳太子の息吹が感じられる
出品作には、聖徳太子の息吹を直接感じられるような逸品も多々あって、たびたび息を呑むこととなる。
「太子伝来七種の宝物」のひとつで、太子が所持していたとされる国宝《七星剣》は、反りのほとんどない直刀で、北斗七星を金象嵌してある。仮に謂われを知らずともこれを目の前にすれば、きっと畏れの念を抱くに違いない緊張感がみなぎっている。
593年に聖徳太子が建立した日本最古の官寺、大阪・四天王寺に伝わる名品の数々にも見入ってしまう。寺内から発見された《四天王寺縁起(根本本)》は、奥書に太子がみずから書写したとあり、その証として紙面に手形がいくつも捺されているのが見てとれる。これが聖徳太子の手形かと思えば、一挙にありがたい気持ちが湧いてくるではないか。
平安時代につくられた国宝《扇面法華経冊子》も見目鮮やか。豪華な装飾の上に下絵が施され、そこに経文が書かれている。美しさと信仰がごく自然に同居しているところに、日本文化の特質が垣間見える。
現代になるとたびたび紙幣の図柄に採用されたり、山岸凉子による漫画作品『日出処の天子』が人気を博したりと、聖徳太子の人気はいまだ衰え知らず。後世に魅力や逸話が「盛られた」面はもちろんあろうけれど、それもまずはご本人の輝きがあってこそに違いない。
そう強く肩入れしたくなるほどに、展示を巡り終えると、聖徳太子が身近に感じられるようになるのであった。
(山内 宏泰)