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⚠️ なぜ「ウクライナは降伏すべき」と主張する日本人が出てくるのか 202204

2022-04-02 01:28:00 | なるほど  ふぅ〜ん

なぜ「ウクライナは降伏すべき」と主張する日本人が出てくるのか
與那覇 潤 歴史もたまには役に立つ
 Newsweek より 220402 naruedom-iStock 


<侵略戦争は常に、世界を見る上での自らの「遠近法」を疑おうとしない国が起こす。そして冷戦以降のアメリカが証明したように、その行動は失敗する運命にある>

『トワイライト・ストラグル』という、1945~89年の米ソ冷戦史を追体験できることで著名なボードゲームがある。いまはカード等も含めて日本語化されたものが手に入るし、英語版でならアプリでもプレイできる。

 米国ないしソ連を担当して、世界各国に自国の影響力を扶植してゆくのだが、地道に勢力を拡大するより一挙に軍事行動(主にクーデター)を仕掛けた方がしばしば手っ取り早いという、身もふたもないリアリズムが特色だ。

 さらに皮肉なのは米ソによる「核の均衡」の、ゲーム内容への反映のさせ方だ。クーデターは効率的だが、主要国で1回起こすごとに核戦争への危険度が増して「相互に軍事行動禁止」の地域が設定され、逆説的ながら危険度が下がるまでその地域は「平和」になる(クーデター等を起こせなくなる)。

 まずヨーロッパ、次にアジア、その後に中東と、核危機の深まりに連れ3段階で米ソともに軍事行動のできない地域が広がり、逆にいうと中南米とアフリカではゲームの最後まで、(主要国を除けば)「クーデターし放題」の状態が続く。

 注意したいのは、このゲームのデザイナーはアメリカ人だということだ。だからプレイを進めてゆくと欧州が最も平和で安定し、波乱含みながらアジアがそれに次ぎ、中東は混迷を深め、そのほかの地域は最底辺のカオスを自ずと呈することになる。

 よかれ悪しかれ、日本人もまた世界情勢を見るときに、そうした遠近法のグラデーションに慣れてしまって久しい。

 2022年2月から文字通り世界を揺るがしているウクライナ戦争は、しかしそうした私たちの尺度とは「逆向きの遠近法」の持ち主が国際社会には存在し、巨大な暴力を振るい得るという現実を明らかにした。

 そもそもプーチンがロシアの実権を掌握した契機は1999年、中央アジアを舞台とする第二次チェチェン紛争で、首相として軍事制圧一辺倒の強硬路線を指揮し、当時のエリツィン大統領から後継指名を手にしたことだった。2015年にはシリア内戦に介入して反体制勢力をやはり武力で圧殺し、政府軍の化学兵器使用も後援したとされる。

 もちろん主権国家であるウクライナに対する侵略と、チェチェンやシリアで発生した「内戦」への介入とでは、国際法上の位置づけが異なる。

 しかしチェチェンやシリアの際にはプーチンの所業にさして関心を持たなかった、多くの欧米人や日本人がウクライナでの戦争発生に慌てふためく理由は、むしろ「先進国」を対象にしてすらアジア周辺部や中東と同様の蛮行が生じうるという、自らの遠近法を掻き乱される事態に遭遇した衝撃の方が大きいだろう。

 逆にいうとプーチンや、彼に拍手する戦争支持派のロシア人の頭の中には、おそらく私たちとはまるで異なる遠近法があり、彼らはそれで世界地図を見ている。

 彼らなりにたどってきた「ポスト冷戦史」の視点では、1999年のチェチェンと2015年のシリアの延長線上に2022年のウクライナがあるのに、なぜ今回だけは国際社会が「妙に騒ぎ」、制裁のレベルが「異様に重い」のか、心底理解できない――おそらくはそれが、いま「向こう側」にいる人々の肌感覚なのだろう。

 米ソの冷戦とは自由民主主義と共産主義という、西欧の近代社会が生み落とした二大政治思想の「頂上決戦」に見えた。1989年に明白になったのは前者の勝利だったが、しかし私たちはそれを過大評価してきたように思う。

 自由民主主義の体制が安定した欧米諸国を「人類の進歩」の先端に置き、そうしたスケール(尺度)を前方へと歩むほど戦争の危機から解放され、平和が保障される地域になるはずだとする世界地図の見方を支持する人の範囲は、実際には「グローバル」よりもだいぶ狭かったのだ。

 プーチンという「まったく別の遠近法」の持ち主によって、旧西側世界の尺度では「先進地域」に位置づけられ得るはずのウクライナに、「後進地域」に限られるものと思われてきた野蛮な殺戮が出現したことが、私たちを混乱させている。

「ウクライナは降伏した方がよい」との失言で炎上する日本人の識者が後を絶たないのは、彼らが――欧米圏から悲惨な戦火の映像が届く日は来ないとする――自らの遠近法を「これからも維持したい」という欲求を、無自覚に優先してしまっているからだろう。

 しかし歴史が証明するように、自身の遠近法を疑い得ない者は必ず敗れ去る。冷戦に勝利したはずのアメリカは2000年代の初頭、「自由民主主義への導き」を万人共通の尺度だと錯覚して内戦状態のアフガニスタン、そして主権国家イラクへと軍事介入し、長期的にはどちらでも敗北した。

「"ネオナチ"の脅威を排除する」と呼号してのロシアのウクライナ侵攻は、かつて「テロの脅威を取り除く」として泥沼に突き進んだアメリカを、20年遅れでなぞるかのように見える。そして住民は「解放者」を歓呼で迎えるはずだといった手前勝手な独断が、現地の抵抗と国際社会の批判の前に画餅に帰すまでの時間は、今回の方が遥かに短い。

 冷戦に勝利し、世界を席巻するかに見えた米国の遠近法は、クリントン―ブッシュ(子)時代の「自己過信」を経て、オバマ―トランプ―バイデンと減衰の一途をたどった。敗者としてまた別の遠近法の牙を研ぎ続けたプーチンのロシアも、ウクライナの合法政権をも武力で制圧可能とする「慢心」の果てに、同じ失敗を追うことになるだろう。

 私たちが立場を問わず肝に銘じるべきは、もし「現実」とその「見方」(遠近法)とが食い違うとしたら、間違っているのは常に後者だというシンプルな事実だ。

 その残酷さに目を凝らすところから,世界地図の「見方自体が異なる」諸勢力と対峙し共存してゆくという,真に冷戦の遺産が食い尽くされた後の新しいゲームが始まるのだと思う。

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