goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

👫〜矢田寺,モダンテラス🍝蔦屋,サウスホ-ル/241213

2024-12-13 23:14:14 | 📖 日記
夫婦デートでチャコット,更に,初パン屋,初バウンドケーキ屋,矢田寺拝観,蔦屋:京都モダンテラス:プチ贅沢🍽️:📚,ロームシアター;事務所&図書室;サウスホ-ル(「ダンスワークスの世界」を鑑賞),あっちこっち

👫〜祇園四条…四条大橋…四条通…三条通…チャコット…🥐OUI…バウンドケーキSILK🥮…三条通…矢田寺🙏📕…鳴門鯛焼🍎🥮…三条通…三条大橋…川端通…二条通…ロームシアター事務所(妻所用)…蔦屋:京都モダンテラス🍝🍽️…蔦屋📚…ファミマ🥤…シアター図書室👀📚…ロームシアターサウスホ−ル「ダンスワークスの世界」☂️…二条通…東大路通🌂…仁王門通…新堺町通…三条通…三条〜🚉…>
🚶‍➡️12656歩2kg12F


🍽️スパゲッティ美味
📚手塚治虫の森,手塚治虫の怪,人生には何ひとつ無駄なものはない,娘の学校
💃ダンスと音楽を楽しむ。現代ダンスの観客は…


矢田寺

十三夜月:岡崎公園より



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電池交換も充電も不要に? ダイヤモンドが拓く 2024/12

2024-12-13 01:17:17 | ¿ はて?さて?びっくり!

電池交換も充電も不要に? ダイヤモンドが拓く「数千年稼働」の世界
 Newsweek より241213  ジェス・トムソン


世界最硬のダイヤモンドが守る、数千年稼働する電池の秘密(写真はイメージです) Declan Sun-Unsplash

<充電不要で数千年稼働するダイヤモンド電池が発表された。炭素14の放射性崩壊を利用した仕組みは、極限環境での活躍を見込まれている>
何千年にもわたって医療機器や宇宙船に電力を供給し続けられるというダイヤモンド製の電池を研究チームが発表した。

 この電池は、放射性同位元素の「炭素14」をダイヤモンドで取り囲んで電気を起こす。普通の電池に比べて飛躍的に長持ちすることから、医療機器や、宇宙空間のような極限環境でさえも使用できる。

【動画】電池交換も充電も不要に? ダイヤモンドが拓く「数千年稼働」の世界

「ダイヤモンド電池はマイクロワット級の電気を安全かつ持続的に供給できる。これは人工ダイヤモンドを使って少量の炭素14を安全に封じ込める新興技術だ」。
 イギリス原子力公社(UKAEA)トリチウム燃料サイクル局長のサラ・クラークは声明でそう述べている。

 新型電池はUKAEAとイギリスのブリストル大学が共同開発。ダイヤモンドの中に閉じ込めた炭素14同位元素の放射性崩壊を利用する仕組みを備える。

 同位元素とは、原子核に含まれる陽子の数が同じで中性子の数が異なる化学元素のことで、安定同位元素と、時間が経つにつれ放射線を放出しながら崩壊していく放射性同位元素がある。炭素14は放射性同位元素で、ベータ崩壊を起こして電子を放出する。

 ダイヤモンド電池は、太陽光パネルで光を電気に変換するように、ベータボルタ効果と呼ばれるプロセスを通じて放射性崩壊を電気に変換する。
 炭素14の半減期は約5730年。つまりこの電池は理論的には数千年間、持続できる。ただし出力は時間とともに低下する。
 こうした電池は眼球インプラントや補聴器、ペースメーカーなど充電や電池交換なしで長期間稼働させなければならない医療機器のほか、メンテナンスが非現実的な宇宙船や人工衛星、遠隔センサーなどに使うことも期待される。

 ブリストル大学材料学教授のトム・スコットは、「我々のマイクロパワー技術は宇宙技術やセキュリティ機器から医療用インプラントに至るまで、重要なアプリケーションに幅広く対応できる。
 今後数年かけて産業界や研究界のパートナーと連携しながら、あらゆる可能性を探求できることに期待している」とコメントした。

 ダイヤモンド構造は崩壊に伴って放出される放射線を閉じ込めることもできるため、人や環境にとっての安全性も保証される。

 ブリストル大学化学校のニール・フォックスは先にこうコメントしていた。
「炭素14を材料に選んだのは、どんな固形物にもすぐ吸収される短距離放射線を放出するという理由だった。吸入したり素肌に触れたりすれば危険だが、ダイやモンドの中に安全に格納することで、短距離放射線は脱出できない」

「実際、ダイヤモンドは人が知る限り最も硬い物質であり、文字通り、我々が利用できる中でこれ以上に守りが堅いものはほかにない」

(翻訳:鈴木聖子)
ジェス・トムソン
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クマの殺処分にかわいそうの抗議〉「(クマの代わりに)お前が死ね!」の暴言も…ネット社会で巻き起こる論争に抜け落ちていること 2024/12

2024-12-13 00:54:19 | 気になる モノ・コト

〈クマの殺処分に「かわいそう」の抗議〉「(クマの代わりに)お前が死ね!」の暴言も…ネット社会で巻き起こる論争に抜け落ちていること
  Wedge より 241213  林 智裕


 『「友だちでした。何も言えない」クマに襲われたとみられる遺体、北大生と判明…キャンパスで沈痛な声、水産学部長「志半ばの若い命が失われたことに深い悲しみ」』──。

 今年4月に筆者が上梓した拙著『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』冒頭の記述である。

 本の執筆を始めたちょうど1年前のこの時期、クマによる被害人数は環境省が統計を取り始めた2008年度調査以来で過去最悪となっていた。
 全国統計では11月の暫定値時点で22年(76人)の2.8倍以上の212人、死亡例は22年の3倍となる6人に及んだ。

 今年も昨年に続き、日本各地で記録的なクマの出没が相次いでいる。秋田市内のスーパーでは、従業員を襲ったクマが3日にわたって立てこもる事件まで発生した。

⚫︎人里に出没するクマの殺処分を「かわいそう」と抗議するのは正義なのか(Freder/gettyimages)
 ところが、クマの殺処分には反対する声も相次ぎ、行政には抗議の電話が殺到している。
 これら抗議の大多数は、他人事でいられる地域からのものだ。安全圏から「可愛いクマが可哀想」「命をまもれ」などと安易に抗議すれば、自分が「やさしい」「ただしい」「知的」「いい人」「ヒーロー/ヒロイン」になれたかのような自己満足を手軽に感じることができる。一方で、クマの出没リスクに直面している当事者、被害に遭っている地域にとってクマの殺処分は死活問題だ。

 ところが、当事者の事情など抗議者にとっては「自己満足を邪魔するノイズ」でしかない。事実、抗議の矛先は被害者家族にまで向けられた。中には「(クマの代わりに)お前が死ね!」などの暴言さえ珍しくない。

 「秋田県から人間を追い出せば全てが解決する」などと主張する者まで現れた。抗議者側が、いかに当事者の人権や地域を軽んじているかが垣間見える。

⚫︎クマの出没とNIMBY問題の構造的類似
 これらの現象を単なる感情論として片付けるのは容易だが、そこには社会学的視点で捉えるべきNIMBY(Not In My Back Yard:私の家の裏庭には持ってこないで)問題としての意味がある。
 NIMBY問題とは、「公共のために必要な事業や施設であることは理解しているものの、自分の近所で行われることは反対する」という住民のエゴイズムに使われる概念である。主に空港や工場、発電所、ゴミ処理場、刑務所などが槍玉にあげられ、ときに保育園や幼稚園、児童相談所、病院や特別養護老人ホームなどが対象にされることもある。

 これも前掲した書籍に記したが、近年では「公共のために必要な事業や施設であることは理解している」前提や公共と「裏庭」の境界すら見失い、たまたま自分の視界に入った心的不快の排除、承認欲求などの自己愛を満たすこと、あるいは何らかの政治党派性に都合の良い主張ばかりが肥大化したケースも見られる。

 代償となる心的・物的・時間的コストやリソース、解決努力や譲歩といった負担の全ては他者に丸投げした上で、感謝どころか「悪役」として無限に叩けるサンドバッグにさえしようとする。
 挙句、それら甘えやエゴを「やさしさ」「社会正義」「被害者側」「アドバイスを与えてやった功労者」であるかのように正当化する立ち居振る舞いさえ珍しくない。

 クマをめぐる抗議活動も、この構造に類似性を持つ。
都市部やクマが生息しない地域に住む、本来であれば何ら当事者性を持たない抗議者が、現地のリスクや生活環境に無関心なまま当事者を差し置き、「クマを殺すな」などと「被害者」「当事者」然として声を上げる。
 一方で、クマ出没リスクに直面する地域住民や行政といった本来の当事者や被害者は苦しい実態を理解してもらえず、むしろ「悪役」のように糾弾される立場に追い込まれる。

 「自然を守れ」「生き物を殺すな」という大義名分は、クマ駆除に反対する抗議者の主張を正当化する強力な論理として機能していると、抗議者側は見做しているであろう。
 しかし、その裏には自己満足・免罪的な「やさしさ」(優しさ/易しさ)が潜む。
それら『「やさしさ」の免罪符』がいかに近視眼的であり、現実や人権を軽んじた詭弁・暴力・ハラスメントであるかを可視化させる必要がある。

 クマが脅威とならない地域からの抗議者らは、現地の被害など、まるで「取るに足りない辺境で起きた他人事」のように思っているのだろう。
 だからこそ、実態を真摯に学ばずとも「自分が格上の存在で尊重されるべき」であり「易しく」口出しできると、さも当たり前のように問題や当事者全てを見下している。
 要するに、彼ら彼女らにとって自分の視界内から「クマが殺される」という不快な出来事が排除されることは、地方に暮らす人々の生活や人権、命よりも遥かに重いということだ。

 今、社会で議論されるべきは「クマ殺処分の是非」などでは全くない。いかにこうしたノイズに相応の代償を返し、理不尽な暴力から当事者と地域を守るかだ。

⚫︎「やさしさ」が生む分断と社会正義の暴走
 こうした「やさしさ」の問題は、様々な社会運動に共通して見られている。
身近で分かりやすい例としては、たとえば都市開発やインフラ整備に伴う「樹木の伐採反対運動」も挙げられるだろう。 

 2024年夏、かねてより燻っていた東京都の明治神宮外苑の再開発をめぐる反対運動が話題になった。東京都知事選でも蓮舫候補が「いったん立ち止まる。都知事選の争点にしている」と主張し、都による環境影響評価や、開発が可能となった都制度の適用過程について「厳格に検証する」と訴えたことで更に注目を集めた。

 反対派の主張は「歴史的な景観を守れ」「緑を破壊するな」という感情的訴えが中心であったが、実際の開発計画には新たな植樹や持続可能性を考慮した取り組みが含まれていた。
 小池百合子候補(現都知事)は蓮舫候補とは対照的に、「争点にならない。なぜなら今立ち止まっているから」と説明。事業主体である民間事業者に樹木保全策の提出を求めているとした。「イチョウ並木が切られるとのイメージがあるが、そうではない。むしろ樹木の本数は増える」とも述べた。

 こうした反対運動は、自然保護という「やさしい」大義名分のもと、計画の全体像や将来的な利益、ときに事実さえも無視した感情的な論調に帰結しがちになる。
 詳細は記事「彼らはなぜ神宮外苑再開発反対のデマに乗ったのか(加藤文宏)」で述べられているが、明治神宮再開発反対運動には、数々のデマも発生していた。
 これらの目的は「当事者の為」なのか。そもそも「当事者」とは誰を指すのか。

⚫︎当事者を無視する〝批判〟
 こうした状況は、今年1月に発生した能登半島地震の復興を巡る議論にも見られる。

 発災直後から、被災地には遠方からのデマや、それらを基にした身勝手で現実離れした「べき論」がぶつけられた。その一端について、詳しくは能登半島で自らも被災した方自身が以下に綴っている。

『令和6年能登半島地震にかかる風評・流言・誤解の記録検証について~もう一つの「震災被害」を記憶する~』
1.地震直後も道は空いていた、渋滞は嘘だ
2.被災地への救助部隊派遣が遅いし少なすぎる、政府の怠慢だ
3.石川県は最初ボランティアに来るなと言ったが手のひら返しした
4.被災地がボランティアを拒んだせいでボランティアが来なくなった
5.ボランティアから参加費をとるのはおかしい
6.被災地を見に行ったがまだ「瓦礫」が片付いてない、怠慢だ
7.二次避難者から料金を徴収するのは酷過ぎる
8.万博/宿泊割/ブルーインパルス飛行/政府外遊をやめてその予算を復興支援へ回すべき

⚫︎おわりに.行政・政治を動かす為にデマや誇張は許されるか
 能登半島では今もなお、復興復旧が不十分な場所ばかりを敢えて探し「政府の対応が悪い!」と主張したがる人々も少なくない。
 一方で、復興復旧は政府と被災地、当事者らが協力して推し進めてきた。

 当然課題も残るが、既に驚くべき成果を挙げた部分もある。それらを知ろうとすらせず、外野から「やさしい」批判をすることは、同時に被災地の努力と成果全てを「上から目線で」否定・侮辱すること、熊害に安全圏から文句を付けているに等しい行為にさえ繋がりかねないことに注意するべきだ。

 残念ながら、被災当事者への侮辱を隠そうともしないケースも既にある。
意に添わぬ被災者に対し「じゃあ、ずっと瓦礫の下でお過ごしください」と言い放った者がいた。「能登ウヨ」(ネット右翼=ネトウヨという俗語・侮蔑語から)呼ばわりする者もいた。

 これらは「(クマの代わりに)お前が死ね!」と言い放った者と何が違うのか。

⚫︎社会的解決に向けた課題
 クマ殺処分や伐採問題、能登半島地震など数々の事例から見えてくるのは、「困難に直面した現実の当事者」を差し置いて、当事者性・被害者性・発言権を奪おうとする「外部の無責任な理想主義者」に社会がどのように対処すべきなのかという課題である。

 無論、現場のミクロ的な視点からだけでは見えない、解決できない課題もある。
理想主義の全てを否定する訳ではないし、外部の人間が当事者に一切関わるなというつもりも全くない。

 ここで問題になるのは、災害などの緊急時にさえ興味本位や自己愛を満たすこと、あるいは何らかの政治党派的な主張ばかりが目的の、現場と謙虚に向き合わず、コストも責任もリスクも負う気すら無きまま「当事者」「被害者」になり替わろうとする雄弁な部外者たち、そして、それらを無批判に歓迎し招き入れてしまっている人物や社会だ。

 「広く多様な共事者視点を交えた議論」とでも掲げれば「やさしい」「正しい」「知的」「冷静」「いい人」のように振舞えるかも知れない。

 それは、救急車の不適切利用にも似ている。消防隊が通報した人を誰も拒まないことは結局、限りあるリソースの奪い合いをもたらす。
 社会問題の場合、その議題や世論における支持は声の大きいものや数多くの投稿によってときに「事実」や「社会的正しさ(コンプライアンス)」をも凌駕してしまう。


⚫︎誰もが通報できる119番通報は、時に声を上げられない急患を苦しめる
 そうしたリソースの奪い合いは非常時であるほど、声をあげる力無き急患や被災者など、最も危機的な弱者に襲い掛かる。
 たとえばクマ出没問題で命の危機にある被害当事者に、「クマ殺処分反対派も交えて、共に冷静な議論するべきだ」などと迫っても、被害当事者は全く救われない。
 東京電力福島第一原子力発電所事故の場合、部外者からはデマだらけの「放射線被曝による住民の健康被害」ばかりが声高に叫ばれた一方、それら社会不安の拡散こそが被災者へ健康被害や震災関連死をもたらしたことはほとんど顧みられなかった。

 これまで社会問題を巡る議論では、無責任な外部からの干渉を批判すれば「分断を煽る」「排他的・暴力的」と見做され、逆に当事者や被害者の言葉を奪う行為を擁護・正当化することが「やさしさ」「正しさ」のように扱われてきた。
 それらを喝破し安易な免罪符を与えないことが、今後様々な社会問題の解決に求められる大きな課題と言えよう。
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70年前に誕生した「ゴジラのメインテーマ」が代替不可能である理由 2024/12

2024-12-13 00:50:23 | 🎬 映画、TV

『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』監督らが明かす…70年前に誕生した「ゴジラのメインテーマ」が代替不可能である理由
  現代ビジネス より 241213  SOUND FUJI編集部


🦖70年前に誕生した「ゴジラのメインテーマ」が代替不可能である理由

 1954年に第1作『ゴジラ』が公開されて以来、日本のみならず世界中から支持されて特撮映画作品の象徴となっているゴジラ。
 この度、ゴジラ生誕70年、ゴジラの数々の映画音楽を担当した伊福部昭生誕110年記念企画として、2014年にアナログ盤で発売された『ゴジラ』と『キングコング対ゴジラ』のオリジナル・サウンドトラックがキングレコードから初CD化される。

 発売を記念して、独自の世界観で数々の現代音楽、映画音楽を残し、人々へ多大なる影響を与えた音楽家・伊福部昭が生み出した音楽との出会いやその魅力について、伊福部昭の音楽を敬愛する11名の方々から寄稿文を寄せていただいた。

※この記事は2024年12月5日にキングレコード発の音楽メディア「SOUND FUJI」に掲載された記事を再編集したものです。

寄稿者:井上誠、上野耕路、開田裕治、佐野史郎、タカハシヒョウリ、高見沢俊彦(THE ALFEE)、巻上公一(ヒカシュー)、藤井亮、増子直純(怒髪天)、山崎貴、樋口真嗣


▶︎井上誠
 40年前に『ゴジラ伝説II』を発表した時、某音楽評論家が「驚いたよ、だってこれロックでしょ?ボク、キングにはロックを扱うセクションが無いと思ってた」と言いました。
 私は「いや、これはロックとかサントラとかクラシックとかのカテゴリーに収まらない、地球上に唯一無二のTHE IFUKUBEを探求する愚直な試みです」と答えましたが、
実際にキングは伊福部昭さんの作品であれば純音楽も映画音楽も分け隔てなく次々とリリースし、そのおかげで双方の研究者やファンの交流が生まれ、世界的な伊福部ルネサンスの時代が訪れました。
 キングの功績は計り知れません。これからも至宝の発掘と音盤化に邁進してください。楽しみにしています!

ー1956年生れ,神奈川県出身。ヒカシューやINOYAMALANDのエレクトロニクス操作および作曲、編曲を担当。 
1983年にLP『ゴジラ伝説』を発表したことが縁で「SF交響ファンタジー」の誕生に立ち合う。以後は伊福部昭の全映画音楽スコアの整理分類作業を担当、1986年にはその成果としてLP『OSTINATO』をオーケストラで制作。1990年以降は『完全収録AKIRA IFUKUBE』など旧作映画音楽のCD化を相次いで企画、映画『ゴジラVSモスラ』(1992)、『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)、『ゴジラVSデストロイア』(1995)ではサントラC Dの構成、解説などを務めた。


▶︎上野耕路
【伊福部昭への細やかなコンテキスト的眼差し】
 伊福部昭は今日性とともにあった。前衛から無視されたことをその反論とされそうだが、彼はブーレーズの「主なき槌」のスコアを研究し音楽が観念だけで出来ていたというショックについて語った。そしてクセナキス、ケージ、またセットセオリーについても知っていた。

アーティストには創作動機を奮発させるものが必要だ。それが賛同か反発かはさておき。彼は前衛に反発した。
 とはいえ彼は戦前においては彼より少し先輩の西欧のアーティストたちに創作動機を奮発させられる。それは彼のそのときの今日性であった。
 そんな彼は怪獣映画でしかセリーを採用しなかった。E-G#-D-Eb-A-Bb-Db-C-B-B-Bb-A-F-F#-G-Abという有名なフレーズ。(そこでぼくはE-G#-D-Eb-A-Bb-B-C-F#-G-C#-Fというヴェーベルン的なセリーを作り、さる怪獣映画で使用した。)

ー作曲家・画家。8 ½(ハチカニブンノイチ)(1978ー79)、ハルメンズ(1980)、ゲルニカ(1981〜89)、捏造と贋作(1998〜)などのバンド、ソロ(1984〜)、坂本龍一氏の映画音楽への参加(1986〜87)。
現在作曲、絵画制作を続けながら日本大学芸術学部映画学科非常勤講師、映画音楽、舞台音楽、TVCM音楽などに携わる。
映画:『のぼうの城』『ヘルタースケルター』,etc.
TVCM:『QPあえるパスタソースたらこ』『綾鷹』,etc.


▶︎開田裕治
 私が初めて出会った伊福部昭音楽は、1959年公開の『宇宙大戦争』でした。当時私は6歳。パースの付いた「TOHO SCOPE」の大文字に包まれた東宝マークと共に叩きつけられるように鳴り響いたテーマ曲は、それまで童謡や歌謡曲しか聴いた事もなかった少年の度肝を木っ端みじんに粉砕してしまいました。
 それ以来、今に至るまで私の心の中に伊福部昭の音楽が鳴り止む事はありません。

 特撮映画にのめり込んだまま大学生になった私は、特撮怪獣の同人誌活動を始め、若さゆえの暴挙と言うか恐れを知らぬ蛮行と言うか、一面識もない伊福部先生に直電し、仲と共に尾山台の伊福部邸に押しかけ、4時間にもわたってインタビュー取材をさせて頂いたのでした。
 おそらく特撮映画音楽に的を絞ったインタビューを行ったのは我々が始めてではなかったでしょうか。どこの馬の骨とも知れない我々に対しても、伊福部昭先生は終始穏やかにニコニコと対応して下さり、怪獣馬鹿共の無遠慮な質問にも丁寧に答えて下さいました。
 伊福部先生の心の広さ、雄大な魂の一端に接し、それまでにも増して伊福部音楽の魅力にのめり込むようになったのは言うまでもありません。
(この時のインタビューは2016年に刊行された、伊福部昭『音楽入門』角川ソフィア文庫判に収録されています)

ーイラストレーター。幼少より怪獣映画、特撮映画を愛好し、学生時代に始めた同人誌活動は現在も継続中。同人活動で広げた人脈を基盤にプロとしての活動を開始。怪獣やロボット等のキャラクターイラストを中心に、雑誌や単行本の表紙、プラモデルやゲームのパッケージ、音楽ソフトのジャケット等をはじめ、カードゲーム、ポスター等のイラストレーション作品を手がけ、『伊福部昭映画音楽全集』シリーズ全十作のジャケットイラストも担当した。

第28回(1997年)星雲賞アート部門受賞 第24回ゆうばり国際映ファンタスティック映画祭にてファンタランド大賞市民賞受賞
現在は妻と三匹のネコに囲まれて東京に在住。


▶︎佐野史郎
1983年8月5日、日比谷公会堂における『伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ』のコンサートの興奮は忘れられない。子供の頃より繰り返し観続けていた特撮怪獣映画、その映像と共に体の奥底にまで染み込んだ伊福部昭音楽をフルオーケストラで浴び、陶酔した。
 それを機に一旦製作を終えたゴジラ映画が再び創られるようになり、今なお、国を超え脅威を増している。
 核兵器によって目覚めた古代の神獣ゴジラは、鳥取、因幡国一宮、宇部神社の宮司を古来務めてきた伊福部家の末裔、伊福部昭によって鎮められる神事でもあるのだろう。
 明治新政府によって神社が統括されると、宮司であった伊福部家はその職を離れ、蝦夷地、北海道へと居を移した。そこで伊福部昭少年が出会ったアイヌ民族の音楽は、伊福部音楽の幹となり、大国主の神話とも呼応して、この列島の古代の響き、ゴジラの咆哮をも解き放ったのだ。

ー1955年3月4日生まれ、島根県松江市出身。高校卒業後、現代思潮社『美學校』にて中村宏に師事、油彩画を学ぶ。1975年、劇団シェイクスピア・シアター旗揚げに参加、退団後1980年、唐十郎率いる劇団状況劇場入団1984年退団。1986年、林海象監督「夢みるように眠りたい」で映画主演デビュー、1992年、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」がヒットしマザコン男冬彦役が社会現象となる。主な出演作品に石井輝男監督「ゲンセンカン主人」(1993)、大河原孝夫監督「ゴジラ2000ミレニアム」(1999)、空音央監督「HAPPYEND」(2024)など。
また「小泉八雲 朗読のしらべ」をギタリストの山本恭司と2007年より続けている。2023年には箱根彫刻の森にて写真展「瞬間と一日」を開催。音楽活動も継続、2023年にフルアルバム『ALBUM』をリリース。


▶︎タカハシヒョウリ
 劇場で初めて見たゴジラ映画は『ゴジラVSキングギドラ』(1991)でした。この作品が、伊福部昭先生16年ぶりのゴジラ映画へのカムバック作であったこと。その事実が自分の人生に与えた影響は計り知れないと思います。東宝マークから不穏に響くピアノ、相対する二大怪獣をバックに鳴り響くメインタイトル、そして雪崩込むように「U.F.O.襲来」へ。この冒頭の3分で、少年の神殿の中に「伊福部音楽」という揺るぎない定礎が組み込まれたのです。

 伊福部音楽には、日本列島の奥底から突き上げてくるようなビートがある。足の裏から下腹部が、心臓が、じんわりと熱くなるような魂の旋律がある。それは、幻想の奥底から幽玄と現れた東宝怪獣たちの咆哮と共鳴して、この星に響き渡っています。
 心の奥底に刻み込まれた感動への感謝と共に、ずっと先の世代までこの音楽が響き続けることを願っています。
ーロックバンド「オワリカラ」のボーカル・ギターとして2010年から6枚のアルバムをリリース。作詞作曲家として、アイドルグループ、映像作品、大槻ケンヂ氏(筋肉少女帯)のソロプロジェクト、ポケモンカードゲームCM音楽など数々の楽曲制作を手掛ける。2024年11月、ソロ名義での新曲「リバイバル」をリリース。
 様々なカルチャーへの偏愛に満ちた筆致で文筆家としても活動し、カルチャー誌から女性ファッション誌まで幅広い媒体にコラム寄稿、番組出演なども多数。
「特撮ファン」活動として、特撮音楽をバンドサウンドで表現する「科楽特奏隊」を仲間たちと結成。監督も務めたMVではウルトラセブンと共演し、「おはスタ(テレビ東京)」に出演。近年は、円谷プロダクション公式メディア連載や、『ウルトラセブン』55周年映像にミュージシャン役として出演など。
好きなゴジラ怪獣はガイガン。


▶︎高見沢俊彦(THE ALFEE)
【ゴジラの教訓】
平成14年12月8日、北海道の音更町へコンサートで訪れた際、リハーサル前に音和の森自然公園にあった伊福部昭さんを讃える音楽記念碑に立ち寄った事は、今でも色鮮やかな思い出として心に残っています。その日はかなり雪深く、周囲が静寂の中、雪をかき分けながら歩く自分の姿がまるでゴジラのように感じられ、どこか嬉しさを覚えたものです。

 初めてのゴジラ映画は小2で観た『キングコング対ゴジラ』(1962)でした。背びれが青く光りながら熱線を発するゴジラの姿に心を奪われ、以来、私はゴジラマニアへと変貌したのですが、ゴジラ映画には伊福部昭さんの音楽が絶対不可欠なのです。それは映画の中だけでなく、今も私の心の中で特別な存在として響き続けているからです。テーマ曲が映画館に響き渡る時、私は自然と童心に返り、その瞬間何とも言えない特別な高揚感に浸ります。

今年、伊福部昭さん生誕110周年でゴジラは70周年、かくゆう私も生誕70周年でバンドは50周年! 長く続ければ続けるほど人々の心に残る。それがゴジラ音楽から得た教訓です。

THE ALFEE 高見沢俊彦
1954年4月17日生まれ。ロックバンドTHE ALFEEのリーダー。楽曲制作、エレキギター、ヴォーカルを担当。1973年、桜井賢、坂崎幸之助と共にアルフィーを結成。1974年、シングル「夏しぐれ」でデビュー。1983年の「メリーアン」から2024年7月リリースの最新シングル「KO. DA. MA. / ロマンスが舞い降りて来た夜」まで、オリコンシングルウィークリーチャートで58作品連続ベスト10入りを果たしている。THE ALFEEは現在、全国ツアー「秋の祭典」を行っていて、今年の5月で単独有料公演数が2900本を記録した。また、高見沢は小説家としても精力的に執筆活動を続け、第4弾となる長編小説「イモータル・ブレイン」を文藝春秋社オール讀物に連載中である。


▶︎巻上公一(ヒカシュー)
【ヒカシューとゴジラ】
 思えば1980年に溜池にあった東芝EMIのスタジオで、たまたま伊福部昭氏と居合わせ挨拶したのがはじまりだった。その出会い以前からヒカシューは、デビューした時からずっとゴジラのテーマを演奏し続けていた。だからその出会いは膝が震えるほどの衝撃だった。井上はのめり込み、シンセサイザーによる『ゴジラ伝説』を完成させた。それがきっかけで井上は、伊福部家に足しげく通い、譜面の整理に夢中になり、ぼくらのツアーを休むほどだった。

ヒカシューにおける成果は、だいぶ後になってから結実した。2017年の『ゴジラ伝説V』では、ニューヨーク・ジャパンソサエティ公演後に録音。井上誠を中心にチャラン・ポ・ランタンも加わり、生き生きとした盤が完成した。ぼくは「あの日の叫びは陽炎か」という詩を書いた。ゴジラにおける伊福部音楽に慣れ親しんでいるために、時に新作映画での音楽の切り刻みに落胆することもある。なぜヒカシューに音楽を依頼しないのか不思議で仕方ない。


▶︎巻上公一
音楽家、詩人、プロデューサー
 現在も活動中のヒカシューのリーダーをつとめながら、ニューヨークからモスクワ、オセアニアまでを飛び回る世界的なアーティストである。民族音楽にも精通しており、ユダヤ音楽のクレズマーをイディッシュ語で歌い、巧みに口琴を操り、2017年トゥバ共和国国際ホーメイコンテストでは優勝も果した。日本トゥバホーメイ協会会長を20年以上務める。

プロデューサーとして、JAZZ ART せんがわをはじめ、ジョン・ゾーンズ・コブラ、湯河原現代音楽フェスティバル、熱海未来音楽祭など多数。

作詩作曲はもちろん、テルミン、コルネット、尺八からエレクトロニクスなど多くの楽器を演奏し、コラボレーションも精力的に行っている。歌らしい歌から歌にもならないものまで歌う歌唱力には定評があり、それらの音楽要素を駆使する演劇パフォーマンスのクリエーターとしても活躍している。


▶︎藤井亮
でたらめな映像ばかり作っている僕が、伊福部音楽について語るなんて大変おこがましく,(僕を含む)ゴジラファンから怒られるのではと冷や汗をかきつつこの文を書いております。
そんな僕でも、やはり撮影の日、ミニチュアセットの前に立つと自然に頭の中で流れてくるテーマはやはりあの音楽です。
「猫ふんじゃった」も弾けない僕が唯一ピアノで弾ける、「♪ドシラ ドシラ ドシラソラシ ドシラ」の圧倒的なシンプルさと反復から生まれる肉体的な強さと高揚感は、ものづくりの理想的な姿でもあります。いつか、あのテーマ曲を使った特撮映画を僕自身も……などという大それた妄想と憧れを持ちながら、これからも聴き続けていきたいです。

ー映像作家・クリエイティブディレクター。
1979年愛知県生まれ、武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン科卒。株式会社豪勢スタジオ代表。

考え抜かれたくだらないアイデアで遊び心あふれたコンテンツを生み出し話題を集める。

主な仕事に、NHK『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』、滋賀県『石田三成CM』、著書『ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる』(扶桑社)など。

「大嘘博物館」の展示プロデュースをはじめ、番組や書籍の制作から監督、脚本、アニメーション制作など、幅広いジャンルにおける「くだらないクリエイティブ」を手掛けている。


▶︎増子直純(怒髪天)
 伊福部氏の作った「ゴジラ」の音楽は世界中の映画音楽の中で名曲と称される作品の一つである事は疑う余地も無い。あの曲を聴いた途端に目の前に巨大な怪獣が現れこちらに向かってくる様子がありありと脳内に浮かび上がる。人間との意思の疎通など微塵も感じさせない圧倒的な暴力、破壊が迫り来る恐怖をこんなにリアルに表現出来た音楽があっただろうか。
初めて聴いたその日からこの曲はトラウマになる。人智の及ばぬ絶大な力になす術もなく狼狽える人類の焦燥すら感じ取れる実に奥深い楽曲なのだ。いかに音楽が進化してトレンドが移り行こうともあのゴジラの「恐怖」を表す音楽はこれしかないと断言できる。


▶︎怒髪天 増子直純
1966年、札幌市出身。怒髪天ボーカル。一度見たら忘れられないエモーショナルなライブスタイルと、その真逆をいく流暢なMCが混在するステージは圧巻。その気さくなキャラクターで「兄ィ」の愛称で親しまれている。また、お宝鑑定団へ出演する程のヘドラコレクターであり生粋のゲーマーでもある。
俳優としても活躍しており、近年では、映画『GOLDFISH』(2023年公開)や、ドラマ『季節のない街』(2024年テレビ東京)へ出演している。


▶︎山崎貴
『ゴジラ-1.0』(2023)の制作中、幾分CGが出来上がったところで画像を繋げてみたことがあります。昭和の町にゴジラが現れるシーンがいい感じに仕上がってきていて、嬉しかったのですが、なんか足りない。どうもゴジラになりきっていない。不思議な気持ちでした。姿形は明らかにゴジラで、それが昭和の銀座をズシンズシンと歩いている。どう転んでもゴジラのはずなのに、なんか足りない。そうです。あの音楽です。伊福部サウンドです。

ええ、つけてみましたとも。その途端ですよ、そのゴジラはまごうことなきゴジラそのものになったのです。驚くほどの変化でした。周りを見回すと、プロデューサー達もニヤニヤしながら画面を見ていました。皆「俺たち今、ゴジラの映画作ってるんだなぁ」という実感がはっきりと沸いてきて、ニヤニヤするしか無かったのでしょう。実はあの伊福部サウンドこそがゴジラの正体なのかも知れないとその時思ってしまいました。願わくば、未来永劫、あの曲が失われることが無い事を祈ります。あの曲は人類の宝だと思うからです。

ー映画監督。1964年、長野県松本市生まれ。
幼少期に『スターウォーズ』や『未知との遭遇』と出会い、強く影響を受け、特撮の道に進むことを決意。阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、1986年に株式会社白組に入社。『大病人』(1993)、『静かな生活』(1995)など、伊丹十三監督作品にてSFXやデジタル合成などを担当。『ジュブナイル』(2000)で監督デビューを果たし、CGによる高度なビジュアルを駆使した映像表現・VFXの第一人者となる。
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)では、心温まる人情や活気、空気感を持つ昭和の街並みをVFXで表現し話題になり、第29回アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など12部門を受賞。『永遠の0』(2013)、『STAND BY ME ドラえもん』(2014)は、それぞれ第38回アカデミー賞最優秀作品賞ほか8部門、最優秀アニメーション作品賞を受賞。最新作『ゴジラ-1.0』(2023)は、全米での歴代邦画実写作品興収No.1となるなど、海外からも高い評価を受け、第96回アカデミー賞®視覚効果賞など数々の賞を受賞。


▶︎樋口真嗣
今更何を語ればいいのか、というよりどこから語ればいいのか?
血肉となり長い年月を経て体の一部に同化してしまった、その旋律、和音、リズム。そのどれもが複雑でありながらシンプル。キャッチーでありながらハイブロウ。叙情的なのに高揚する情念。似たような傾向の内容にも関わらず、作品ごとに新たなフレーズが増え、そのどれもが魅力的だったが、そんな中に異彩を放つのが1972年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』だった。
 多忙で新規作曲をする時間がなかったので、『暗黒街の顔役』や『大阪万博・三菱未来館』のための曲などを転用したが、まるで新作のような鮮度を放っていた。さらに1993年の『ゴジラVSメカゴジラ』では、新曲ながらメロディラインは1958年の『柳生武芸帳』のようでありながら、その分厚いバッキングを伴い、全く新しいゴジラの宿敵の誕生を高らかに歌い上げたのだ。あまりにもかっこいいので拙作『シン・ゴジラ』(2016)のエンドロールで使わせていただいた程だ。過去に別作品のために作られた曲の流用もしくは転用なのだが、リミックスのような効果とでもいうべきか———完全に同化してないことから生まれる異化効果とでもいうべき印象を残したのだ。

だが、その存在の大きさゆえに自分の作品作りに於いて向き合うことをつい、躊躇ってきた。 その楽曲はすでにいくつものキャラクターの「顔」になっていて、その関係性に割り込むことはなかなかできなかった。 迂闊なことをやれば低俗なパロディに陥してしまうからだ。

そんな中、唯一先生の楽曲を使用したのはNHKの番組内で作られた短編怪獣映画『長髪大怪獣ゲハラ』(2009)だった。監督は今や説明不要の田口清隆。一般映画のデビューで、私は後見人の製作総指揮だった。企画者でもあるみうらじゅん氏の脚本は昭和30年代前半の、まだ対決ものに活路を見出す前の単独東宝怪獣映画に対する憧憬に溢れていたが、そのタイトルゆえにパロディと誤解されがちだった。

その愛に応え、単なる悪ふざけではないことを訴えるためには、音楽をきちんとしなくては!と考え、本物のチカラを借りねば、でもみんなが知っている曲を使ったらそれこそ悪ふざけになってしまう。ならば、すでに他界されていた先生が残された楽曲から転用させていただく以外ない!と、当時キングレコードに在籍していたプロデューサーの大月俊倫さんに直訴し、同社より発売されていた『伊福部昭の芸術』を幾度も聞き込み、怪獣映画的でありながら未だかつて怪獣映画に使われなかった曲を探した。それが製作総指揮として唯一自分の手を動かした仕事だったのだ。

もし、先生がご存命だとしたらどの曲をモチーフに敷いてつけられるのだろうか? そんな不遜なことを妄想しながら。 「タプカーラ交響楽」は中学生の頃にすげえ! 怪獣映画みたいな音楽だ! と音楽室にあったレコードを勝手に持ち出して昼休みの放送にかけてたりしてたので自分の耳にはもはや怪獣映画音楽に分類されていたので除外。 空いてる時間も、仕事の時もずって聞いて探していた。すると、そのうち、映画のために作られていないはずの音楽の向こうから、巨大な異形のものの息吹が見えてくるのだ。 そして僭越ながら選んだ曲は、バレエ音楽「日本の太鼓」ジャコモコ・ジャンコ、そして舞踊曲「サロメ」だった。

これを読んでいるあなたも怪獣映画の音楽を足がかりに踏み入れたであろう伊福部昭の音楽。それは果てしなく奥深い芸術世界である。

おもえば自分にとって先生は一度もお会いすることのない、徹頭徹尾雲の上の存在だった。あの時、昼も夜もずっと全集を聴き怪獣映画に合いそうな曲を探していた日々が、一番先生に近付いていたような気がする。もちろん一方的な思い込みで実際は近づくどころか失礼極まりないことをしていたのかもしれないが、最高のひとときだったのだ。

1965年9月22日生まれ。東京都新宿区出身。特技監督・映画監督・映像作家・装幀家。

1984年『ゴジラ』にて映画界入り。1995年『ガメラ 大怪獣空中決戦』で特技監督を務め、第19回日本アカデミー賞特別賞を受賞。他に、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズなど数多くのヒット映画作品に画コンテやイメージボードとして参加。主な監督作品は『ローレライ』、『日本沈没』、『のぼうの城』、実写版『進撃の巨人』、『シン・ウルトラマン』など。2016年公開の『シン・ゴジラ』では監督と特技監督を務め、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞。
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イーロン•マスク,ジェフ•ベゾス,ビル•ゲイツ「猛烈な読書家」3人の愛読書100冊から,彼らの人生哲学や成功の理由を学ぶ 2024/12

2024-12-13 00:46:14 | 📗 この本

イーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツ 「猛烈な読書家」3人の愛読書100冊から、彼らの人生哲学や成功の理由を学ぶ【書評】
ダ・ヴィンチWeb  より 241213



『天才読書 世界一の富を築いたマスク、ベゾス、ゲイツが選ぶ100冊』📗(山崎良兵/日経BP)はタイトルの通り、世界一の富を築いたイーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツの“天才”3人がこれまでにどんな読書をしてきたのか、100冊のリストとともに紹介する本である。

 彼らの名を知らなくても、
テスラ、X(旧Twitter)のイーロン・マスク、
アマゾンのジェフ・ベゾス、
マイクロソフトのビル・ゲイツ
 といえば分かるだろう。
 イーロン・マスクはトランプ次期大統領が新設する「政府効率化省(DOGE)」のトップに指名されたことでも注目を浴びている。
 3人はいずれも、アメリカのフォーブス誌が毎年公表する「世界長者番付」で1位になったことがある人物だ。

 最新の2024年のものでは、イーロン・マスクが2位、ジェフ・ベゾスが3位、ビル・ゲイツが7位となっている。

 世界有数の富豪である彼らには共通点がある。
それは「猛烈な読書家」であること。膨大な量の読書で得た知識や思考を結び合わせることで、これまでにないビジネスを起こし、巨万の富を築いてきた。

 本書では、日経ビジネスや日本経済新聞の記者として3人を直接取材した経験もあるという著者が、彼らの読書歴の中から100冊の本をセレクトし、エッセンスを抽出して紹介している。

 100のタイトルのジャンルとしては、
イーロン・マスクは歴史、SF、ファンタジー、科学、AIといった分野、
ジェフ・ベゾスはSF、経営に関するものが多い。現在は経営の第一線から離れている
ビル・ゲイツは歴史や科学、未来予測、自己啓発などジャンルは多岐にわたっている。

 それぞれ自身が手掛けている事業に関係するものが多いが、中には意外なものも含まれている。
 例えば、ジェフ・ベゾスのリストの中には、経営や現在注力している宇宙開発に関する本の中に混じって、ノーベル文学賞を受賞した作家・カズオ・イシグロの小説『日の名残り』がある。
 ジェフ・ベゾスの人生哲学には「後悔最小化フレームワーク」なるものがあり、これは「自分が80歳になって人生を振り返ったときを想像し、今チャレンジしなかったら後悔するかどうかを基準に意思決定する」というもの。
アマゾンを起業する際も、この考えを基準にして決断したそうだ。
 これを思いつくきっかけとなったのが『日の名残り』で、老執事の主人公が、年を取ってから「過去を何度も振り返ってあれこれ思い悩む様子を読んで、後悔しない人生を歩むにはどうすればいいかを考え、後悔最小化フレームワークという思考法を思いついた」のだという。1冊の小説が世界トップの富豪の人生指針を作っていたのである。

 このように彼らの血肉となった書籍が紹介される。各章のイントロダクションでは、3人の人柄が生い立ちとともに説明されるのだが、記者として本人に直接インタビューした経験がある著者が、その時に受けた印象を記していて、こちらも面白い。

 イーロン・マスクについては、「少年時代にいじめにあっていたからでしょうか。マスクは雄弁ではなく、どこか自信なさげな、はにかんだような話し方をします」と意外な素顔を明かし、
 ジェフ・ベゾスは、「不思議な強い眼差しがあり、見つめられると目をそらせなくなります。撮影を担当したサンフランシスコ在住のカメラマンが『ベゾスの目は普通じゃない。狂気が宿っている』と何度もつぶやいていたのが忘れられません」。
 そしてビル・ゲイツについては、「取材をする部屋に通されて驚いたのは、ゲイツが貧乏ゆすりをしていたことです。それも上半身が前後に揺れるほど激しい動きでした。(中略)とにかくびっくりしたことを覚えています」と振り返る。いずれもなかなかのインパクトだ。

 巻末には「マスク、べゾス、ゲイツが選ぶ100冊」リストも収録。すべて日本語版が出版されているものから選ばれているので、興味が湧けば実際に読むことができ、読書の幅を広げてくれる点も実用的だ。

文=堀タツヤ
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