goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

👫〜伊藤久右衛門🍵🛒,H六原🛒Alp🛒 241206

2024-12-06 22:44:00 | 📖 日記
先ず歩数確保で仏徳山&朝日山へ。
伊藤久右衛門恒例の特価日現地待合せ👫🛒と🍵🍨🥮を楽しむ,混雑。H六原🛒,Alpでもつい🗳️ついでに🛒🍱と夫婦で買物廻り🥳両手一杯

🚶‍➡️…右岸堤防道…Alp🏧↩️
🚶‍➡️…右岸堤防道…朝霧通…さわらびの道…仏徳山遊歩道🍁↗︎展望台👀↗︎山頂↘︎仏徳山朝日山渓谷…朝日山山道↗︎同:観音堂🙏;展望所👀↗︎山頂↘︎裏山道…仏徳山朝日山渓谷…仏徳山展望台↘︎同遊歩道🍁…源氏物語ミュージアム🍁小径…変電所沿…京都宇治線…伊藤久右衛門本店👫🛒🍵…H六原🛒🐟焼…🏠…戰川沿…Alp🗳️📚:取置,🛒🍱↩️
🚶‍➡️13052歩2kg33F

🌤️仏徳山展望台13℃穏やか冷風
普通に冬、堤防道以外寒さマシ
🍁醍醐山系紅葉見頃🍁仏徳山,朝日山,ミュージアムも月遅れで寒いけど…これからは月遅れ11月下旬が🍁常態化!温暖化恐るべし…

🍵抹茶パフェ美味🫠温か濃茶とベストマッチ!ある意味超贅沢😋



醍醐山系


仏徳山

同上:頂上

朝日山展望所より平等院

源氏物語ミュージアム小径





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「死」の数理理論が越えたらもう戻れない「三途の超曲面」を発見! 2024/12

2024-12-06 20:50:01 | ¿ はて?さて?びっくり!

「死」の数理理論が越えたらもう戻れない「三途の超曲面」を発見!
ナゾロジー より 川勝康弘


「死」の数理理論が越えたらもう戻れない「三途の超曲面」を発見! / Credit: 「死」の数理理論を構築

 生きている不思議と死んでいく不思議、その境界の話です。
東京大学で行われた研究により、生と死の境界を数理学的に判断する手法が開発されました。

 この理論モデルでは栄養レベルや酸素レベルなど複数の要因を用いて生と死を細胞レベルで判断すると共に、生死の境界を数理学的に導き出し、その境界を「1度渡ってしまったら2度と戻れない三途の川」になぞらえて「三途の超曲面」と名付けました。

 死の数理学を構築し死を理解することは、命の不思議を解き明かすことにつながります。

 研究者たちは論文の最後にて「死の理論を明らかにすることができれば、それは「死」の概念を改革する上でさまざまな意味を持つ可能性がある」と述べています。
 しかし数理理論によって描き出された「三途の川」は、いったいどんな見た目をしていたのでしょうか?

研究内容の詳細は2024年11月27日に『Physical Review Research』にて公開されました。

目次::越えたら二度と戻れない「三途の超曲面」の数理理論

⚫︎越えたら二度と戻れない「三途の超曲面」の数理理論
生の世界と死の世界は何によって別けられているのか?

 誰もは1度は考えたことがあるでしょう。
日本の仏教の考えでは、現世と来世の間は「三途の川」と呼ばれる川によって隔てられていると考えられています。
 またよりカジュアルな認識では「三途の川」は生と死を隔てる境界線であり、渡り切ってしまうと2度と生の世界には戻れないとされています。

 オカルト分野でも三途の川は人気であり、三途の川を渡り切る前に、先に旅立った肉親や親友に警告を受け、思い直して引き返すと病院のベッドの上だった……といった話がよく描かれています。

 一方、生物学の分野の死の定義はやや曖昧でした。
 これまでの研究により、生きている細胞と死んでいる細胞を区別するためのさまざまな判定法が開発されてきましたが、ある判定法Aでは「死んでいる」とされた細胞が別の判定法Bでは「生きている」と判定されることが多々ありました。

 たとえば細胞内部の化学反応を測定する方法では、細胞内の化学反応が一定以下まで低下することが「死」とされています。
 しかし細胞膜のダメージが一定以上を死とする判定法や細胞の再増殖能力をもとに死を判定する方法など他の方法と必ずしも結果が一致するわけではありません。
 そのため、細胞死の起こる仕組みやメカニズムが活発に研究されているにもかかわらず、「死」という現象がどのような数理学的性質を持つかは全く不明なままでした。

 そこで今回、東京大学の研究者たちは近年急速に進歩している計算生物学の手法を用いることで、生死の境を数理学的に判定する方法を開発することにしました。

 研究はまず最初に「生きている状態」と「死んでいる状態」についての最も基本的な確認から始まりました。
 それは、生きているものは死ぬことができますが、死んでしまったものは生きている状態に戻らないという、基本中の基本です。
 加えて研究では「生きている状態(の代表点)」に戻れる一時的な不活性化もまた「生きている状態」であり、戻れない状態こそが本当の「死んだ状態」と定義しました。

「何を当然のことを…」と思うかもしれませんが、数理理論を確立するにはそういった基礎の基礎から理論を積み上げていかなければなりません。

三途の川を数理理論で描き出しました / Credit:clip studio . 川勝康弘

 次に研究者たちは、理論構築の基盤として、細胞の生死と個体の生死を区別する必要がない単細胞生物を想定し、細胞内部で起こる生命活動を計算対象とすることにしました。
 たとえば細胞に外部から物質Xが取り込まれ、それが物質Yに変換されることでエネルギーが発生し、最終的に物質Yが体外に排出されるときにいった反応です。
 このような反応は、糖分が分解されエネルギーが取り出される過程をはじめ、生命活動の最も基本的な形となっています。
 研究では、このような基本的な生命活動が行われ続けている状態を「生きている状態」としました。

 生きている状態が続く限り、細胞が糖を分解してエネルギーを取り出し続けるように、物質Xが物質Yに変換されてエネルギーを取り出す反応が続けられます。
 次に研究者たちは、外部の栄養濃度や酸素濃度を制御して、この反応の進み具合を調べました。
 すると本物の細胞と同じく外部の栄養濃度や酸素濃度といった条件が良好な場合「XとYとエネルギー」を基本とした生命活動が順調に続けられることが判明。
 また条件を多少悪化させただけでは、反応が一時的に不活性化状態に陥るだけで、その後の条件の改善により活性化状態に復活できることが示されました。

 このような一時的な生命活動の不活性化は「生きている状態」に戻れることから「死んでいる状態」とは見なされません。
 しかし研究者たちが解析を進めると、このような幸運な復活劇は常に起こるわけではありませんでした。

 栄養濃度や酸素濃度の設定を厳しいものにして、一度不活性化してしまうと、その後にどんなに条件を改善しても、2度と活性化しないことがケースが存在したのです。
 酸素供給を24時間止められた脳細胞が、その後に大量の酸素と栄養素に満ちた培養液に浸されても生き返らないように、生の世界(活性状態)に2度と戻らないこともありました。

 研究者たちは、そのように復活が起こる場合と起こらない場合のデータを集め「物質(例: X、Y)」や「エネルギー」に関連付けたパラメータを用い、3次元のグラフとして可視化しました。

 SANZ超曲面を1度でも踏み越えたら二度と生きている状態にはもどらない / Credit: 「死」の数理理論を構築

 この図では周囲の部分が「生きている状態に戻れる領域」中央部分が「生きている状態に戻れない領域」を示しています。
 外部環境が変化に合わせて、細胞の生命活動はこの3次元空間の中を彷徨います。
実際にモデルを動かしてみると、周辺領域に留まる限りは条件が悪くても生命活動が再開できるものの、中央領域に入ってしまった場合には、その後にどんなに栄養濃度や酸素濃度を優遇しても、2度と活性状態には戻らないこと……つまり永遠に「死んだ状態」になることが明らかになりました。

 研究者たちは「周辺と中央を隔てる境界面は、渡ってしまうと2度と「生きている状態」に戻れない、三途の川に相当するものであると考えることができる」と述べ、この境界面を三途の川になぞらえて「三途の超曲面」と名付けました。
(※正確にはSeparating Alive and Non-life Zone を略してSANZとしています。また論文中ではSANZ hypersurface:SANZ超曲面とも記述されています)

 もし単細胞生物の病院があるならば、医者たちは「X、Y、エネルギー」の数値を血液検査のように測定することで、その細胞が今後生き残る可能性があるかどうかを判断できるわけです。

 これまで様々な生命科学の理論が打ち立てられてきましたが「三途の超曲面」という概念を含むモデルは非常にユニークかつ画期的な試みと言えるでしょう。


▶︎参考文献
「死」の数理理論を構築
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10595/
▶︎元論文
Theoretical basis for cell deaths
https://doi.org/10.1103/PhysRevResearch.6.043217?_gl=1*45vlx7*_gcl_au*MTQ1MjgyNDczMS4xNzMyNjY0MTEx*_ga*NDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM.*_ga_ZS5V2B2DR1*MTczMzQ2MjY1My4yOS4wLjE3MzM0NjI2NTMuNjAuMC4yNTU1MTUyNzI.

▶︎ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者/ナゾロジー 編集部
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「秋田のクマ駆除」に"ブチ切れる人"なぜ増えた? 2024/12

2024-12-06 20:01:54 | 気になる モノ・コト

「秋田のクマ駆除」に"ブチ切れる人"なぜ増えた?
木村 隆志:コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

肉食でもあるが、ヒグマと比べても植物食に依存するというツキノワグマ(画像:sw950502/PIXTA)


秋田県秋田市のスーパーにクマが侵入したのは11月30日。47歳の男性従業員が襲われて頭などを負傷し、クマは2日以上にわたって居座り続けましたが、わなにかかった後に麻酔で眠らされ、その後駆除されたそうです。

【写真】秋田で人気?「ツキノワグマの自販機」と、確かに可愛い…「ツキノワグマの赤ちゃん」

これらが報じられると、市などに100件を超える抗議の声が寄せられたことが波紋を呼びました。

「人間の都合で殺すな」「山に返すべき」「かわいそう」などと抗議する声に賛否があがっていますが、このような現象は今回だけではありません。
 クマの出没が各地で相次いで報じられ、そのたびに同じような命をめぐる論争が起きています。

 また、先月末には北海道猟友会が71の支部に「クマ駆除要請の拒否を認める通知を出した」ことが大きく報じられました。
 これは2018年に同道砂川市のハンターが発砲した際、危険性を理由に猟銃所持許可を取り消された札幌高裁判決を受けたものでしたが、このときにも「クマの駆除」に関する論争が起きました。

⚫︎命は重くても抗議は行き過ぎ
 はたしてクマ駆除の反対派による「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」などの主張は妥当なのか。度重なる論争の本質はどこにあるのか。そして何か悪影響を及ぼしているものはないのか。掘り下げていきます。

【写真を見る】秋田で人気?「ツキノワグマの自販機」と、確かに可愛い…「ツキノワグマの赤ちゃん」
 まず今回のケースに関しては、クマ駆除の反対派による「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」などの主張は、1つの貴重な意見でこそあれ、妥当とは言いづらい感があります。

 クマがスーパーの商品を食べた可能性がゼロではないこと。少なくとも食べ物の存在を知ったことから、山に返しても再びスーパーを訪れるリスクがあり、住民や店員の不安が募ること。
 地元では今月数十件の目撃情報があったうえに、捕獲翌日に別のクマの目撃情報もあったなど、ゆったり対応している余裕がないこと。だから秋田県、秋田市、警察が連動して懸命に対応したこと。

 また、秋田に限った話ではない部分で、このところ市街地に出没したケースが続くなどクマの生息圏内に住む人々の危機感が増していること。
 山に食べるものがないからではなく、あるときでもおいしいものを大量に食べようと人里に降りてくるなどクマの学習能力が上がっていること。
自分たちの命だけでなく、住宅や農作物などの財産も守りたいと思っていること。だから自治体には抗議ばかりではなく、感謝の声も多数寄せられていること。

 これらの理由から「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」という主張そのものは理解できても、当事者の安全や心境を踏まえると、抗議は行き過ぎのように見えます。

クマが立てこもって2日、駆除されてから5日での営業再開を発表したスーパー「いとく土崎みなと店」(写真:同店HPより)

⚫︎「自然と共生していない地域の人」ほど声が大きい
 そもそも「命の重さ」や「動物愛護」を考えるのであれば、クマの駆除だけをピックアップして当事者に抗議するのはフェアではないでしょう。他にもそれらを訴える案件はあるはずなのに、なぜクマの駆除にそれらの声が大きくなるのか。
 クマの出没がたびたびニュースになるから命をめぐる主張がしやすいのかもしれませんが、被害に苦しみ、現場で必死に対応している人々に不要な心的負担を強いている感は否めないのです。

「自然との共生」に関しても、共生しているからこそクマが出没して被害が出ているのでしょう。本当に自然と共生している地域はわざわざそれを掲げないでしょうし、「もともとあまりクマがいなくて被害が少ない」地域の人ほど、「自然との共生を目指そう」などと掲げるのかもしれません。
 もしクマが人里に出没したら、「これからも自然と共生していくためにはクマの駆除が必要」と考えるのが自然に見えます。

⚫︎他人への想像力と理解に“個人差”
 体長1.1メートル・体重69キロのメスで、それほど大きくないツキノワグマだったこと。襲われた男性が軽傷だったこと。本当に商品を食べたのか明らかではないこと。ツキノワグマは植物が主食であること。住宅地のため銃を使わなかったことで「生きて森に返すのだろう」と思わせたこと。

 クマの駆除反対派の中にはこれらの主張も見られましたが、いずれも論争の本質ではないでしょう。
 クマの駆除に関する論争が過剰になってしまう最大の理由は、他者への想像力と理解に個人差があること。これが論争をヒートアップさせる要因になっています。

「『自分の生活エリアにクマが現れるかもしれない』という状況で安心して暮らせるのか」
「もし自宅にクマが入ってきたら、スーパーでクマに遭遇したら、どう対応するのか本気で考えたことはあるか
「自分が大丈夫だとしても、家族、友人、仕事仲間などがクマの出没を不安視していないか」
「クマ出没の不安があることでスーパーなどの客足が遠のき、もし出没したら店が閉鎖されて営業ができないなど困ると思わないのか」

 これらを自分事として真剣に考えたとき、「命の重さ」という主張はさておき、クマの駆除に抗議できる人は多くないでしょう。
 意識的かどうかを問わずニュースを見たときの印象や感覚が優先されるほど、他者への想像力や理解が後回しにされていきます。
 さらにネットの普及で目にするニュースの量が増えたことが、「印象や感覚優先で、他者への想像力や理解が後回し」という風潮を加速しました。

 1つひとつのニュースを当事者の立場でじっくり考えるのではなく,自分の印象や感覚ですぐに判断を下す人が増え,中でも批判的なものほど瞬発的に発信されやすい傾向があります。
 そのニュースに関する情報をそれなりに得て、自分なりに学んだうえでの印象や感覚であればいいのですが、瞬発的に抗議の声をあげる人々がそれをしていないのは明白。

 特にネットニュースは「あまり考えずにコメントしてもいいもの」とみなされがちで、思い込みのような声が目立ちます。だから「他人の命を想像できずクマの命だけを考える」「生かして返せる方法は何かしらある」などと他人事になってしまうのでしょう。

⚫︎ウシ、ブタ、ニワトリはいいのか
 今回ネット上のコメントを見ていると、「ウシ、ブタ、ニワトリを食べている人が『クマを殺したらかわいそう』は矛盾している」という声が散見されました。
 さらに「『かわいそう』と言うなら人間に危害を与えないウシ、ブタ、ニワトリのほうだろう」「畜産にかかわる人々はさまざまな思いを抱えながら日々命と向き合っている」などの声もありました。

 これらの人々は「他者への想像力と理解がある」と言っていいのではないでしょうか。一方、もし犬や猫を飼ってかわいがっている人がクマに命の大切さを重ね合わせて抗議したのなら想像力が足りないように見えます。

 たとえば今では少なくなりましたが、野犬が現れて愛犬や自分が襲われたときも同じことが言えるのか。ペットや人を襲うかもしれない野犬を殺処分しなければ誰が世話をして、誰がお金を負担するのか。本当の意味で抗議できるのは「私がやります」と責任を負える人だけなのかもしれません。
 命をめぐる論争そのものはあってしかるべきものでしょうが、その前提として欠かせないのが、他者への想像力と理解。

 個人差があるのは当然だとしても、当事者や主張が異なる人のこともいかに考えられるか。自分の主張に偏るほど対立が激しくなり、論争の本質からは外れていくだけに、「抗議するとしてもどんな姿勢で向き合うのか」が重要なのです。
 クマの駆除に関する今回の論争で最後に1つふれておきたいのが、メディア報道の是非。
クマの出没から捕獲、駆除されるまでの推移を報じることにもちろん問題はないでしょう。
 その一方で残念なのは、「なぜ殺した?」「殺すのは非道」「抗議の声が殺到」などと過激なフレーズを前面に出して対立をあおる記事が少なくないこと。
自社の営業利益や記事のスピード感を優先させたこれらの記事がニュースの本質を遠ざけている感は否めません。

 クマの出没に関するデータ、秋田県の現状、現地住民の声、有識者の見解などが的確に報じられないため、「かわいそう」という抗議の声をあげている人もいるのでしょう。
 世間の人々がクマに関する情報や学びが足りないのは確かであり、これが前述した他者への想像力や理解の不足につながっているところもありそうです。

 当事者にとってクマの出没は深刻な問題だけに、「人々に有益な情報を提供する」という本来の目的を差し置いて論争をあおるメディアには怒りを感じているのではないでしょうか。
 また、ネット上には被害を受けて7日までの休業を余儀なくされた秋田のスーパーを応援する動きも起きているだけに、後方支援するような記事がもっとあってもいい気がします。

⚫︎猟友会にも抗議の声が寄せられている
 そしてもう1つメディアが報じるべきは、各地の猟友会が抗議の声に悩まされていること。今回は市や警察が主導で対応したうえに、そもそも住宅地のため銃を使う可能性がなかったことも含め、もし猟友会へ抗議している人がいたらまったくのお門違いでした。

 その他でもクレーム、無言電話、誹謗中傷、活動妨害などに悩まされているというだけに、猟友会の立場や仕事などの理解が進むような記事も出してほしいところです。

クマに対する情報と学びを提供し、猟友会などへの理解を促す……。
「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」をめぐる論争が健全に行われるためにメディアの果たす役割は重要でしょう。
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加齢により萎縮していく脳を若く保つための『6つの習慣』 2024/11

2024-12-06 20:01:25 | 生活編

加齢により萎縮していく脳を若く保つための『6つの習慣』バランスのいい食事、十分な睡眠、継続的な運動…そして一番大切なことは
 婦人公論 より 241031  瀧靖之


 記憶力の衰えや認知症が心配、という人に朗報です。何歳になってもワクワクしたり趣味に没頭したりすることは、脳の機能低下を抑えます。
自身も数多の趣味を持つ脳のスペシャリストに話を聞きました(構成=山田真理)
* * * * * * *


◆今すぐ見直したい6つの習慣
 私は、「生涯を通じ、いかに脳の健康を保つか」を研究テーマにしています。
その一環として、これまでに約16万枚におよぶ脳のMRI画像の研究や診断を行ってきました。

 人間の脳は、誰でも加齢によって徐々に萎縮していきます。
それに伴い、「意味理解」「処理速度」「記憶」「知識」「流暢性」といった脳の認知力(高次認知機能)も低下してしまうのです。
脳の萎縮は20代後半から少しずつ始まりますが、萎縮が速い人と、遅い人に分かれていきます。その差に大きく影響するのが日々の生活習慣です。

 たとえば過度の飲酒や喫煙は、脳の萎縮を促進。
また、糖尿病や脂質異常症のような動脈硬化に関わる病気は血管の老化を進め、脳の血流が低下することで神経細胞の減少を招くのです。

 ほかに過度のストレス、睡眠不足、変化や刺激の少ない生活も脳のさまざまな部分の萎縮に繋がることがわかっています。
 そうした萎縮を少しでも遅らせ、脳の健康を維持していくためにおすすめの6つの習慣をお伝えしましょう。

 (1) バランスのいい食事。多くの品目をまんべんなく食べること、腸内環境を整えることが脳の健康に役立ちます。「脳に良い」などといわれる特定の食品ばかりを食べるのは、脳にとって逆に良くありません。

(2) 十分な睡眠。脳の疲れを取るだけでなく、アルツハイマー型認知症の原因といわれる老廃物の排出を促す役割があります。6時間以上の睡眠を心がけましょう。

(3) 運動は、無理なく継続することが大切。
全身を動かす早歩きや軽いジョギングなどの有酸素運動を、1日30分、週2回行うのが理想です。ただ最近の研究では、散歩の途中で100mだけ早歩きをするといった低強度の運動でも、習慣化すると一定の効果があることが明らかに。

(4) コミュニケーションは、脳の健康維持に大切な習慣です。会話をするときに私たちは表情や声のトーンから相手の気持ちを理解し、適切な対応を取ろうとします。このとき脳の中ではあらゆる領域が活発に活動し、刺激を受けているのです。

 食事や運動にもいえることですが、好きでないことをいやいや続けるのは脳の健康に良くありません。これをすると「嬉しい、楽しい」と思えるような習慣を持ち、
(5) 主観的幸福度を高めることが、ストレスを低下させて脳の健康維持に役立つことも明らかになっています。

最後に、脳にとって最高の習慣としておすすめしたいのが 
(6) 趣味・知的好奇心を持つことです。脳内の情報処理や情報伝達を担う神経細胞には、使えば使うほど変化する「性」という特徴があります。新しく趣味を始めたり、上達したいと努力をすることで、脳が変化する力を高めることができるのです。


◆受動より能動、一人より仲間と
 では具体的に、どんな趣味がいいのでしょうか。
ご自身が楽しむことができればどんな趣味でもいいのですが、脳にとってより良いのは受動的なものより能動的なもの。

 スポーツならば、観戦だけでなく自分も体を動かす。
美術が好きなら、美術館めぐりより絵画や陶芸を習ってみる。
ガーデニング、料理、旅行など、自分から何か行動することで楽しめる趣味が、脳の健康維持に役立つといわれます。

 運動の項でもおすすめしましたが,有酸素運動や軽い筋トレを趣味として楽しむことで,記憶を司る海馬の神経細胞の新生を促し,記憶力の向上に繋がるという研究結果があります。
また、テニスなど仲間と行うスポーツは、コミュニケーションの機会に。勝ち負けのあるスポーツでは、戦略を立てることも脳への刺激になるでしょう。

 語学は、言語を司る領域をはじめ脳を大いに活性化します。その国の文化や歴史に興味を持ったり、名物料理のレストランを訪れたり、さらには旅行に出かけるなど好奇心が刺激され、行動の幅が広がるという意味でも非常にいい趣味といえます。

 音楽は、脳の欲求にかかわる「報酬系」と呼ばれる領域を刺激し、幸福感やモチベーションを上げる効果が。近年では認知症の予防や進行抑制に活用されています。

 私はピアノが趣味なのですが、楽器演奏は手指を動かすことが脳への刺激になるだけでなく、楽譜を理解して弾くのは実行機能、曲を奏でるという創造性が前頭葉の働きを高めるなど、いいこと尽くめです。

 近年の研究の一つに、「趣味と回想(ノスタルジー)が脳に与える効果」があります。
たとえば若い頃に好きだった曲を、友だちとカラオケで歌う。
夫婦の思い出の場所へ旅行する。昔の趣味を再開する。
そうして「楽しかったあの頃」を懐かしみ、主観的幸福度を高めることが、脳を活性化するのです。

 新たな趣味に挑戦するのは、ストレスもそれなりにかかるもの。
気軽に始めて、面白そうなら続ける、合わないと思えばやめる。
三日坊主でも構わないので、まずはいろいろと試して、自分に合った趣味を見つけてはいかがでしょうか。
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