消費税増税がもたらした慢性デフレだったが…日本経済は本当に死んだのか?
幻冬社ゴールドオンライン より 220511 田村 秀男
消費税増税がもたらした慢性デフレという災厄が日本経済を覆っています。GDPは萎縮して総税収は減り続け、財政収支は悪化し、社会保障財源どころでなくなりました。そこで再び消費税増税という失敗を繰り返しているのです。
日本経済の分岐点に幾度も立ち会った経済記者が著書『「経済成長」とは何か?日本人の給料が25年上がらない理由』(ワニブックスPLUS新書)で解説します。
米国にはベンチャーを育てる投資ファンドがある
■金融経済で若い人が実利を得るのは?―アメリカと日本
元手、つまりおカネがないと金融経済で実利を得ることは実際には難しいものです。いまから「頑張っていこう」という若い人は、家がお金持ちであればいいですが、それは一般的な話ではありません。先立つものがない若者が金融経済から恩恵を受けることはあるのでしょうか。
じつはアメリカと日本とでは、大きな違いがあります。
アメリカの場合、新技術や高度な専門性をもち、未知の要因が多くても創造、革新的な事業を展開するベンチャービジネスが推奨されていますが、ベンチャーキャピタルというベンチャービジネスに対する投資を主業務にする企業があります。一種の投資ファンドです。
彼らは「あのベンチャーはいけそうだ」と思ったら、先物買いをやる。資本金出資をしますが、どのように投資回収をするかというと、株式市場に新規株式公開(IPO[新規公開株]といいます)をやります。それがうまくいくと、一挙に株価が上がるのです。その差額でボロ儲けするというわけです。
ただし、ベンチャーですから、千三つという譬えがある(1000品目出しても当たるのは3品目くらいの意)ように、0.3%くらいの確率でしか成功しません。ただ成功した場合の利益(キャピタルゲイン)が莫大ですから、それでうまくいくわけです。これがまさにアメリカ型の資本主義です。
何か可能性のあることをやろうとしている人たちに対して、特段支えてあげようという意志があるわけではなく、ここは儲かる可能性があると見込んだら、投資ファンドが融資するということです。そういうシステムが出来上がっているのです。
勿論投資ファンドも状況をウォッチし、積極的に情報入手しています。そして「あ、これはいける」と判断したら、すぐに投資です。
さらにテレビにも、一般の若者が「自分はこういう発明をしたから、こういう事業を起こしたい」とプレゼンする番組があります。目利きの投資のプロがそれを見ていて「よし、それ、買う」という内容です。
そういうふうにカルチャーとして、ベンチャービジネスに対する投資が根付いているのです。どこの馬の骨ともわからないような人の話でも、きちんと話を聞いて、「おっ、いいじゃないか。出資する」といって出資が成立してしまう。アメリカにはそういうカタチでチャンスがあるというわけです。
⚫︎デフレ経済のゼロ成長では誰も金を貸さない
はっきり言って日本にはこういうカタチでのチャンスはありません。
誰かの紹介が必要とか、誰かが保証してくれなきゃダメとか、最初から機会が平等ではない。そんな日本には本来的に紹介や保証ができる立場の人がいました。それは銀行の支店長でした。高度成長期までの話です。
バブル期になると土地さえあれば担保になりました。「アンタには土地があるから融資してあげよう」と。ところがバブルが崩壊して経済が縮小する(デフレになる)と、それもできなくなった。
都市銀行の支店長がやる気を失ったというか、審査のプロ、目利きがいなくなった。かつては支店長がまず有望な投資先を見立てて、それから本店の審査部がチェックして、「あっ、ここはいけますよ」と融資を決定していました。かつての日本はそれでいろいろな企業(ホンダやソニー、パナソニックなど)が世界的な規模に成長していきました。
彼らには土地の担保があったわけではありません。“可能性”しかなかった。こういう人たちに「やってみなはれ」「貸しましょう」……こういう信頼関係が日本の高度成長や新しい企業を支えたわけです。しかしいまのようなデフレ経済でゼロ成長だと、貸す側も慎重にならざるを得ません。
■再分配も企業努力もマクロ経済次第
共産主義や社会主義が台頭してから、資本主義国としてはそれに対抗するために、富裕層などに累進的に課税して、社会保障や福祉などを通じて弱者に富もたらす再分配が必要でした。
その考え方は第二次世界大戦後、1970年代までは世界の主流だったのですが、アメリカでは新自由主義イデオロギーが80年代から台頭しました。新自由主義は、政府が市場経済に介入せず、民間企業や投資家に自由に儲けさせるようにすれば、資本主義経済が活性化し、富裕層がお金を使うことで、所得が国民全体に〝滴り落ちる〟という「トリクルダウン」の考え方です。
日本では2001年発足の小泉純一郎政権が導入して以来、多かれ少なかれ政策に影響してきました。
2021年10月発足の岸田文雄政権は「新資本主義」を掲げ、「分配と成長」の好循を目指すと謳っています。「トリクルダウン」重視のアベノミクスの軌道修正を狙っていますが、再分配すれば景気が良くなるとは限りません。
⚫︎需要縮小では資本主義の力を引き出せない
再分配を可能にするのも、やはり経済のパイが大きくなるということです。GDPというパイの大きさがよくて横ばい、だんだんと小さくなるという日本経済の場合、再分配するためには誰かの部分を小さく削って別のグループに分けなければならない。
すると削られるグループの反発は強く、政治的に見て再分配は難しい。パイが年々大きくなっている場合は、大きくなる部分を再分配すれば済むので、政治的軋轢は小さくて済むでしょう。
日本が繰り返しているデフレ経済下の消費税増税の場合、増収分は社会保障財源に回すので満遍なく再分配されるという建前ですが、経済学的には極めて不合理です。なぜなら、消費税増税はより低い所得階層に、より高い負担をもたらすからです。
さらに、増税による需要圧縮効果で総需要が萎縮する結果、GDPが減り、税収全体が落ち込みます。すると再分配する財源がなくなります。
1997年度の消費税増税がもたらした慢性デフレという災厄がそれで、中長期的に見てGDPは萎縮して総税収は減り続け、財政収支は悪化し、社会保障財源どころでなくなった。そこで再び消費税増税というとんでもない失敗を繰り返しているのです。
経済のパイが大きくならないことを理由にして再分配をケチることは、貧困層を下支えする共同体としての国家の民力、いわゆる国力の低下に繫がっていきます。だから、経済はマクロとしての拡大がいかに大事かということです。
ミクロの単位でよく言われるのは、企業の努力が必要だ、経営者がしっかりしなきゃ―コーポレートガバナンスが重要、あるいはイノベーションを起こすのはベンチャーだとかいうことです。
しかし、イノベーションをもたらすベンチャーにしても「将来は状況がもっとよくなる」とか「もっとマーケットが広がって、こういうビジネスが可能になるぞ」という見通しがなければ、投資意欲は出てきません。将来の展望が広がって初めてベンチャー開発者の前頭葉が活性化するはずです。
逆にマーケットが縮小して「もうダメ。俺の代で終わりだ」。子供に「お前はどこかに勤めに出ろ」と言わざるを得ない場合は厳しい。なかには「いや、そんな簡単に諦めない。もっと頑張ってみます」という子供もいるでしょう。しかしマクロが縮小傾向にあると、廃業やむなしというトレンドが勝ってしまうと思います。
マクロ経済は土台です。やはりマクロがうまくいかない、つまりGDPで表わされる需要が縮小するようであれば、資本主義の活力を引き出せないことになります。
⚫︎田村 秀男 :産経新聞特別記者、集委員兼論説委員
米国にはベンチャーを育てる投資ファンドがある
■金融経済で若い人が実利を得るのは?―アメリカと日本
元手、つまりおカネがないと金融経済で実利を得ることは実際には難しいものです。いまから「頑張っていこう」という若い人は、家がお金持ちであればいいですが、それは一般的な話ではありません。先立つものがない若者が金融経済から恩恵を受けることはあるのでしょうか。
じつはアメリカと日本とでは、大きな違いがあります。
アメリカの場合、新技術や高度な専門性をもち、未知の要因が多くても創造、革新的な事業を展開するベンチャービジネスが推奨されていますが、ベンチャーキャピタルというベンチャービジネスに対する投資を主業務にする企業があります。一種の投資ファンドです。
彼らは「あのベンチャーはいけそうだ」と思ったら、先物買いをやる。資本金出資をしますが、どのように投資回収をするかというと、株式市場に新規株式公開(IPO[新規公開株]といいます)をやります。それがうまくいくと、一挙に株価が上がるのです。その差額でボロ儲けするというわけです。
ただし、ベンチャーですから、千三つという譬えがある(1000品目出しても当たるのは3品目くらいの意)ように、0.3%くらいの確率でしか成功しません。ただ成功した場合の利益(キャピタルゲイン)が莫大ですから、それでうまくいくわけです。これがまさにアメリカ型の資本主義です。
何か可能性のあることをやろうとしている人たちに対して、特段支えてあげようという意志があるわけではなく、ここは儲かる可能性があると見込んだら、投資ファンドが融資するということです。そういうシステムが出来上がっているのです。
勿論投資ファンドも状況をウォッチし、積極的に情報入手しています。そして「あ、これはいける」と判断したら、すぐに投資です。
さらにテレビにも、一般の若者が「自分はこういう発明をしたから、こういう事業を起こしたい」とプレゼンする番組があります。目利きの投資のプロがそれを見ていて「よし、それ、買う」という内容です。
そういうふうにカルチャーとして、ベンチャービジネスに対する投資が根付いているのです。どこの馬の骨ともわからないような人の話でも、きちんと話を聞いて、「おっ、いいじゃないか。出資する」といって出資が成立してしまう。アメリカにはそういうカタチでチャンスがあるというわけです。
⚫︎デフレ経済のゼロ成長では誰も金を貸さない
はっきり言って日本にはこういうカタチでのチャンスはありません。
誰かの紹介が必要とか、誰かが保証してくれなきゃダメとか、最初から機会が平等ではない。そんな日本には本来的に紹介や保証ができる立場の人がいました。それは銀行の支店長でした。高度成長期までの話です。
バブル期になると土地さえあれば担保になりました。「アンタには土地があるから融資してあげよう」と。ところがバブルが崩壊して経済が縮小する(デフレになる)と、それもできなくなった。
都市銀行の支店長がやる気を失ったというか、審査のプロ、目利きがいなくなった。かつては支店長がまず有望な投資先を見立てて、それから本店の審査部がチェックして、「あっ、ここはいけますよ」と融資を決定していました。かつての日本はそれでいろいろな企業(ホンダやソニー、パナソニックなど)が世界的な規模に成長していきました。
彼らには土地の担保があったわけではありません。“可能性”しかなかった。こういう人たちに「やってみなはれ」「貸しましょう」……こういう信頼関係が日本の高度成長や新しい企業を支えたわけです。しかしいまのようなデフレ経済でゼロ成長だと、貸す側も慎重にならざるを得ません。
■再分配も企業努力もマクロ経済次第
共産主義や社会主義が台頭してから、資本主義国としてはそれに対抗するために、富裕層などに累進的に課税して、社会保障や福祉などを通じて弱者に富もたらす再分配が必要でした。
その考え方は第二次世界大戦後、1970年代までは世界の主流だったのですが、アメリカでは新自由主義イデオロギーが80年代から台頭しました。新自由主義は、政府が市場経済に介入せず、民間企業や投資家に自由に儲けさせるようにすれば、資本主義経済が活性化し、富裕層がお金を使うことで、所得が国民全体に〝滴り落ちる〟という「トリクルダウン」の考え方です。
日本では2001年発足の小泉純一郎政権が導入して以来、多かれ少なかれ政策に影響してきました。
2021年10月発足の岸田文雄政権は「新資本主義」を掲げ、「分配と成長」の好循を目指すと謳っています。「トリクルダウン」重視のアベノミクスの軌道修正を狙っていますが、再分配すれば景気が良くなるとは限りません。
⚫︎需要縮小では資本主義の力を引き出せない
再分配を可能にするのも、やはり経済のパイが大きくなるということです。GDPというパイの大きさがよくて横ばい、だんだんと小さくなるという日本経済の場合、再分配するためには誰かの部分を小さく削って別のグループに分けなければならない。
すると削られるグループの反発は強く、政治的に見て再分配は難しい。パイが年々大きくなっている場合は、大きくなる部分を再分配すれば済むので、政治的軋轢は小さくて済むでしょう。
日本が繰り返しているデフレ経済下の消費税増税の場合、増収分は社会保障財源に回すので満遍なく再分配されるという建前ですが、経済学的には極めて不合理です。なぜなら、消費税増税はより低い所得階層に、より高い負担をもたらすからです。
さらに、増税による需要圧縮効果で総需要が萎縮する結果、GDPが減り、税収全体が落ち込みます。すると再分配する財源がなくなります。
1997年度の消費税増税がもたらした慢性デフレという災厄がそれで、中長期的に見てGDPは萎縮して総税収は減り続け、財政収支は悪化し、社会保障財源どころでなくなった。そこで再び消費税増税というとんでもない失敗を繰り返しているのです。
経済のパイが大きくならないことを理由にして再分配をケチることは、貧困層を下支えする共同体としての国家の民力、いわゆる国力の低下に繫がっていきます。だから、経済はマクロとしての拡大がいかに大事かということです。
ミクロの単位でよく言われるのは、企業の努力が必要だ、経営者がしっかりしなきゃ―コーポレートガバナンスが重要、あるいはイノベーションを起こすのはベンチャーだとかいうことです。
しかし、イノベーションをもたらすベンチャーにしても「将来は状況がもっとよくなる」とか「もっとマーケットが広がって、こういうビジネスが可能になるぞ」という見通しがなければ、投資意欲は出てきません。将来の展望が広がって初めてベンチャー開発者の前頭葉が活性化するはずです。
逆にマーケットが縮小して「もうダメ。俺の代で終わりだ」。子供に「お前はどこかに勤めに出ろ」と言わざるを得ない場合は厳しい。なかには「いや、そんな簡単に諦めない。もっと頑張ってみます」という子供もいるでしょう。しかしマクロが縮小傾向にあると、廃業やむなしというトレンドが勝ってしまうと思います。
マクロ経済は土台です。やはりマクロがうまくいかない、つまりGDPで表わされる需要が縮小するようであれば、資本主義の活力を引き出せないことになります。
⚫︎田村 秀男 :産経新聞特別記者、集委員兼論説委員