日本史上「最初で最大の文明的事件」…日本文化の起源とも言える「ある出来事」の「衝撃度」
現代ビジネス より 240115 松岡 正剛
【写真】日本史上「最初で最大の文明的事件」と言える「ある出来事」とは
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?
昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。
2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。
※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』📘(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
⚫︎日本は「壊れやすい国」
日本という国を理解するためには、この国が地震や火山噴火に見舞われやすい列島であることを意識しておく必要があります。
いつどんな自然災害に見舞われるかわからない。近代日本の最初のユニークな科学者となった寺田寅彦が真っ先に地震学にとりくんだのも、そのせいでした。日本はフラジャイル(壊れやすい)・アイランドなのです。
しかも木と紙でできあがった日本の家屋は、火事になりやすい。燃えればあっというまに灰燼に帰します。すべては「仮の世」だという認識さえ生まれました。けれども、それゆえに再生可能でもあるのです。
こうして復原することは日本にとっては大事な創造行為になったのです。
熊本城の破損や首里城の炎上は心を痛める出来事でしたが、その復原こそは多くの人々の願いとなった。
そのため「写し」をつくるという美意識が発達します。
ひるがえって、日本列島は2000万年前まではユーラシア大陸の一部でした。それが地質学でいうところのプレートテクトニクスなどの地殻変動によって、アジア大陸の縁の部分が東西に離れ、そこに海水が浸入することで日本海ができて大陸と分断され、日本列島ができあがったと考えられています。
このような成り立ちをもつゆえに、日本列島が縄文時代の終わり頃まで長らく大陸と孤絶していたという事実には、きわめて重いものがあります。日本海が大陸と日本を隔てていたということが、和漢をまたいだ日本の成り立ちにとって、きわめて大きいのです。
⚫︎史上最初で最大の文明的事件
その孤立した島に、遅くとも約3000年前の縄文時代後期までには稲作が、紀元前4~前3世紀には鉄が、4世紀後半には漢字が、いずれも日本海を越えて大陸からもたらされることになったという話を、第1講でしておきました。「稲・鉄・漢字」という黒船の到来です。
とりわけ最後にやってきた漢字のインパクトは絶大でした。日本人が最初に漢字と遭遇したのは、筑前国(現在の福岡県北西部)の志賀島から出土した、あの「漢委奴国王」という金印であり、銅鏡に刻印された呪文のような漢字群でした。
これを初めて見た日本人(倭人)たちはそれが何を意味しているかなどまったくわからなかったにちがいありません。
しかし中国は当時のグローバルスタンダードの機軸国であったので(このグローバルスタンダードを「華夷秩序」といいます)、日本人はすなおにこの未知のプロトコルを採り入れることを決めた。
ところが、最初こそ漢文のままに漢字を認識し、学習していったのですが、途中から変わってきた。
日本人はその当時ですでに1万~2万種類もあった漢字を、中国のもともとの発音に倣って読むだけではなく、縄文時代からずっと喋っていた自分たちのオラル・コミュニケーションの発話性に合わせて、それをかぶせるように読み下してしまったのです。
私はこれは日本史上、最初で最大の文化事件だったと思っています。
日本文明という見方をするなら、最も大きな文明的事件だったでしょう。ただ輸入したのではなく、日本人はこれを劇的な方法で編集した。
さらに連載記事<日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。