閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

同窓会名簿作成術

2016年01月07日 | 知的生産技術

40年ぶりで同期会幹事することになり、経験したことを書く。

普通、この手の幹事は、なり手がいない。

私の出身校の場合、市役所に勤めた人がおり、彼は、卒業とほぼ同時期に同窓会幹事となることを引き受けることを、みんなの前で宣言した。
彼は、目立たない地味な人だが、温かみある人だった。その後数十年、活動を続けている。

さて、私が幹事となった背景はというと、地元でなり手が私しかおらず、私がやらなければ同期会が実施できないことは明らかだったので、渋々ながら引き受けた。

で、何をどういう手順ですべきか、じっくり考えた。

最初に浮かんだのは、前述の同窓会万年幹事の同級生の姿だった。最初に必要なのは、同期会をやろうという雰囲気づくりだと思った。次に必要なことは、行方不明者を一人一人捜し当て、名簿をつくることだと思った。

とりあえず、発起人を募り、自分が主幹事となり、同期会開催の呼びかけを、住所がわかる同期の人に、郵送配信し、郵送後電話をかけ、協力を呼びかけた。
手間がかかったが、それ以外の方法はなかった。
大して親しくもない人に、親しそうに話をしなければならない場面もあった。

私は、自分に言い聞かせた。それが同窓会幹事に託された仕事だと。

一定の効果はあった。続いて、「タモリの笑っていいとも」という番組の手法に倣い、連絡がつく同期の人から、音信不通となってしまった人の電話番号、アドレス等を聞きだすなど、その人たちの協力を得た。そうやって、8割方の名簿はできあがっていった。

普通は、ここで諦めることになる。これ以上手間ががかかることはしない、という意味である。

音信不通となるのは、その人が付き合いを避けるているか、その人についてかなりの変人であるという評判となっていて付き合いたくないと思っている人が大部分ではないかということくらいは知っていた。
同時に、私は、会社の人事部にOB宛ての行先調査依頼がかなりに多いことを思い出した。

普通の人は、これくらいで諦める。だが、諦めるのを潔しと私はしなかった。
「40年前のあるやりとりのことで、その時代の友情を忘れてはならない人」が音信普通であったからだ。
その人は、去るに当たって、私に最大限の友情を以て示した、その事を忘れてはいなかった。
私は、どうしてもその人を発掘したかった。

そこで、居場所を知っていそうな人数人に電話した。ダメだった。
万策尽きた感じだったところ、同じ学科の役所関係の人のことが偶然浮かび、その人に電話してみた。古い情報だったが、私を信用していただけたようで、自宅、勤務先の電話番号を教えていただいた。
ただ、10年前くらいの勤務先であり、昨今は、職場関係では、個人情報を簡単には教えていただけないことを予想し、FAXでの伝言文を作成し、送付したところ、ほどなく本人から電話があった。
かくして、40年ぶりで、時間を忘れて話をしたのは言うまでもない。

友情は途切れていなかったのだ。

話は、まだ、終わらない。他にも音信普通の方がいた。私は、前述の伝言文の手紙バージョンを作成し、高校の同窓会事務局、職場関係組織などに郵送で送付した。
切手は、印象に残りそうな記念切手を貼り、転送用の封筒、切手も同封した。
結果は出ていないが、私は自分にできるすべてのことをした、それが音信普通の人への友情の標しと思っているところである。

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