閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

Fire生活経験談のほか、世相世情 💹📆、知的生産技術💻📱、書評📒について、書き綴ります。⏳

本当に論文が書けるのはどちらなのか?

2015年05月30日 | 生活習慣

対照的な二つのブログを比較してみて、実際に論文レベルの文章が書けるのは、学歴などなく、書く意思があり、人生経験豊富な人の方であることがわかった。高学歴だから、論文が書けるという訳でもあるまい。
また、一般向けの本を出版化できるのは、広い視野を持ち人生経験豊富だからできることでもある。

http://www.endanji.com/?cat=3
http://ameblo.jp/u1530t/theme-10071066174.html


このような壁から抜け出せないのはリベラルな人、リベラルが支配する時代・環境に生きた人、思考回路的にそうなりやすいのかもしれない。
そういう意味で、日頃の心がけ、生活習慣は、重要であると書かざるを得ないのである。

***********************************

http://agora-web.jp/archives/1640792.html

ある大手新聞の主筆にこう問うたことがある。「あなたの新聞は、いい加減に社会党的な体質から脱却すべきだ。社会党は政府のやることは何でも反対し、批判した。少しは対案を出すべきだろう。新聞も同じだ」

すると主筆はこう答えた。「対案を出すのには才能がいる。努力もいる。金も時間もいる。しかし、批判なら何もいらない。うちの読者には土井たか子さんのファンが多いから、ヘタに対案など出せば部数が減ってしまう」

 「戦後リベラル」の限界とは、批判しかせず、対案を出せないことにある

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小泉八雲コレクション 虫の... | トップ | 人間の生き方、ものの考え方... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿