ここ数日、私は風邪をひいているのでございます。|ι´Д`|っ
体調が悪いのに夕方からパチンコ店に出歩いているのです。
嗚呼・・、オレってバカジャネーノ"ってわかっているのですが・・。
喉が痛いのに何本もタバコを吸っているのでございます。
嗚呼・・、オレってバカジャネーノ"ってわかっているのですが・・。
今日はこれから後輩の結婚式に出席するのでございます。
体調が悪いのに多分、ビールをがぶ飲みすると思います。
嗚呼・・、オレってバカジャネーノ"ってわかっているのですが・・。
では、行って来ま~~す!( ゜Д゜)ヴォケ!!
ナントカ、ナホトカ港に到着したのでございます。(笑)
ダジャレカイ・・?w
う~ん、それにしても凄まじい嵐の中の大航海でございました。
結局、厨房で火が使えない為、夕食は黒パンとリンゴなどが用意されたようですが、恐らく10人も食べていなかったと思われます。(笑)
何度も言うようですが、年がら年中船に乗ってる船員や航海士たちまでがゲェ~ッてやるほどの大揺れだったのです。w
ムネオはしっかりと見ました!|`∀´>
1等航海士がゲロってるところを・・・。(笑)
当時のソ連は何かと厳しく、おっかねぇ国でございました。
船から上陸するまでがまた大変でございます。(゜Д゜;)
ソ連の入管の役人と銃を持った兵士数人が、この船に乗り込んで来ました。
我々は、同行した添乗員の言うままに、各自のカバンを広げて、パスポートや入国申請書やらを手に持って、役人達が来るまで各自の船室で待たされたのでございます。
特にエロ雑誌や、地図類、写真などは厳重にチェックされます。
まだ入国チェックの方が簡単で、出国の際は持ち出し禁止物が無いか、徹底的に調べられます。
特に男性の旅行者はみんな徹底的にやられましたね・・。(;´Д`)
私も、洗面バックの中の石ケン箱まで開けさせられ、日本から持ち込んだ普通の雑誌にいたってはページに何か挟んでいないかとパラパラと振る始末でした。
特に鉄道施設、踏み切り、橋、港、空港などは、写真撮影も絶対に禁止です。
ソ連製の市街地地図の持ち出しも禁止だそうです。
300人の団体様が全員入国許可をもらって、上陸出来たのはやっぱり半日は掛かったのでございます。(笑)
ナホトカ港に待機していたバス数台に我々は乗り込み、次はナホトカ駅へ大移動でございます。
その間、どこで食事をとったかは完全に記憶にありません。^^;)
その日は、ナホトカから寝台特急アローエクスプレスでハバロスクへ向かったのでございます。
この列車はコンパートメントタイプで、オリエント急行殺人事件を思い起こすような、中々どうして豪華な列車でございました。(笑)
我々はシベリア鉄道の雰囲気を少し味わうことが出来たのでございます。 (モスクワまではちょっと長過ぎと思われw)
船酔いでヘロヘロ状態の300人の日本人のご一行様は、いよいよナホトカからウラジオストックへ出て、一路ハバロスクへと向かうのでございました。ヽ(´ー`)ノ
私も昨夜は船酔いと嵐のために超寝不足状態だったため、ベッドに潜り込むやいなやレールから響くゴトンゴトンと心地よいリズムを子守唄に、爆睡モードに突入したのでありました。
(わぁー何て詩的な表現かしら?w)
食堂車で一見豪華に見える不味いロシア料理を数回食べ、ハバロスクへ到着したのは、日本を発って3日目の夕方だったと記憶しております。(;´ρ`) グッタリ
ハバロスクの町は帰りに立ち寄った時に観光する予定になっており、飛行場へと直行したのでございます。
少し内陸に入ったハバロスク市は、東京育ちの私にしてみれば実に寒かった記憶があります。(-Д-)サムイネェ
モスクワの気温はどうも札幌市と同じぐらいらしいのですが、ここハバロスクは釧路、網走クラスではないでしょうか?(笑)
我々の乗り込んだプロペラ飛行機は、離陸(エンジンを回すまで)するまで暖房が入らず、機内でも震え上がっていたのです。
(-Д-)サムイネェ
外はマイナス20度の世界ですが、機内もマイナスの世界であったのは疑う余地もありません。w
同乗していた兵士の団体も、分厚いオーバーコートのまま狭いシートに黙って座っていたのを覚えています。
300人を同時に運ぶ飛行機は、アエロフロート航空には多分無かったのでしょう??(笑)
結局、我々の300人の団体は2班に別れて、暖房の無い機内で2時間近く待たされたあげく、身動きも出来ないほど狭いシートに座り、これから拷問のような13時間のフライトに耐えなければならないのでございます。^^;)
予定の出発時間を大幅に遅れましたが、夜9時を過ぎてから、やっとこさハバロスクを離陸したのでございます。
次に続く・・。