「失敗」
その言葉について考えることさえ嫌かもしれません。しかし、だれでも時には失敗します。
学校の試験で落第点を取る、皆の前で恥をかく、大事な人をがっかりさせる、道徳上の誤りを犯すなど、どんな失敗であっても惨めな気持ちになりがちです。
他の人と不釣り合いな比較をして悩んだりしないことです。
「自分をほかのだれかと比べないようにしています。みんなそれぞれ違う長所や能力があるからです」。
「各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他の人と比べてではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」。
「自分の限界を知る」
失敗する可能性を減らす一つの方法は、分別のある慎み深い目標を定めることです。
「知恵は、慎みある者たちと共にある」と聖書は述べています。
聖書(箴言 11:2)
「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊」。
聖書(箴言16:18)
慎みのある人は、自分の限界をわきまえています。
確かに、自分の技術や能力を向上させるために、時には自分自身に挑戦するのも良いでしょう。
しかし、現実的であってください。あなたは数学の達人ではないかもしれず、花形運動選手のように身のこなしが軽くないかもしれません。
マイケルという青年はこう認めています。
「自分はスポーツが得意ではないと分かっています。ですから,スポーツをしても、失敗するような状況に身を置かないようにします」。
マイケルの説明によると、「自分が達成できる目標を定める必要があります」。
脊椎披裂と脳性麻痺に苦しんでいる14歳のイボンヌの態度について考えてください。こう述べています。
「わたしはほかの人みたいに歩いたり踊ったり走ったりできません。みんなができることができないので、いらいらすることもあります。
ほとんどの人は理解してくれません。でもそういう気持ちに対処することはできます」。
イボンヌのアドバイスはこうです。「やめないでください。努力を続けるのです。失敗したりうまくいかなかったりしても、あきらめないことです。精一杯がんばり続けましょう」。
「失敗を乗り越える」
もちろん、比較的小さな失敗であっても傷つく場合があります。
乗り越えるのに何が助けになるでしょうか。まず、自分の間違いを直視することです。
マイケルはこう勧めています。
「自分は何をしてもだめだと考えるのではなく、何に失敗したのか、原因は何かということを見極めます。そうすれば次回はもっとうまくいきます」。
また、自分のことを深刻に考え過ぎないことです。「笑うのに時があり」、
それには自分について笑うことも含まれるでしょう。聖書(コヘレトの言葉・伝道の書 3:4)