下記、記事はブログ管理者の愛和さんの許可をいただき
転載しています。
福島の現実を知ってほしいです
「福岡百子の声福島の現実」
戦争や事故、災害の犠牲者を忘れない
今日、8月6日は広島原爆の日です。亡くなられた沢山の御霊のご冥福をお祈り申し上げながら、ご遺族の苦悩と今なお原爆の後遺症で苦しんでおられます方々に癒しと健康のご回復を願い、痛みに心を合わせつつ、お祈り申し上げながら過ごさせていただきたいと思います。
8月は、亡くなられた先祖の方を思い、先祖が日頃私達を守ってくださっていることに感謝をし、先人のご冥福をお祈りする日でもあります。私達が命あるの は、そして平和に過ごすことが出来るのは、先人達が積み重ねてくださった苦労と汗の結晶であり、時には命を張って守ってくださった長い歴史を思い出さなけ ればならないのだと思います。私の存在を考える時、両親の愛と人生を思い出します。私が幼い時から今日までお世話になった方々を思い起こしますと、私一人 では生きてこられなかったことを思い出します。一人の存在の影には、沢山の方々の支えと守りと愛の天使のような方々がおられました。皆様も、誰かに守られ 支えられ、愛されて生きてきたと思います。私を守ってくださった亡くなった恩人は、今も私を天から守ってくださっていると伺いました。
ご供養とは、亡くなった恩人を思い出すこと、ご恩に感謝する事、そしてこれからも守って戴くように願うことではないでしょうか?と思います。
【核廃絶を願って】
沢山の方々が戦争で命を失いました。戦争の犠牲者は余りにも多いです。6月23日は、沖縄戦没者慰霊の日です。18万人が戦争で亡くなったとのことです。 8月6日は広島原爆の日です。8月9日は長崎原爆の日です。今なお多くの方が苦しんでおられます。私達は犠牲者のことを忘れてはならないと思います。1年 前オバマ元大統領は、広島原爆慰霊碑で献花された後、静かに目を閉じて黙祷され、その後17分の演説をされました。
「彼らの魂が私達に語りかけます。私達に内省し、私達が何者なのか、これからどのような存在になり得るのかをよく考えるように求めているのです。・・・私 達の考えや想像力、言語、道具を作る能力、自然を自らと区別して自らの意思の為に変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私達自身にも たらすのです。・・・私達の国家を破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。私たちは一つの人類の仲間として互いの関係を作り直さ なければなりません。・・・普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の脅威は人の生活を奪うのでなく向上させることを目的にしてもらいたいと思っていま す。・・・広島と長崎が私たちが道徳的に目覚める事の始まりとして知られるような未来なのです。」
(2016年5月28日、朝日新聞朝刊、東京本社引用)
2016年5月27日、原爆慰霊碑を訪れる前に、広島の原爆資料館を訪れたオバマ元大統領が「少し手伝ってもらったけど、私が作りました」と差し出された 2羽の折り鶴(梅や桜の美しい和紙で作った折り鶴)を私達はテレビで見て、心から感動して、私達は平和を誓いあい、広島から世界に向けて核廃絶運動を起こ すのだと確信していました。
しかし、あの確信や情熱はどうしたのでしょうか? 世界も日本からの核廃絶発信を期待していたと思います。今ではオバマ元大統領の志も、日本国民の期待も、広島、長崎原爆被災者の願いも、福島原発被災者の苦悩や犠牲も無視されてしまったのでしょうか?
日本は世界で唯一の被爆地です。日本が発信せずどこがするのでしょうか?
【福島原発被災者の声】
《大熊町、79才の男性からの手紙》
「避難者の方々の我慢も限界です。もうしばらく辛抱しよう、と支え合っておりますが、最近、我慢の限界で亡くなられた方が多くなりました。この6年で妻の 兄姉4人と私の姉1人を失くしました。みんなストレスを抱え、死ぬために避難をしているみたいです。私の友達も大熊に帰ることを希望していましたが、帰る ことが出来ず亡くなりました。最近、亡くなる人が多くて毎日誰かが亡くなっています。しかも突然死で、脳梗塞や心筋梗塞も多いです。皆がストレスを抱えて いるから。私の友達もこの1年の間にほとんど亡くなりました。近くにいた友達まで最近亡くなってしまい、今日は一番の親友の死亡連絡がありました。本当に 残念無念です! 寂しいです。友達は誰もいなくなり、私だけが残っています。明日は自分かと考えると本当に寂しいです。夜になると時々思い出します。生き ていても何一つ良いことがありません。
私は大熊には放射能で住めませんが、月1回、大熊の自宅に片付けの為に、この頃1人で帰宅しています。大熊まで往復4時間かかります。高齢にはきついです が、何が安心?と。周りをみれば、昔のことを思い出し、その楽しみの為に出ていくのです。周りにはイノシシ、キジ、サルが沢山います。たまに地区のいろん な人に会えるのが一番の楽しみです」。
《浪江町、主婦、58才》
「墓参りは震災後、一度も行ったことがありません。何故なら墓は壊れているし、放射能があるので入れないのです。今年、仮設を出て復興住宅に入ったけど、 仮設とは違い、人に会わなくなりました。話す人がいなくなって寂しい。こもってしまう。孤独です。歩かなくなったら、膝に水がたまった」。
《大熊町、夫婦、81才》
「私の自宅は原発から6キロで、原発は目の前です。放射線が強いので、何も自宅から持って来られない。大熊は40年帰れないと言われた! 東電から賠償金 申請の為に自宅の写真を出すように言われたけど、放射線量が強いので、私達は写真を撮りに行くことが出来ない。今ではイノシシ等がいて怖い。梨畑があり、 家も土地もあるので東電に申請したいけど、東電も大熊役場も私達には何もしてくれない。私達が自分でしなければダメのようだ。いくら言ってもしょうがない ので、賠償金申請を諦めることにした。何故なら夫婦は高齢だし、夫は肺を患っているし、夫婦は足腰悪くて動けないから! 自分達では何も出来ない! 家も 自分で見つけるように言われた。大熊は何もしてくれない!」
《葛尾村、男性、60代》
「最近、口内炎が2ヶ月続いて、食べることも、話すことも出来なかった。震災後、自分の免疫力が下がったのを感じる。放射能の影響だと思う。当時、髪が抜 けたり、産毛が抜けて湯船にプカプカしてたことがあった。風邪も治りにくくなったり、鼻血も出た。甲状腺が悪くなった仲間もいる。福岡さん。あなたも放射 能の影響を受けてるのではないですか? 当時、ホットスポットの所もあったし、風で日本全国に放射能は流れたから。」
【自分の欲ではなく、思いやりを】
皆様、東北の方々は先祖や家族、仲間を大切にされる方々で、特にお盆には里帰りをして、家族親族が実家に集まりお坊さんを自宅に招いて共に祈り、共に墓参 りをした後に、食事を囲みながら先祖の思い出話や、互いの健康の確認や情報交換を合い、絆を深め、幸せを祈り合うのを常にして来ました。それが東北のお盆 でした。しかし、この家族の幸せと絆を分断し、引き裂いてしまったのは、原発事故です。原発を許す限り、同じ不幸は続いて行き、明日は同じ事が私達の住ま いに起こるかも知れません。
日本は火山も多く、予期しなかった豪雨や土砂崩れ、地震、津波、竜巻、高温、熱帯化、と大きく地球変動しています。私達は発展や便利も大切でしょうが、こ れからは質素で平穏な生き方、又、自分の欲ではなく、“思いやりと暖かな心”を心がけるようにして、これからの世を、どのようにして生きたらよいのかを、 ご一緒に考えては如何でしょうか?
互いのSNSや、友達との会話の中で。
台風や豪雨の災害で苦しんでいらっしゃる方々に。孤独な福島原発被災者に、手を差し伸べてくださいますようにお願い申し上げます。
【ご支援のお願い】
皆様、福島被災者の現状は想像以上に厳しく、残酷だと思います。何とかしてやれないものでしょうか? あまりにも荷は重すぎると思います。被災者は仮設を 出た、これからが大変です。どうかあなたの力で少しでも被災者を支えてくださいますよう、お願い申し上げます。切に宜しくお願い申し上げます。皆様がいつ までも被災者の仲間、心強い支え手であってくださいますように!
〈お問い合わせ〉福岡百子
携帯メールf.mom.1941@ezweb.ne.jp
携帯電話080-5547-8675
FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては午前11時~午後5時半までの間に頂けますようお願いいたします。
なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)