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神は人類を救うために事を進めてこられた・・・聖書

2017年08月20日 | 日記

神は人類を救うために事を進めてこられた


神は忠実なアブラハムに,ご自分の予告した「胤(たね)」はアブラハムの子孫から出る,
と約束なさいました。その者によって「すべての国の民」が祝福を受けるのです。

 

 

 

「また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである」。
聖書(創世記 22:18)

 

 

 

アブラハムの孫ヤコブは後にエジプトへ移住し,そこでヤコブの一族が増えて古代イスラエル国民となりました。

 

 

エジプトでは後に,圧制的なファラオがイスラエル人を奴隷にしました。
神は預言者モーセを立ち上がらせて,イスラエル国民をエジプトから導き出させ,奇跡により紅海の水を二つに分けてその間を通って行かせました。
その後,イスラエルに,彼らを指導し保護するために十戒をはじめとする律法をお与えになりました。
その律法には,罪の許しのための捧げ物に関する規定がありました。
モーセ(モーゼ)は神の霊感によってイスラエルに,神がもう一人の預言者を遣わされるであろう,と告げました。
その預言者こそが約束の「胤」なのです。

 

 

 

それから400年余り後に,神はダビデ王に,来たるべき者すなわちエデンで予告された「胤」が,永久に存続する王国を治める,と約束なさいました。
その者が,人類を救って地にパラダイスを回復するために神によって任命された救い主,つまりメシア(イエス・キリスト)なのです。

 

 

 

神は,ダビデや他の預言者たちを通して漸進的に,メシアについて明らかにされました。

 

メシアが謙遜かつ親切で,その支配により飢えも不公正も戦争もなくなる,と予告なさいました。

 

すべての人が互いに,また動物たちとさえ平和な関係を享受します。

 

神の当初の目的にはなかった,病気や苦しみや死はすべてなくなり,死んだ人々が地上に生き返ってきます。

 

 

 

 

神は預言者ミカを通して,メシアがベツレヘムで生まれること,また預言者ダニエルを通して,
メシアが後に殺されることを予告なさいました。

しかし神はメシアを,生き返らせて天で王として任命されます。

ダニエルが予見したところによると,最後にはメシアの王国が他のすべての政府に取って替わり,永久に存続します。
 

 

 

 

 創世記 22章–50章,出エジプト記,申命記,サムエル記第二,「詩編」,イザヤ書,ダニエル書,ミカ書,ゼカリヤ書 9章9節に基づく。




 

 
 
 
 
 
                   


 


あなたも理解できます -すべての人のための本~聖書

2017年08月20日 | 日記

 

あなたも理解できます -すべての人のための本

 

 

 

 

聖書は,非常に古い本で,今から約3500年前に中東で書き始められました。
3500年前と言えば,中国では強大な商王朝(殷王朝)の時代であり,インドでは仏教が始まる1000年ほど前の時代です。

 

 

 

人々に役立つ有益な指針を与える書物であるためには,自分に関係のある事柄が書かれていて理解できるものでなければなりません。
聖書は,まさにそのような本です。人生における極めて重要な数々の疑問に対する,納得のゆく答えを示しているのです。

 

 

例えば,「人間がこの地球に存在しているのはなぜだろう」と思ったことはありませんか。
この疑問は,これまで幾千年も,そして今もなお人々を悩ませています。とはいえ,答えは,聖書巻頭の書である創世記の最初の2つの章の中に見いだせます。
第1章には,「初めに」つまり幾十億年も昔に,銀河や恒星や地球から成るこの物質宇宙が存在するようになったことが記されています。
『初めに,神は天地を創造された』。
(創世記 1:1)

 

 

そのあと,どのように地球が生物の住める状態になり,多種多様な生物そして人間が存在するようになったかが描かれています。
そのすべてが創造された目的も明らかにされています。



 

 

 

理解できるように書かれた

 

 

聖書は,日常の諸問題を解決するのに役立つ実際的なアドバイスを与えています。そうしたアドバイスは理解しやすいものです。2つの面でそう言えます。

第1に,聖書の教えは,明快かつ率直で,心に響きます。
聖書には,抽象的な表現や謎めいた表現はあまり用いられず,具体的な表現や人間の五感と関連した表現が用いられています。
難しい考えも,日常使う平易な言葉で表わされています。

例えば,イエスは,人々の心を動かす教訓を教えるために,日常の経験に基づく簡単な例えをよく用いました。
その多くは,聖書のマタイによる書の5章から7章に記録されており,一般には山上の垂訓と呼ばれています。
ある注釈者は,山上の垂訓を「実生活に役立つ訓話」と呼び,その目指すところは「人の頭に様々な考えを詰め込むことではなく,人の行ないを導き正すことである」と述べています。

イエスのその訓話は,15分か20分もあれば読めます。
あなたもお読みになれば,それが簡明でありながらも非常に力強いのを知って驚かれることでしょう。

聖書を理解しやすいものにしているもう1つの要素は,その内容です。
それは神話や寓話ではありません。
ワールドブック百科事典(英語)にも述べられているとおり,内容の大半は,「主立った人々とごく普通の人々に関する」ものであり,それらの人の「苦闘,希望,失敗,勝利など」の記録です。
そうした実際の人物や出来事についての記述に共感したり,そこに含まれている重要な教訓を理解したりするのは,難しいことではありません。
『以前に書かれた事は,わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは忍耐と聖書の励ましを通して,わたしたちが望みを持つためです』。
(ローマ 15:4)


だれもが入手できる

どんな本であれ,自分の分かる言語で書かれていなければ,その内容を理解することはできません。
しかし聖書は,今日どの国籍の人であれ,どこに住んでいる人であれ,たいてい自分の理解できる言語で入手できます。
こうした驚くべきことがどうして可能になったのか,考えてみてください。



翻訳。聖書は元々,ヘブライ語,アラム語,ギリシャ語で書かれました。ですから当然,それを読める人々の数は限られていました。
それを他の言語でも読めるようにするため,誠実な翻訳者たちが精力的な努力を払ってきました。おかげで聖書は今や,全巻または一部が約2700の言語に翻訳されています。
つまり,人類の90%以上が聖書の少なくとも一部を母語で読める,ということです。

出版。聖書の原文は,皮やパピルスなど,傷みやすい材質の物に記されました。その内容を後世に伝えてゆくには,手書きで注意深く写しを作り,それを繰り返す必要がありました。
そのような写本は高価で,入手できる人はほとんどいませんでした。
しかし,今から550年余り前にグーテンベルクが印刷機を発明すると,聖書の発行部数は急速に増えてゆきました。

 

ある推定によると,聖書はこれまでにその全巻または一部が50億冊以上頒布されています。



数多く存在する宗教の聖典のうち,これらの点で聖書に匹敵するものは一つもありません。

明らかに,聖書こそ,すべての人のための本なのです。


聖書はどんな本か

66冊の聖なる書を1つにまとめたもの。

歴史,法律,預言,詩,格言,歌,手紙などが収められている。

西暦前1513年に書き始められ,1600年以上かけて,西暦98年に書き終えられた。

40人ほどの人が,神の導きを受けて書いた。