人間は,平和を唱えながら有史以来(6000余年)平和を100年も維持できない
この先,平和の世界を望みながら,ますます平和を実現できないでしょう。
人間による平和が長続きしないことには,どんな理由がありますか。
土台がもろくなり,梁が腐食し,屋根がたわんでいる家を想像してみてください。
そこに引っ越して,自分の住まいにしたいと思われますか。そうは思われないでしょう。
ペンキを塗り替えても,その家に構造上の問題があることは変わりません。遅かれ早かれ,それは倒壊するでしょう。
この世界に由来するどんな平和も,この家に似ています。それは,もろい土台,すなわち人間の約束や方策の上に築かれており,
そもそも人間に「救いはない」のです。
「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」。
(詩編 146:3)
歴史は,国家,民族,種族間の連綿たる対立抗争の過程となってきました。
確かに,しばし平和な時期もありました。しかし,それはどんな平和でしたか。
二つの国が戦火を交えて一方が敗れ,あるいは,双方が戦いの継続にそれ以上の利益はないとして平和が宣言されるのであれば,
それはいったいどんな平和でしょうか。戦争の引き金となった憎しみ,疑念,ねたみは,くすぶるままです。
単なるうわべだけの平和,つまり敵意を“塗り隠した”状態は,「恒久的な平和」ではありません。
「主(神)よ,私は知っています。人間の道は,その人によるのでなく,歩くことも,その歩みを確かにすることも,人によるのではないことを」。
聖書(エレミヤ書10:23)
「神(ヤハウェ,エホバ)よ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。
聖書(エレミヤ書10:23)
悪はどのようにして始まりましたか
悪がこの地上で始まったのは,サタンが最初のうそをついた時です。
サタンは初め,み使いつまり天使で完全な者でしたが,「真理の内に堅く立ちませんでした」。
(ヨハネ 8:44)
神だけにささげられるべき崇拝を自分が受けたいという欲望を募らせました。
そして,最初の女性エバにうそをつき,神にではなく自分に従わせました。アダムもエバに加わって神に背きました。
その結果,苦しみと死がもたらされたのです。
『主なる神が造られた野の生き物のうちで,最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない,などと神は言われたのか」。
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも,園の中央に生えている木の果実だけは,食べてはいけない,触れてもいけない,死んではいけないから,と神様はおっしゃいました。
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると,目が開け,神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。女が見ると,その木はいかにもおいしそうで,目を引き付け,賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ,一緒にいた男にも渡したので,彼も食べた』。
聖書(創世記 3:1‐3:6)
「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。
聖書(創世記 3:19)
サタンは,神に背くようエバを唆すことにより,神の主権,すなわち至高者としての立場に対する反逆に着手しました。
人類の大多数はサタンの側に加わり,支配者である神を退けました。こうしてサタンが「世の支配者」となったのです。
聖書(ヨハネ 14:30)
神が創造したものに欠陥があったのですか
神のなさる業はすべて完全です。神が創造した人間やみ使いには,神に完全に従う能力がありました。
「岩なる方,そのみ業は完全,そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは少しもない。義であり,廉直であられる。
彼らは自ら滅びとなることを行なった。彼らはその子供ではない。その欠陥は彼ら自らのもの。曲がってねじけた世代よ」。
聖書(申命記 32:4,5)
神は人間を創造する際,善を行なうか悪を行なうかを選ぶ自由を与えてくださいました。その自由があるので,わたしたちは神への愛を表わすことができます。
「 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。
聖書(ヤコブ 1:13‐15)
神が今まで苦しみを許してこられたのはなぜですか
神は期間を限って,ご自分の主権に対する反逆を許してこられました。それは,神を度外視した支配が人間の益にならないことを示すためです。
「ただし見よ,見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが,人間は複雑な考え方をしたがる,ということ」。
聖書(コヘレトの言葉・伝道の書 7:29)
「わたしはこのすべてを見た。そして,人が人を支配してこれに害を及ぼした時の間に,日の下で行なわれたすべての業に心を用いるのであった」。
聖書(コヘレトの言葉・伝道の書8:9)
人間の歴史が6,000年を経過した今,証拠は明らかです。人間の支配者たちは,戦争,犯罪,不公正,病気などを根絶することはできませんでした。
「しかし,愛する者たちよ,この一事を見過ごしてはなりません。神(ヤハウェ,エホバ)にあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようであるということです」。
聖書(ペテロの手紙第二 3:8)
「しかし,愛する者たちよ,次の一点を忘れてはいけません。すなわち,主(神)のもとでは,一日は千年のようであり,千年は一日のようであるということです」。
聖書(ペトロ第二の手紙3:8)
神が苦しみを引き起こしていないとしても,どうして神は苦しみを許しているのでしょうか。
はるか昔に提起された幾つかの“宇宙論争”を解決しなければならないからです。
それらは倫理的な論争です。その一つに注目しましょう。
人間の歴史の初めに,アダムとエバはサタンの側に立ちました。神の支配を退け,「自治」を選んだのです。
しかし,その「自治」は実際には悪魔による支配でした。
『主なる神が造られた野の生き物のうちで,最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない,などと神は言われたのか」。
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも,園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない,触れてもいけない,死んではいけないから,と神様はおっしゃいました」。
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると,目が開け,神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。女が見ると,その木はいかにもおいしそうで,目を引き付け,賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ,一緒にいた男にも渡したので,彼も食べた』。
聖書(創世記3:1~3:6)
公正に関する神の見方によれば,時間的な猶予を設けて,証拠が積み上げられるようにすることが必要でした。
そうすることにより,否定の余地のないどんな結論が出たでしょうか。
サタンの影響を受けた人間による支配は必ず苦しみをもたらす,という結論です。ですから,長期的な観点で見ると,
神が時間的な猶予を設けられたことは人間の益になっています。どのようにでしょうか。
証拠を調べてそれに確信を抱いた人には,神の支配を喜んで受け入れることをはっきり示す機会が差し伸べられています。
そして,神の規準を学んでそれに沿って生きる人には,永遠に生きる見込みがあります。
「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。
聖書(ヨハネ 17:3)
「世も世にある欲も,過ぎ去って行きます。しかし,神の御心を行う人は永遠に生き続けます」。
聖書(ヨハネ第一 2:17)
今のところサタンがこの世界を手中に収めているのは事実です。
しかし,それももう長くはありません。間もなく神はご自分のみ子を用いて,「悪魔の業を打ち壊す」ことを行なわれます。
「罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです」。
聖書(ヨハネ第一 3:8)
「しかし,終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき,人々は自分自身を愛し,金銭を愛し,ほらを吹き,高慢になり,神をあざけり,両親に従わず、,恩を知らず,神を畏れなくなります。
また,情けを知らず,和解せず,中傷し,節度がなく,残忍になり,善を好まず,人を裏切り,軽率になり,思い上がり,神よりも快楽を愛し,信心を装いながら,その実,信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい」。
聖書(テモテへの手紙第二3:1~3:5)
「こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地*を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ+,その使いたちも共に投げ落とされた」。
「このゆえに,もろもろの天と,その中に住む者たちよ,喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて,お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである」。
聖書(黙示録・啓示録12:9.12:12)
イエスは神の導きのもとで,人々の感情的な痛手をいやし,損なわれた生活を回復させます。
これまでに苦しんで死んでいった無数の人々を地上での命へ復活させます。
『イエスは彼女に言われた,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」』。
聖書(ヨハネ 11:25)
イエスの復活は,悪魔の業に対する神の勝利の実例,また神の支配を選ぶ人々に将来生じる事柄の先例となっています。
「なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。
聖書(使徒 17:31)
聖書は,励みとなる次のような言葉を述べて,その将来に目を向けるようわたしたちを促しています。
「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ,神の幕屋が人の間にあって,神が人と共に住み,人は神の民となる。神は自ら人と共にいて,その神となり,
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく,もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」。
聖書(黙示録・啓示録 21:3,4)
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イエス・キリストが地上で行った奇跡の数々は 神の体制になった時の予行です。
2016-08-17の再掲