「昔は良かった」と言ってはならない
昔は良かった,というゆがんだ見方です。人間の記憶は常に信頼できるとは限りません。
昔に経験した苦しみの記憶は無意識のうちに抑え,喜びのほうをクローズアップして、
過去の物事を実際よりずっと好ましく感じてしまうことがあるのです。
記憶のこうしたゆがみは,古き良き時代を慕う気持ちを生じさせます。
「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない」。
聖書(伝道の書・コヘレトの言葉 7:10)
『「昔の方が良かった」と言ってはならない。そのように言うのは知恵のあることではないからだ』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 7:10)
『救い主である主イエス・キリストについて正確に知って世の汚れから逃れた後,再びその汚れに関わって打ち負かされるなら,結局は最初より悪い状態になるのです。
彼らにとっては,正しい道を知った後,学んだ聖なるおきてから離れていくよりは,その道を正確に知らないでいた方がよかったでしょう。
真実の格言の通りのことが彼らに生じています。「犬は自分が吐いた物を食べに戻り,豚は洗われてもまた泥の中で転げ回る」』。
(ペテロ第二 2:20~22)
『わたしたちの主,救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても,それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら,そのような者たちの後の状態は,前よりずっと悪くなります。
義の道を知っていながら,自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは,義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。
ことわざに,「犬は,自分の吐いた物のところへ戻って来る」また,「豚は,体を洗って,また,泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです』。
(ペテロ第二 2:20~22)
過去に払った犠牲
残念ながら,過去に犠牲にしたものを振り返り,チャンスを逃したことを悔やむ人がいます。
ある人たちは,高等教育,名声,経済的な安定などを求めるチャンスがあったにもかかわらず,それを断念したかもしれません。
また,ビジネスや娯楽,教育,スポーツなどの世界で高収入を得ていたのに,それを後にした人も少なくありません。それから何年も過ぎましたが,終わりはまだ来ていません。
では,あのような犠牲を払わなかったら自分はどうなっていただろうか,と想像を膨らませますか。
使徒パウロはキリストの追随者になるために多くのものを捨てました。
「だれかほかに,肉に頼れると思う人がいるなら,わたしはなおさらのことです。
わたしは生まれて八日目に割礼を受け,イスラエルの民に属し,ベニヤミン族の出身で,ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはパリサイ派の一員,
熱心さの点では教会の迫害者,律法の義については非のうちどころのない者でした」。
(フィリピ・ピリピ 3:4~6)
パウロは後にしたものについてどう感じていたでしょうか。こう述べています。
『「わたしにとって得であった事柄,それをわたしは,キリストのゆえにすべて損と考えるようになりました」。なぜでしょうか。
パウロの言葉は続きます。「わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,一切のことを損とさえ考えています。
キリストのゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのくずのように考えています。それは,自分がキリストをかち得るためです」』。
(フィリピ・ピリピ 3:7,8)
ごみを捨てた後,それがなくなったことを後悔する人はいません。
同じようにパウロは,この世で成功するチャンスを後にしたことを少しも後悔しませんでした。そうしたものに価値があるとは思わなくなったのです。
チャンスを逃したことを悔やむようになっている自分に気づいたなら,どうすればよいでしょうか。パウロが示した手本に従いましょう。
どのようにでしょうか。自分が今得ているものの価値について考えるのです。わたしたちは神との貴重な関係に入ることができ,神様のみ前に忠実な歩みの記録を築いてきました。
「皆さんはこれまでずっと聖なる人たちに仕え,今も仕え続けています。そのようにして,神の名を愛していることを示してきました。神は不公正な方ではないので,そうした働きや愛を忘れたりはされません」。
(ヘブイ 6:10)
わたしたちが経験する今の,そして将来の霊的な祝福は,世が提供するどんな物質的な利得とも比較になりません。
『ペテロがイエスに言いだした。「見てください! 私たちは全てのものに別れを告げて,あなたに従ってきました」。
イエスは言った。「はっきり言いますが,私のため,また良い知らせのために,家,兄弟,姉妹,母親,父親,子供,あるいは畑に別れを告げた人は皆,
今この時期に百倍を,家,兄弟,姉妹,母親,子供,畑を迫害と共に得て,新しい体制で永遠の命を得ます』。
(マルコ 10:28~30)
パウロは次いで,わたしたちが忠実に歩み続けるためにどんなことが助けになるかに言及しています。
「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばす」ということです。
(フィリピ・ピリピ 3:13)
パウロが二つの事柄を強調していることに注目してください。両方とも必要です。
第一に,後にしたものを忘れなければなりません。過去の事柄に過度の関心を抱き,貴重なエネルギーと時間を浪費してはならないのです。
第二に,走者がゴールでするように,前のものに焦点を合わせ,身を伸ばすことが必要です。