神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

差別されても障害者の私がネガティブ投稿しないわけ

2020年08月15日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/life/ASN864339N86UBQU001

一部引用

■怒る気にならなかったわけは彼らの反応はそれぞれ違ったが、一番多かった意見は大家に対する不平不満だった。なかには、「そんな理由で断るなんておかしいじゃないですか」と私以上に怒った人もいた。また、知り合いの障害者の親御さんからは、障害者差別解消法で訴えるべきだという意見もでた。ただ、私はそんな気にはなれなかった。

子供のころから、こんなことはたびたびあった。

繰り返しになるが、私は寝たきりの生活を送っている。初対面の人の多くは、私のことを意思疎通が取れない人間だと思っていたし、話しかけても意味がないと思っていたに違いない。仮に話しかけられても、幼児扱いした口調で話し方をされるのは常だった。

もちろん今では「寝たきり社長」と称し、積極的に活動させてもらっているので、社会で対等に扱ってもらえることは増えてきている。だが、それでもいまだに年配の経営者や政治家の方と接する際には、かつてと変わらない対応をされることがある。人によっては、会社経営も私ではなく、私の親がしていると思っているほどだ。

■なんとなく書いていたSNSで…

ただ私は、差別や世の中の理不尽とは決して真正面から戦わないスタンスでいる。そうなったのには、ある出来事がある。

会社を立ち上げて間もなく、二十歳を過ぎたころ。私はSNSを始め、そこには日々の活動はもちろん、ポジティブな感情やネガティブな感情もすべてさらけ出していた。SNSの投稿は特に深く考えず、なんとなく心に湧いた思いを書いていた。

そんなある日の休日。ヘルパーと映画に出かけた。すると、オフィス探しのときと同じように、窓口で観賞を拒否された。私はSNSでその窓口の対応に苦言を呈した。すると、同じような障害がある人は私の投稿に賛同してくれ、共感してくれる人がいることに安堵(あんど)感を得た。

しかし、その投稿を見た、うちで名刺を作ってくれているあるお客さんは私にこう言った。

「もし、その窓口の人がなにか対応できなかった事情があったとしたら、君はどうする?」

「もし、障害者を応援しようと思っていた人が、君の投稿を見て、批判されるのが怖くなり、障害者と関わるのをやめようと思ったら、君はどうする?」

この言葉にハッとした。私は正直、この言葉を聞くまでは自分のことしか考えていなかった。彼の言う通り、人を批判すれば相手だって決して気分はよくないだろうし、もし相手にも何か事情があったとしたら、それは権利を盾に相手を傷つける行為となる。何より私は、私のせいで他の障害者が社会から変な目で見られることや、障害者に親切にしようと思っている人に対する善意を踏みにじりたくなかった。

■批判よりも大切なこと

その日から、自分自身のルールを変えた。

どんなに理不尽なことや差別をされても、私はお陰様と感謝の気持ちを持つことにした。すると、私の周りにたくさんの仲間ができるようになったし、そうなると今度は、普段親切にしてくれる周りの人間をより大切にしたいと思うようになった。人は、人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られないと知った。

その後、新しいオフィス探しも出直した。私の入居を断った大家にも、何か事情があったに違いない。そう前向きに考えたら、不思議とすぐに新しいオフィスは見つかった。しかも、寝たきりの私にも理解があって、親切にしてくれる大家だ。まさに捨てる神あれば拾う神あり。

だからこそ私は、彼に感謝の気持ちを忘れてはならないし、それ以上に、「また次、障害者から入居希望があっても、入ってもらおう」と思ってもらえる行動をしなければならない。世の中から差別がなくなることはないだろうが、そうした行動をすることで、きっと少しずつ差別が減っていく気がする。


【うんちく】本とパンフレット(小冊子)の違い

2020年08月15日 | 日記

本とパンフレット(小冊子)の違い

1964年のユネスコ総会で採択された基準は、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と、定義している。
5ページ以上49ページ未満は小冊子として分類。

呼称の由来
漢字の「本」は、「木」という漢字の中心線の部分のやや下寄りのところに短い横線で印をつけることによって
その部分を指し示した文字であり、樹木の根もとを意味している。これが日本では「ものごとのおおもと」という意味を表すようになった。
そこから書写に使うもとの書物を本というようになり、さらには書物全般を指す言葉になった。
なお、中国語においては「本」という言葉に「書籍」という意味は存在しない。
書籍という語は、文字を記録した書と、尊い典籍、経籍を意味する「籍」の合成語である。
英語のbook、ドイツ語のBuchは古代ゲルマン民族のブナの木を指す言葉から出ており、フランス語のlivre、
スペイン語のlibroはもともとラテン語の木の内皮 (liber) という言葉から来ている。
こちらは大昔にそうした木の皮や木の薄板などに文字を書いたことに由来していると言われている。

~Wikipedia~

 

   

 

 

     


結婚外の性関係~聖書

2020年08月15日 | 日記

 

《 結婚外の性関係 》

 

夫婦間の貞節は美徳と称賛されますが,結婚外の性関係つまり姦淫により,いまだに多くの家庭が崩壊しています。

姦淫とは何か

一般的な考え
ある文化では,特に男性が結婚外の性関係を持つことを悪いこととは見ていません。結婚関係を生涯続く結びつきと考えていない人もいます。

 

聖書の教え
聖書は姦淫を,一般に既婚者が配偶者以外の相手と合意の上で行なう性関係であるとしています。

「姦淫をする人は夕暮れを待ち,『誰も私を見ることはない!』と言い,自分の顔を覆う」。
(ヨブ 24:15)
『姦淫をする女性の道はこうである。食べて,口を拭き,「何も悪いことはしていない」と言う』。
(箴言・格言 30:20)


姦淫は神の目に忌むべきことであり,古代イスラエルでは,姦淫を行なった者は死に処されました。

「仲間の妻と性交をして,汚れた人となってはならない」。
(レビ記 18:20)
「女性と寝るようにして男性と寝てはならない。それは忌まわしい行為である」。
(レビ記 18:22)
「これらのいとうべきことの一つでも行う者は,行う者がだれであっても,民の中から断たれる」。
(レビ記 18:29)

 

イエスは弟子たちに,姦淫を避けなければならないと教えられました。
「あなたたちは,こう命じられたのを知っています。『姦淫をしてはならない』。しかし私は言います。女性を見続けて情欲を抱く人は皆,すでに心の中で姦淫をしたのです」。
(マタイ 5:27,28)

また,ある支配者がイエスにこう質問した。
「善い先生,永遠の命を受けるには何をしなければなりませんか」。イエスは言った。「なぜ私のことを善いと呼ぶのですか。神以外に善い者は誰もいません。
あなたはおきてを知っています。
『姦淫をしてはいけない。殺人をしてはいけない。盗んではいけない。偽りの証言をしてはいけない。父と母を敬いなさい』」。

(ルカ 18:18~20)

 


それが重要なのはなぜか

姦淫を行なう人は,結婚の際に配偶者に対して行なった厳粛な誓約を破っています。姦淫は「神に対して罪をおかすこと」でもあります。
『こうしたことの後,主人の妻がヨセフに目を留め,「私と寝て」と言うようになった。しかしヨセフは拒み,主人の妻に言った。「ご主人さまは,家の中のことを私に任せ,
全く心配しておられません。全てのものを私に委ねてくださっています。この家に私の上に立つ人はいません。
ご主人さまが私に下さらないものはありません。でもあなたは別です。
奥さまだからです。そのような非常に悪いことをして,神に対して罪を犯すことなど,どうしてできるでしょうか」』。

(創世記 39:7~9)


また,子どもを親から引き離すという悲惨な結果をもたらしかねません。それで聖書は,「神は……姦淫を行なう者を裁かれる」と警告しています。

「結婚は全ての人に尊ばれるべきであり,夫婦の関係は汚れのないものであるべきです。神は性的に不道徳な人や姦淫をする人を断罪するからです」。
(ヘブライ 13:4)


姦淫によって結婚関係は終わりますか へ続く>>>