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4K】近所散策・スイセン、ツクシ、ジンチョウゲ,etc
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心が乱れている時は
口を慎む
一度、口から出た言葉は
元には戻らないのです
「わたしたちは皆,度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら,それは自分の全身を制御できる完全な人です。馬を御するには,口にくつわをはめれば,その体全体を意のままに動かすことができます。また,船を御覧なさい。あのように大きくて,強風に吹きまくられている船も,舵取りは,ごく小さい舵で意のままに操ります。同じように,舌は小さな器官ですが,大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は『不義の世界』です。わたしたちの体の器官の一つで,全身を汚し,移り変わる人生を焼き尽くし,自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥,また這うものや海の生き物は,人間によって制御されていますし,これまでも制御されてきました。 しかし,舌を制御できる人は一人もいません。舌は,疲れを知らない悪で,死をもたらす毒に満ちています。 わたしたちは舌で,父である主(神)を賛美し,また,舌で,神にかたどって造られた人間を呪います。 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち,このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から,甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。わたしの兄弟たち,いちじくの木がオリーブの実を結び,ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません」。
(ヤコブ3:2~3:12)
「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」。
(箴言・格言12:18)
また雨か!
「何だ,また雨か!」
そのような言葉が口を突いて出たことがありますか。例えば,夏の盛りの時期,アイルランドの大西洋岸の景勝地を訪れているとしましょう。
明るく暖かな日ざしの中で美しい景色を堪能したいと思っていたのに,期待とは裏腹に,強風とどしゃ降りの雨に見舞われてしまいます。
そのような時は雨のありがたさなど,思い出すこともないでしょう。とはいえ雨が降らなければ,わたしたち自身も美しい景色も存在し得ないのです。
雨は一度地上を潤した後もまた必ず降り,無限に供給されるかに思えます。どうしてそのようなことが可能なのでしょうか。それは,驚くべきリサイクル・システムのおかげです。
この肝要な生命維持システムには,蒸発,凝結,降水という非常に大切な三つの段階があります。それらについてごく簡単に調べるだけでも,このシステムが偶然の所産でないことを理解できます。
ある文献はこれを,「一定不変の法則に従って機能する」精巧に設計されたプロセスである,と説明しています。
蒸発
地球上の水の97%は海水で,残りの大部分は氷河か湖水か地下水の形で存在しています。もちろん,海水は飲めません。
「老水夫の歌」という詩に登場する悩める水夫の叫びを借りるなら,海では「四面に水あるも 一滴として飲めず」というわけです。
海水が飲めるようになるまでには,長く複雑な過程を経なければなりません。まず蒸発して気体に,つまり水蒸気になります。太陽からの熱は,陸地と海洋から年間およそ40万立方㌔の水を気化させ,大気圏に引き上げています。
その昔,エリフという人は,この一連の過程の誉れを神に帰し,「神は水のしずくを海から引き上げ,ご自分の造られた霧から雨を滴らせておられる」と述べました。
「神は水の滴を持ち上げます。水蒸気が集まって雨になります」。
(ヨブ 36:27)
大気圏は,地球上空約400㌔余りにまで広がっている,「信じられないほど複雑なシステム」です。地球の水は,地表面から10㌔ないし20㌔までの空間で循環しています。
対流圏と呼ばれるその部分は,「傷つきやすい水の惑星」(英語)という本によると,「地表面と接し,雲,雨,雪,ハリケーン,竜巻などが生じる領域」と説明されています。
空気は温度が高ければ高いほど,水分を多く吸収することができます。ですから,気温が高くて風のある日には洗濯物が早く乾くのです。熱帯地方の大気は,他のどの地域よりも多くの水分を含んでいます。
『では,その水分は,水の必要な他の場所までどのようにして移動するのだろう』と思われるかもしれません。地球の周りを回る幾つかの強力な風系によって移動するのです。
なぜそうした風系が存在するのでしょうか。それには,地球の自転の仕方や,地上の一部の地域の温度が他より高くなって常に大気が流動していることが関係しています。
流動する大気中には,巨大な気団 ― ほぼ同じ温度の空気の大きな塊 ― が存在します。どれほど大きいのでしょうか。数百万平方キロの面積を覆うくらいの大きさがあります。
暖気団は熱帯地方で,寒気団は北極もしくは南極地方で発生します。それらの気団は,大気中に含まれる大量の水分を運ぶ役目を果たします。
大気中の水蒸気の動きも,設計の見事さを物語っています。大気は,熱帯などの暑い地域の熱を,熱を必要とする他の地域へ運びます。
その働きがなければ,地上のある地域は容赦なくどんどん熱くなってゆくことでしょう。
凝結
水蒸気は,大気中でそのような重要な働きをしますが,言うまでもなく,もしそのまま大気中にとどまっているとしたら,地面を潤して人間の役に立つということはほとんどありません。
例えば,サハラ砂漠上の大気はかなりの水分を含んでいますが,その地域は常に乾燥しています。大気中の水分は,どのようにして地面に戻るのでしょうか。まず初めに,凝結する,つまり再び液体になる必要があります。
おそらくあなたも,ふろ場で,熱いシャワーから立ち昇る湯気が温度の低い窓ガラスや鏡に触れ,水蒸気が凝結するのを見たことがあるでしょう。同じようなことは,空気の塊が上昇して周囲の冷気で冷やされる時にも生じます。
では,なぜ空気は上昇するのでしょうか。暖かい空気の塊が比重の大きな冷たい空気の塊によって押し上げられるからです。山々に当たって上昇せざるを得ない場合もあります。さらに,特に熱帯地方では,空気の対流によって上へ持ち上げられることもあります。
『それにしても,大気中には,水蒸気が凝結する際の核となるどんなものがあるのだろう』と思う人もいるでしょう。大気中には,煙,粉じん,海塩などの微粒子が数多く存在しています。
一塊の空気が冷やされると,水蒸気がそれら非常に小さな粒子を核にして凝結します。そのようにしてできた細かい水滴は,雲となって目に見えるようになります。
とはいえ,この水がすぐに地面に落ちてくるわけではありません。なぜでしょうか。水の質量は空気の800倍もあるのに,それでも落ちてこないのは,雲粒一つ一つが非常に小さくて軽く,気流の中で浮いていられるからです。
前出のエリフは,水の循環過程におけるこの興味深い部分に驚嘆し,『雲が頭上で宙に浮かんでいる』ことを,「創造者の完ぺきな技能によるくすしいみ業」と描写しました。
「あなたは雲の釣り合いを保つことについて知っているか。知識の全き方のくすしいみ業を」。
(ヨブ 37:16)
ふわふわと空中に浮かぶ小さな雲に,もしかすると100㌧から1,000㌧もの水分が含まれているというのは,驚きではないでしょうか。
降水
多くの雲は雨を生み出すわけではありません。正確に言えば,降水を生じさせるわけではありません。水分が大気中に取り込まれる仕組みや雲が空に浮かぶ理由を説明するのは比較的簡単です。
「本当に難しいのは,水が繰り返し落ちてくる過程を説明することである」と,ある著述家は述べています。―「大気に挑む」(英語)。
小さな雨滴一つを生成するのに「100万かそれ以上の雲粒」が必要な場合もあります。どのようにして,それら微小な雲粒がおよそ10億㌧もの水となって,四六時中地上のどこかに落ちてくるのかについては,だれも十分に満足のいく理解を得ていないようです。非常に小さな雲粒がただ合わさってより大きな雨滴になるのでしょうか。そういう場合もあります。おそらく熱帯などではそのようにして雨滴が形成されるのでしょう。しかしそれでは,アイルランド大西洋岸などの場所で「雨滴が形成されるなぞ」は少しも説明できません。
この近辺の場合,非常に小さな雲粒どうしが単に合体するわけではありません。雲粒は,完全には理解されていないある原理が働いて,非常に小さな氷の結晶になります。そのような結晶が合わさって「自然界の傑作」である雪片になります。雪片が大きくなって重くなり,上昇気流で支えられなくなると,地面に落ち始めます。気温が低いと,雪として降ります。一回の平均的なにわか雪で降る雪片の数は,何十億にもなります。
しかし,暖かい空気の層を通過して落ちていく場合には,雪片は解けて雨滴になります。ですから,雪は雨が凍ったものではありません。厳密に言えば,ほとんどの雨は,少なくとも温帯地方に降る雨は,最初は雪であり,その後,落下しながら解けて地面に達するのです。
そういうわけで,雨は,まだ十分に理解されていない幾つもの複雑な過程を経ながら,おそらく何千キロもの旅をした後に,また降ってくるのです。確かに雨は,時々あなたの予定や活動の妨げとなるかもしれません。
しかし,このすばらしいシステムにより,わたしたちには無尽蔵の給水源が与えられているのです。そうです,雨はまさに祝福です。ですから次に雨が顔に当たったときは,神からのこの贈り物に感謝したいという気持ちが少し強まっていることでしょう。