伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

畏れ大き太古神

2009-11-11 10:25:01 | Weblog
伊勢神宮外宮の表参道の大通りから火除橋(ひよけばし:防火の為に造った堀川に架かる橋)を渡りますと、すぐ左側に手水舎があります。その反対側に木柵により囲まれた樹齢約800年の「清盛楠、きよもりぐす」が在ります。
このいびつな形をしたクスノキは、神宮の千年を超える神域内では珍しく個人名が付けられています。後世に「おごる平家は久しからず
」と揶揄された平清盛の事です。
平清盛は『平家物語』の中の中心人物であり、一介の武士から太政大臣にまで上り詰めた成り上がり者として、栄華を謳歌した人間の没落と悲惨さの象徴として語られて来ました。
平清盛が政治の中枢に入り権力を行使していた頃、天皇陛下の勅使として何度か伊勢神宮外宮に参拝をしています。
その時に入り口に在ったクスノキの枝に、清盛が被る頭巾が引っかかり落ちたそうです。この事が気に障った清盛は、部下に枝を折る様に指示したとの事でした。
伝承では木の枝とされていますが、実際には木の幹から切断して倒したと感じます。切り株から芽を出し、現在のいびつな形状に成ったと観えます。本当の樹齢は800年どころか、1200年以上だと感じます。
外宮の正体は、国土の国魂(くにたま)である国常立太神が鎮まる神域です。そこに在る神木を切り倒した訳です。その後に清盛の頭が剥げたのかは、私は知りません。しかし、一族郎党の悲惨な最期は、歴史が証明しています。

白山の石柱を神の御柱として、太古から祭事していたのが外宮の神域です。伊勢市の成り立ちは、外宮地域から始まっていると感じます。これは縄文時代の住居遺跡の発掘でも証明されるでしょう。
内宮や外宮に本殿が造られたのは近年の事に過ぎません。
外宮に本殿を造営させたのは、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)です。
雄略天皇は、とても興味深い人物です。
日本国の霊的な太古の成立背景の秘密を知っていたと感じます。この天皇が仕組んだ神仕組みにより、皇室の安定存続と国土の守護への絶対的な霊的バリヤーが仕組まれています。
雄略天皇が創建した神社が、もう1つ在ります。それが白山中居神社です。
伊勢と白山に1つずつ、自ら神社を造らせています。この2つの神社における霊的な色は非常に共通します。それは、厳格な青い透明感です。
この2つの神社には、両神社共に国常立太神の神気が今でも存在しています。神社の祭神名からは、訳が在り隠されて封印されています。この訳を知っていたのが、雄略天皇です。

白山中居神社は、古都の京都から見ますと鬼門の丑寅の方向に在ります。
封印された太古の秘神、俗に言うウシトラの金神の本拠地でも、白山中居神社はあるのです。
伊勢神宮外宮と白山中居神社を結ぶ伊勢白山道への、人民による往復参拝により、今、隠された日本の太古神が起動し始めています。
日本国を貶める様な人間は、平清盛の最後の様に成らないよう注意して欲しいものです。

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
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コメント (607)
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