伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

思い出して上げる事が供養です

2010-03-03 02:03:27 | 先祖供養について

ある日、親類の既婚女性から、ノドが詰まる感じがして変だと相談を受けました。
「私、ガン?」てなことを言って心配していました。観ますと病気はありませんでした。ふと浮かんで来たのは、その女性の実母の存在でした。10年以上前に亡くなっている方です。
病院で亡くなる時、タンがノドに詰まって呼吸困難により、人知れずに亡くなった母親でした。
私は彼女に、「今日は実母の誕生日か、命日などの何かの記念日なのでは?」と言いました。
すると彼女は、今日は実母の誕生日だと言い、ハッとした表情をしていました。ここ最近、実母の事を思い出す事が無かったそうです。
私は彼女に、「もう肉体も無いから、何も苦しくないよ。大丈夫だよ」と、実母に対して心の中で思えば良いと伝えました。
翌日には嘘の様に、ノドの違和感が消えたと喜んでいました。

今回の事で思いましたのは、50代の若さで家庭の色々な心配と無念を残したまま亡くなった故人の思いとは、強いと言う事でした。
そして、苦しい故人の霊にとっては、故人の誕生日や命日、御盆やお彼岸などの「記念日」が、唯一自分の思いを伝える事が霊界から許されている時なのだと再認識しました。

もう霊線の違う嫁いだ娘の所まで頼って来るのですから、他には頼る所が無かった様でした。
彼女の兄弟には長男も居るのですが、他の兄弟は先祖供養を普段していません。
彼女は以前から旦那家の短冊供養をしていましたので、彼女が行う3本目の縁ある他家の霊の縁で記念日に寄られたのです。
彼女は凄い母親っ子だったそうなので、よくぞ自分を頼ってくれたと喜んでいました。
この世は、自分がした事が反転して自分に帰る世界です。
苦しんでいる親の霊を癒した事は、彼女に幸運として戻って来ることでしょう。

ただ今回の様に、故人の誕生日も供養の記念日に入るとは意外でした。
皆さんも、よく知っている故人の誕生日や色々(曜日・月・年など)の命日には、故人に対して感謝の気持ちを向ける事は、決してムダな行為ではありません。
故人に対して供養する人の思いが、とても通じやすい日でもあるのです。
思い出して上げましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

コメント
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